2006年12月29日【THE DAY IN QUESTION】。
アルバム『極東I LOVE YOU』は、センシティヴという意味においては、
超大作『Six/Nine』の焼き直しとも言える要素を有していたが、
そのアルバムからの2曲「Long Distance Call」「極東より愛を込めて」で、
クライマックスを演出すると、本編ラストナンバーの「鼓動」に突入していく。
ここら辺の展開も2004年の復活スペシャルライヴ【悪魔とフロイトーDevil and FreudーClimax Together】
のシリアスな展開を思わせる。
巨大な宇宙(ソラ)と母なる子宮(ウミ)を繋ぎ合わせるような「鼓動」。
ブルーライトが優しく日本武道館を包み込む。
この楽曲は、無機質に感じた鉄骨のステージ全体が、繭に包まれているように見える。
櫻井敦司が唄い終わった後も、今井寿がメロディをリフレインさせて余韻たっぷりに本編は終幕する。
そして一回目のアンコール。
SEは「ENTER CLOWN」。
ここまで最新アルバム『十三階は月光』からのエントリーがないことからも、
前年同様にアンコール1はこのアルバムからのミニ・ゴシック・ショウが繰り広げられることを、
オーディエンスは、すでに予想していただろう。
このSEが流れている間、幕はまだ下がったままで、
クラウン、ディアボロ、象などの怪しげな見世物小屋のような絵が、
ステージの幕や武道館の天井に映し出される。
この楽曲の間、オーディエンスは手拍子をしてこの“GOTHIC”な第二部を盛り上げている。
そして
「十三秒を過ぎ その時は来る」
アンコール一曲目は、「降臨」。
ステージの中が、幕を通して透けて見える。
楽曲が始まると、幕が上に上がっていき、日本武道館の高い天井の上方で、
そのまま、スクリーンのような状態で止まる。
ゴシックな残像がこのスクリーンに映し出されるのだ。
“時計”がゆらめきながら映し出され、午前零時を告げる。
今宵も受肉し、復活する“魔”が降臨する。
ヤガミトールのドラムカウントが秒針を刻む。
ゆっくりと櫻井敦司が唄い出す「降臨」。
ブルーのライトな中、櫻井敦司だけが、赤いスポットで抜かれている。
櫻井は天を見上げて、「出でよ」と捧ぐ。
今井寿のシルバー・ポッドが、魑魅魍魎の蠢く姿を表現する。
ステージは、徐々に櫻井敦司の赤に青が飲み込まれていく。
一度死に。
そして、“復活”を遂げる者は、
神となって崇められる。
まさに、コミック『ベルセルク』で復活したフェムト(グリフィス)など、その顕著な例であるが、
『20世紀少年』の“ともだち”も正に、その“復活”の儀を利用して、全世界の権力を我が物にしようとした。
これ等、物語のモチーフはやはり、イエス・キリストに間違いない。
イエスが磔刑に処されたゴルゴダの丘で、絶命した3日の後に、
マグダラのマリアたちは、イエスの遺体に香油を塗るべくイエスの墓にやってきた。
すると墓地の前に置かれた大きな石が脇に置かれ、なかには、白く長い衣を着た青年が座っていた。
婦人たちはひどく驚いた。
「驚くことはない。あなた方は、十字架に掛けられたナザレのイエスを捜しているのだろう?
だが、あの方は復活なさってここにはおられない。
さあ、行って、弟子たちとペテロに告げなさい。
あの方は、あなた方より先にガリラヤに行かれる」
――イエスは本当に復活したのか?――。
弟子たちは半信半疑であった。
そしてその後、11人の弟子たちが食事をしている時に現れたのだ。
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を述べなさい。
信じて、洗礼を受ける者は、救われるが、信じない者は滅びの宣告を受けるだろう…」
弟子たちは、亡霊を見たのだと感じ、恐れおののいた。
「なぜ、うろたえているのか……私の手や足を見なさい。まさしく私だ……」
イエスは自分が生きていることを使徒たちに示し、40日に渡り彼らの前に姿を見せ、
神の国について話した。
40日後、使徒たちをベタニアのあたりまで連れていき、手を上げて祝福された。
そして、祝福しながら、彼らから離れ、天に昇った。
イエスは神となったのだ。
「神の子」イエスは、その時、「神そのもの」になった。
歴史上の人物が、永遠の神になる。
それが人間であるならば、一度死んだ肉体が甦るわけがない。
しかし、イエスの弟子たちは、イエスの復活を絶対的事実として受け入れた。
その時点で、「神の子」イエスは人ではなく、「神そのもの」となったのだ。
この復活を大前提にすると、イエスを通常の人間と同じ存在として描き出すのは不可能だ。
というのも、人間は唯一の主=神が、土から創り出された神の被造物であり、
源祖の人アダムとイヴから“原罪”を背負った存在。
だからイエスは、無原罪の処女マリアから、性交なしに生まれたという神聖受胎神話が作り上げられた。
けれども、イエスが「神そのもの」とした場合、やっかいな問題が残る。
「神の子」が、なぜ、わざわざこの穢れた地上に誕生し、愚かな人間に手にかかって刑死しなければならなのか?
神が人間に殺されるなどという理不尽がありうるのか?
これについて、イエスの弟子たちは、彼が人類の罪を清算するために、
あえて地上に降臨・受肉して、予定通りに人類に代わって十字架にかかったのだと理解した。
福音書中最古の「マルコによる福音書」には、すでにイエスが、
こうした運命を了解したうえで宣教を行っていたことを示唆する言葉がある。
「人の子(=神の子イエスのこと)は、
多くの苦しみを受け、長老や司祭長、律法学者たちによって棄てられ、
かつ殺され、そして、3日後に甦らなければならない」
つまり、神の子イエスはすべてを知っていた。
その上で裏切りに会い、十字架にかかり、復活し、再び地上に“降臨”したのだ。
後に、異端として退けられた「経綸三位一体論」という説が存在した。
3世紀のサべリウスによって唱えられた「神」と「人」の和解の為に、
イエスは地上に降臨したのではないか?という説である。
それによると、神は、三度の啓示のプロセスで自己を表したという内容で、
まず父なる“創造主”として契約の民たるユダヤ人に自己を啓示し、
次に、“イエス・キリスト”となって人類に自己を啓示し、
最後に、昇天して、“聖霊”として自己を啓示したというもの。
この3段階は、順に「創造・和解・完成」という、神の創造プロセス(経綸)にあたっている。
神はまず、天地宇宙と人類を「創造」した。
しかし、その創造の過程でアダムとイヴが“原罪”を犯し、人類は神から離反した。
無論、悪魔ルシフィルの“誘惑”が原因である。
そこで、神はイエスとなって地上に現れ、磔刑に処されて人類の罪を贖うことで「和解」への道を示された。
そのうえで、イエスは、自分が神であることの“しるし”として、数々の奇跡の業・そして復活を示し、
昇天後は聖霊となって人類に啓示をもたらした。
これにより、神の創造は「完成」を見た。
しかし、サべリウスの説【経綸三位一体論】自体は、正統派から否定された。
完全であるはずの神が、段階的に完成に向かうのは理屈に合わない。
そこで、神は創造以前から完全なるものであり、
「父と子と聖霊」も創造以前から一体であったという説が、正統教義として、
325年のニカイア公会議で採択されたのである。
この時に採択されたのは
「つくられざる、同質なる、とも永遠なる三位一体」――「内在位三位一体論」。
すねわち、「つくられざる」=イエスが被造物ではなく、造り主の側にある絶対者ということを意味する。
また、「同質なる」というのは、父なる神と子なるキリストと聖霊の三者が、
世界創造以前から同質であって、異質のモノではないということを示す。
「ともに永遠なる」というのは、ただこの三者のみが永遠者であって、
ほかの一切の有限なる被造物とは峻別されることを意味する。
かくしてイエスは、歴史的存在から歴史を超越した神へ、
創造主と全く同質の、永遠なる神へと昇格していった。
然るに“降臨”する者は、“人ならざるもの”の宿命を持つ。
この“空を裂いた”産声は、その人から聖なる者への変身【REBIRTH】の呻きだろうか?
2006年12月29日【THE DAY IN QUESTION】
アンコールSET LIST
SE: ENTER CLOWN
16.降臨
17.ROMANCE
18.蜻蛉ーかげろうー
19.夢魔-The Nightmare
降臨
(作詞:櫻井敦司 / 作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)
午前零時 針が止まる
獣たちは 息を潜める
午前零時 針は震え
十三秒を過ぎ その時は来る
白蓮の浮かぶ水面が揺れる
外道が歌う声高らかに
産声空を裂いた
時は刻むただ静かに
耳を劈くその時は来た
十字を飾る 血塗られている
悪魔が歌う 声高らかに
産声空を・・
目覚めるがいい 夜が今始まる
夢見るがいい 夜が今産まれる
もがき 産まれ
足掻き 歌え
もがき 産まれ
足掻き 歌え あああああ・・
