櫻井敦司が笑顔で贈り出す。

「楽しんで(笑)!下さい」


自身が、清春とのダイナマイト・デュオを終えた素直な感想も含まれていたかも知れない。
「俺は、楽しかった。
 だから、今日の出演者には、全員“楽しんで”演ってもらいたい」
そんな、櫻井敦司の気持ちが、籠った彼流の送り出しの言葉だった。


ライヴツアー【PARADE】での競演でも、「少し、緊張し過ぎました」と告白する
BALZACのヴォーカリストHIROSUKEの恐縮する態度も、
この櫻井の言葉で解れたのだろうか?

見事なパンク・ショーであった。

このような野外イベントの大舞台に自ら似合わないとコメントするBALZAC。
しかし、15周年を迎えるベテラン・バンド、一度、演奏に火が付けば、
一気に燃え上がり、疾走していく。

BALZACは京都で結成された大阪を拠点として活動している4人組のパンクバンド。
ホラー映画とパンクロック、ハードコアを融合したホラーパンクのスタイルで活動を続けている。
サウンドの基本はパンクやハードコアの流れをくむ、
アメリカのパンクバンド:ミスフィッツのようなサウンドが基調とされている。
同時にデジタルロックの要素も取り入れたサウンドもあり、海外を意識した活動している。
その証拠にアメリカ、ヨーロッパのレコード会社とも契約し、海外にも熱狂的なファンが存在し、
定期的に海外ツアーも行っている。

BALZACは、BUCK-TICKが、横浜アリーナの集大成ライヴ【Climax Together】を敢行した1992年、
京都でHIROSUKE(ヴォーカル)を中心に結成。
前身バンドASTRO ZOMBIES時代から、そのサウンドスタイルは、
アメリカの伝説的パンク・ロック・バンド、ミスフィッツの独特なホラーロックサウンド、
そしてデビロックと言われる独特のヘアスタイルを本格的に継承した
ホラー映画のイメージコンセプトを更に追求したホラーパンクバンドとして結成された。
(※1997年には再結成を果たした憧れのミスフィッツの初来日公演のオープニングアクトを果たした)

彼らが目標としたバンド:ミスフィッツ (The Misfits) は、
1977年のパンク・ムーブメントの最中に、
アメリカ合衆国ニュージャージー州にて結成されたアメリカン・パンク・ロックバンドだ。

結成当初はグレン・ダンジグ(vo、piano)、ジェリー・オンリー(b)、マニー(ds)
というギターレスの3人編成のバンドであったが、
1978年には新ドラマーとギタリストを迎えて4人編成となり、、
1979年にはミスフィッツ のシンボルとなる髑髏マーク”Crimson Ghost”や、
髪の毛を真ん中に垂らしたトレードマーク”Devilock”が登場、
現在のアイデンティティが確立された。

BALZACのHIROSUKEとギタリストのATSUSHIのヘアースタイルがまさに、
この”Devilock”のスタイルで、同時期にツンツンと髪の毛を立ち上げた
セックス・ピストルズ (Sex Pistols)のジョニー・ロットンや シド・ヴィシャスのスタイルと同様に、
パンク・ファッションのスタンダードな髪形である。

ミスフィッツは、その後、数々のメンバー・チェンジを繰り返しながら、
1980年当時15歳だったジェリーの弟であるドイル(g)が加入、
グレン、ジェリー、ドイルという黄金ラインナップとなる。
1982年に記念すべきファースト・アルバム『WALK AMOUNG US』、
1983年にセカンドアルバム「EARTH A.D./WOLF'S BLOOD」をリリースするが、
この頃にはバンドメンバーの不協和音が最高値に達し
同年10月のハロウィン・ライヴを最後に解散した。


BALZACのメンバーがこだわりを見せる“ハロウィン10月31日”ここから来るのだろう。
この日に、彼らは、次々とアルバムをリリースして行く。

1993年、ギターに現メンバーのATSUSHIの加入を機に精力的なライヴ活動を開始。
地元京都、大阪を中心にライブ活動を展開。

まずは、1995年10月31日、ハロウィンに、ファーストアルバム『THE LAST MEN ON EARTH』を、
大阪のインディーズレーベルのアルケミーレコードよりリリース。

1996年には大幅なメンバーチェンジを経て、ベースに現メンバーのAKIOが正式加入。
1997年10月31日ハロウィンに、インディーズレーベルPHALANX RECORDSに移籍し、
セカンドアルバム『DEEP-TEENAGERS FROM OUTER SPACE』をリリース。
1998年10月31日ハロウィンにサードアルバム『13 STAIRWAY -THE CHILDREN OF THE NIGHT- 』をリリース。

1999年3月にはSOBUTとのスプリットアルバム『OLDEVILS - LEGEND OF BLOOD』をリリースし、
カップリング全国ツアーも実施。
同年10月31日ハロウィンには、
この【BUCK-TICK FEST 2007 ON PARADE】のBALZACライヴで
オープニング演奏されたマキシシングル「INTO THE LIGHT OF THE 13 DARK NIGHT」が
リリースされている。


1980年代初頭に空中分解的に解散したパンクスのアメリカ代表ミスフィッツであったが、
1990年代に入り、一大ブレイクを見せるアメリカのハードロック/へヴィメタルの雄
メタリカやガンズ・アンド・ローゼズが盛んにこのミスフィッツのカヴァーを行い、
彼らの築いたアメリカン・パンクスの人気・評価は衰えるどころか、上がる一方だった。

グレンはそんな中、自己のバンド、ダンジグで一定の評価を得る。
(※ただし、ミスフィッツの先駆性を評価していた人達からは、あまり評判は良くなかったが)

一方ジェリー&ドイルはKRYST THE CONQUERORを新たに結成するが、
これは“MISFITS”という名の権利をグレンが無断で持っていってしまった為で、
グレン対ジェリー&ドイルの約10年間の裁判沙汰の末ジェリー&ドイルが勝訴、
1994年に新ドラマーと新ヴォーカリストを迎えて再結成を果たし、
1997年にサードアルバム「AMERICAN PSYCHO」をリリース、翌1998年初来日も果たしたのだ。

この再結成を果たしたミスフィッツの初来日公演の
オープニングアクトを果たしたのがBALZACであった。

ミスフィッツはその後ロードランナーに移籍、
1999年8月7日には富士急ハイランドで行われた
マリリン・マンソンのフェスティヴァル【ビューティフル・モンスターズ・ツアー】に参加した。
このイベントには、BUCK-TICKも参戦している。

2000年1月に再度来日したミスフィッツのライヴツアーには、BALZACが同行。
この時から憧れミスフィッツとの本格的な交流が開始した。
またTHE MAD CAPSULE MARKETSと全国ツアーも行うなど精力的なライヴ活動を展開する。
2000年12月には、ジャケットを丸尾末広が描き下ろした通算4枚目となるアルバム
『全能ナル無数ノ眼ハ死ヲ指サス』を発売しヴィジュアル系への傾倒も垣間見せる。

2001年秋、新しいドラマーとして現メンバーのTAKAYUKIが正式加入。

2002年1月には再びミスフィッツと3度目の日本ツアー全公演に同行。
3月20日にはミスフィッツとのスプリットシングル作品
『MISFITS & BALZAC/DON'T OPEN 'TIL DOOMSDAY』をリリースに至る。
この作品はアメリカでも同時発売され、BALZAC初の海外リリース音源となる。
4月に発売された通算5枚目のアルバムは、TAKAYUKIが叩く最新アルバムと、
1995年に発売され廃盤となっていたファーストアルバムの再録盤が2枚組となった
『TERRIFYING! ART OF DYING-THE LAST MEN ON EARTH II』としてリリースされる。
また同年10月31日ハロウィンの日、
アメリカ・NEW YORK/WWE THE WORLDにおいて、ミスフィッツ主催のハロウィンの特別公演にも出演し、
海外進出を達成する。

2003年8月にはアメリカにおいて単独作として初のベスト盤アルバム『BEYOND THE DARKNESS』を、
MISFITS RECORDS/RYCO DISCよりリリース。
それに伴い、ミスフィッツ、ダムド、THE DICKIES、アグノスティック・フロントらと
1ヶ月に渡る全米24箇所のアメリカツアーに参加する。
同年9月にはヨーロッパでの第1弾作品として、
ドイツのインディーズレーベル、G-FORCE RECORDSより
ベスト盤アルバム『OUT OF THE LIGHT OF THE 13 DARK NIGHT』をリリース。
同年発表した通算6枚目アルバム『CAME OUT OF THE GRAVE』は
ヨーロッパ盤、アメリカ盤として海外でもリリースしている。

2004年5月から6月にかけて
ドイツ、イギリス、デンマーク、チェコ、オーストリア、スイスを中心に約7週間、
33ヶ所に及ぶヨーロッパ・ライヴ・ツアーを敢行。
完全に海外と日本の両方で彼らの目指すホラーパンクロックが認知される。

2005年リリースのシングル「D.A.R.K」は
前年、ドイツの伝説の古城『FALKENSTEIN城』を借り切って撮影した
BALZAC初のホラー・ショートムービーを収録したDVDとの2枚組という特殊仕様でリリースされる。
同年4月には丸尾末広描き下ろしのアートワークがジャケットとなった
ミニアルバム『DARK- ISM』を発表する。

2006年3月には通算7枚目のフルアルバム『DEEP BLUE: CHAOS FROM DARKISM II』をリリース。

2007年3月にはヨーロッパでのレコード会社を岩神に移籍し、
移籍第一弾作品『PARANOID DREAM OF THE ZODIAC』をリリース。
またDIE ÄRZTEのドラマー、BELA B.とのSPLIT CDも同時発売し、
ヨーロッパでの活動を更に精力的に展開した。
同年、3月27日よりムックとのカップリングツアーを
ドイツのハンブルグ、ケルン、ミュンヘン、ベルリンで行い、
4月1日からは3度目の単独ワンマンヨーロッパツアーを決行した。


帰国後、BUCK-TICKの対バン形式ライヴツアー【PARADE】の
6月30日(土)大阪/Zepp Osaka公演に出演を果たし、
BUCK-TICK櫻井敦司との「スピード」のデュオを披露することになる。


そして来たるは、この2007年の9月8日、横浜。






横浜みなとみらい・新港埠頭特設野外ステージのスクリーンに、
【 BUCK-TICK FEST 2007 ON PARADE 】の髑髏が現れ、セットチェンジ終了を告る。
そしてそれが砕け散ったらスタンバイOKだ!

「BALZAC!!!」のコールが会場に響く。

清春の熱演で燃え尽きた大観衆の中で、ひと休憩でも取ろうか、と考えていたオーディエンスは、
このフェス【 ON PARADE 】に、そんな暇など存在しないことを思い知ることになる。

初っ端から拡声器でガナリ立てるHIROSUKEとパンキッシュな激しい超高速ビートに、
自然にヘッドバンキングしたくなってくる。

スピーディな演奏を聴かせるBALZACの面々は、このフェスでも最多の楽曲数7曲を、
このステージに盛り込んで見せた。

そのライヴは不穏な雰囲気を醸し出すSE「PSYCHE DUNGEON」から始まり、
映像収録された「INTO THE LIGHT OF THE 13 DARK NIGHT」へと流れていく。
猛ラッシュを魅せるBALZACのパンク・ビートが
3曲目の「DAY THE EARTH CAUGHT FIRE」まで一体感を魅せつける。

HIROSUKEの言う「野外が似合わない」なんて嘘だ。
突き抜ける青空にパンキッシュな咆哮が突き抜ける。

4曲目にセットされたBUCK-TICKトリビュート「MOON LIGHT」も、
メンバーが各自、BALZACに参加する以前にコピー・カヴァーしていた楽曲というの頷ける。

疾走感もそのままに、ビートパンク時代の初期BUCK-TICKを思わせる
チープでキャッチーで、ナスティなビートが迸る。

このトリビュート・ナンバーで折り返すと、
最後まで重低音の効いたイカしたパンクスロックを聴かせてくれた。

前述のパンク・バンド、ミスフィツと共にツアーを周るなど国内外で活躍するBALZACは、
本場欧米で鍛え抜かれたスピード感溢れるライヴアクトで、
その実力をBUCK-TICKファンに知らしめた。

当日は台風9号の吹き返しが強く、後方の客席には音が届きにくかったが、
BALZACの低音は最後部まで力強く真っ直ぐに届いていた。

炎天下の中、拡声器型マイクでオーディエンスを煽り、
図太いリズムにテクニカルなギターが呼応していく様は全てが日本ロック・シーン規格外。

認知度のため、冒頭3曲はただ圧倒され立ち尽くす観客の姿も見受けられたが、
BUCK-TICKのトリビュート・ナンバー「MOON LIGHT」が繰り出されると、
多くのオーディエンスが拳を振り上げ爆音に身を委ねていた。

結局、その後に、休憩を取るなんてことは不可能だった。

怒涛の爆音を響かせ、アメリカ、ヨーロッパを渡り歩いた実力は伊達ではなかった。

HIROSUKE(西山裕介)ヴォーカルのガナリ・パンキッシュ・ヴォイスも、
ATSUSHI(中川淳)ギターの憂いを含むメタリックなサウンドも、
AKIO(今井昭生)ベースの太いタトゥーだらけの腕からヒネリ出されるグルーヴも、
TAKAYUKI(真鍋貴行)ドラムから繰り広げるハードロックの咆哮も、

すべてが、本物のライヴ・バンドのソレであった。


会場横の観覧船からは、BUCK-TICKのクリエーターにして、
初期BTパンク・ロック時代を牽引した今井寿が、興味深く彼らのライヴ・アクトに魅入っていたらしい。

結局、彼らは不得意と話す野外で、嵐のように合計7曲ものパンクを走らせ、
颯爽とステージを後にした。


プレミアの付いたBUCK-TICKインディーズ・アルバム『HURRY UP MODE』の
オリジナル盤にメンバーにサインを貰い、
満心の笑みで、ファンの素顔となっていたHIROSUKEではなく、
このフェス【ON PARADE】のステージには、プロ中のプロ“BALZAC”の姿があった。

だから、こそ、BUCK-TICKは、彼らにトリビュート、そして、フェス参加の依頼をしたのだ。
その思惑は、見事に当たり、少なからず、BUCK-TICKメンバーのロック・ライヴへの炎に、
ガソリンを注ぐことになる。


そうだ。


真っ赤に燃えるんだ。



【BALZAC SETLIST】


SE PSYCHE DUNGEON
1.INTO THE LIGHT OF THE 13 DARK NIGHT
2.NOWHERE♯3
3.DAY THE EARTH CAUGHT FIRE
4.MOON LIGHT
5.WALL
6.JAPANESE CHAOS
7.XXXxxx






※グレン・ダンジグは、マリリン・モンローの死を取り巻く噂に非常に興味を持っていて、
ミスフィッツというバンド名は、
モンローの遺作である映画『荒馬と女』(原題:The Misfits)からとったものである。






into the light of the 13 dark night
(作詞:HIROSUKE/作曲:ATSUSHI)


Deep Inside
The end of the dark
Looking for the hope
What I can see
In the otherside
I don't know how
Filling with hatred and violence
Filling with pressure and violence
No break down
and I never give in
Now
I looking for truth in my arm