2006年12月29日【THE DAY IN QUESTION】
アンコールSET LIST

SE: ENTER CLOWN
16.降臨
17.ROMANCE
18.蜻蛉ーかげろうー
19.夢魔-The Nightmare


ある意味に於いては、予想通りの“Gothic Show”が、繰り広げれれたと言えよう。
しかし、今回のステージ・セットのせいか、前年まで徹底した演出から楽曲自体が離脱し、
各曲毎に、そのイメージ世界の個性を派生していったような瞬間であったとも言える。

たしかに、ゴシックという世界観は共通のモノであるが、
この年の【THE DAY IN QUESTION】から
「降臨」にしろ、「ROMANCE」にしろ「夢魔-The Nightmare」にしろ、
アルバム『十三階は月光』のストーリーを離れ、各曲が、異質な光を放ち始めていた。

2005年のライヴツアー【13th FLOOR WITH MOONSHINE】での完璧なまでに美しい、
ステージ上での演劇世界の宮殿は、取り壊され、その骨組みとも言える各楽曲の素材だけが、
時空を超えて、此処に在る。

ステージ中央には「祭壇へ向かう階段」も「覇王の椅子」もなく、
櫻井敦司は、シンプルにマイクスタンドの定ポジション、立ったまま、唄う。

特別な演出がなくても、充分に楽曲の迫力で、我々にゴシック世界を描いてみせる。
まるで、無駄な装飾を取り払って、我々の心の中に“非日常的宮殿”を構築するが如くに。

そう、“神”や“悪魔”といったモノは、その存在が、実体化して存在していない。
いつも、我々の心のともに在るのだ。

そして、それを呼び寄せ、“降臨”させるのは、その自身の心の意志。
その切欠が、楽曲で謳われる“呪文”なのかもしれない。



「降臨」の次にアンコールにエントリーした楽曲「ROMANCE」は、
まさに、そんなことを想わせる魔術だ。



ヤガミ“アニイ”トールのカウントする声とスティックの音が、マイクに通り、
日本武道館に響く、今井寿と星野英彦が、ユニゾンで、印象的なイントロを奏でる。

これだけで、僕は、様々なシーンに想いを馳せる。

名が体を表す楽曲と言えよう。
リスナー自身が、様々な「ロマンス」を思い浮かべながら、
この「ROMANCE」を聴く事になる。

名曲とはそういったものだ。

はじめ、櫻井敦司によって描かれた歌詞世界は、ヴァンパイアのロマンスであった。
それは、ブラム・ストーカーの「ドラキュラ」をモチーフに書かれたように思えたが、
後に、アルバム『十三階は月光』に収録されるに至り、今井寿の手により
「ROMANCE-Incubo-」と名を変え、同アルバムのメインストーリー“夢魔”の要素を含むものとなった。

この段に至り、「ROMANCE」は、吸血鬼のロマンスを謳った楽曲から、
“魔”に魅せられし者たちの嘆きの唄とその結末という物語性を内包するようになった。
そこに在ったのは、堕天使ルシファーの“誘惑”の“魔”と、
その“誘惑”に関わる様々な者たちの思惑、嘆きのロマンスと変容を見せていく。
その代表例が、キリスト教世界の最古の教典『旧約聖書』に綴られる人間の起源「アダムとイヴ」の物語。

“魔”の誘惑に負けた愚かなる被造物=人間は、
ここに、絶対なる神との契約に違反し、“原罪”を負うことになる。

しかし、神=イエス以外に、
この“原罪”を免れた人間が存在していた。
神の子イエスを孕んだ聖母マリアである。

アダムとイヴ以来、人類は“原罪”という宿命を背負うことになったが、
神の子イエスには、原罪はない。
であればこそ、彼は穢れのない処女の胎に、聖霊の力によって宿った訳であるが、
それと同じことが、マリア誕生の時にも起こったといういうのだ。
この信仰箇条を「聖母無原罪のお宿り」という。

1854年、時のローマ法王ピウス9世が、この「聖母無原罪のお宿り」の大勅書を発した。
これにより、マリアは“公式に”人間ではなくなった。
人間ではなく、“キリスト教の女神”へと昇格したのだ。


受難の末、一度死して、復活を遂げる。
そして、“聖霊”として、天空に上ったイエス・キリスト。
この計画が、人類の“原罪”を償う為の行為であったがために、
その母マリアは、人間としての“母親”という立場の範囲では、納まらなくなった。
彼女は、全人類の“母”なる“女神”としての“降臨”を余儀なくされたのだ。


それはなぜか?


それは、やはり、人類が、“原罪”を背負っているからであろう。
人類は、不完全なのだ。
だから、愛おしい相手を強く強く求める。
“愛”の起源である。

悪魔と同様に、“人類”も愛を欲している。
そして、不完全な人間が求める“愛”は、相手が誰でもいいという訳ではなかった。
不完全が故に、自身の喪失したものを補う作用が必要であった。

だから、僕は、あなたを求めるのだ。


それは、ヴィラド伯爵(ドラキュラ)にとっては、エリザベート。
そして、その魂の生まれ変わりミナ・マーレイとして“降臨”したが、
この女神の降臨は、全人類を相手にしたものではなかった。

それは、ごく、プライベートな“ぬくもり”を有する個人的な“女神”である。

それは、何も、神格化したイエスや、マリアに限らず、
神の被造物=愚かなる原罪を持つ人間にも、当てはまるだろう。

なぜならば、創造主“神”は、自分に似せて、“人間”を創り出したからだ。

そして、女神という存在は、各個人のみで、特別な意味を持つ。

僕の“女神”が、あなたの“女神”とはならないし、
逆も、そのまま当てはまるのだ。

あなたは、誰か、ひとりだけの為に“女神”として降臨すればいい。

そこに、“ROMANCE”の真髄がある。


僕の“ROMANCE”は、あなたの“ROMANCE”ではない。

各個人のかけがいのない“ナニカ”である。



そして、その“ナニカ”は、人それぞれに、様々な色に、
“GLAMOROUS”に輝くのだ。

そんな「ロマンス」を想い浮かべながら、この「ROMANCE」が日本武道館に木霊する。

桜井敦司は、やはり、この夜もステージ中央の赤いスポット・ライトの中で跪く。


「嗚呼 こんなに麗しい跪き祈りの歌を」


そして【THE DAY IN QUESTION】のアンコール「ROMANCE」が終曲すると、
まさに、これは、真夏の世の夢であった、と言わんばかりに、
BUCK-TICKの最新シングルがエントリーする。


アンコールの3曲目は「蜉蝣ーかげろうー」。

櫻井敦司のMC

「外は寒いそうです。 真夏の歌をやらなければいけません。」

とコールされてパフォーマンスされる「蜉蝣ーかげろうー」。

「愛おしい あなたを想い闇駆ける
 扉が開く 世界が開く この世に生きた証」


この楽曲を聴いていると、この壮大な一大ロマンス叙事詩「ROMANCE」も、
夏に日の“陽炎”とともに光に中へ消えていくようであった。
そして、想うのだ。
やはり「蜉蝣ーかげろうー」は、「ROMANCE」の続きを唄っているのだ、と。
おぼろげに灯る“命の残滓”は、天使たちから隠すように消した“月の灯り”。
この物質としての肉体は、蜉蝣のように脆く朽ち果てても、
僕の思惟もあなたも思惟も、ロマンスの中に封じ込まれたまま。

そして、“命”の“花弁”は、散るからこそ、美しく…。

“有限なる物”の希少性。

それは、夢の如く、に。

沈みゆく太陽、空に煌く星
波の音と、俺とおまえBaby ,I Love You.
いいか忘れるなよ、いいさ忘れちまえ
この世は全部、おまえの夢、Baby ,I Love You.

無常だ、無常だ、無常だ 
蠢く、渦巻く、荒れ狂う 
退くか、戦闘か、生き抜け!

ダイジョウブなのです。
誰かが言っていた。
ダイジョウブなのです。
キメテいるのです。

「死ぬまで…生きると」

あなたと僕は、個人では、方輪だ。
喪失したモノを補い合った瞬間に、
それは、“GLAMOROUS”なキラメキの中に、消えて逝くのです。



「嗚呼 いつしか腐りゆく跡形も無く消えてゆく」



しかし、この光の中に消えていく“ナニカ”こそが、
“Gothic”の本質のようでも、あった。






だから・・・


“花”を飾ろう。


ひとつは君の死の窓辺に。


ひとつは僕の死の窓辺に。


ありがとう。






ROMANCE-Incubo-
 (作詞:櫻井敦司 / 作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)


月明かりだけに許された
光る産毛にただ見とれていた
眠り続けている君の夢へ
黒いドレスで待っていて欲しい

ああ 君の首筋に深く愛突き刺す
ああ 僕の血と混ざり合い夜を駆けよう
月夜の花嫁

天使が見ているから月を消して
花を飾ろう綺麗な花を

ああ ひとつは君の瞼の横に
ああ そしてひとつは君の死の窓辺に
闇夜の花嫁

ああ こんなに麗しい跪き祈りの歌を
ああ 今夜も血が欲しい闇をゆき闇に溶け込む
ああ こんなに麗しい跪き祈りの歌を
ああ いつしか腐りゆく跡形も無く消えてゆく

ROMANCE

ああ そして最後の場面が今始まる
ああ 君のナイフが僕の胸に食い込む
そう深く・・・さあ深く
ああ こんなに麗しい 跪き祈りの歌を
ああ 今夜も血が欲しい闇をゆき闇に溶け込む
ああ こんなに麗しい跪き祈りの歌を
ああ いつしか腐りゆく跡形も無く消えてゆく


【ROMANCE】