なぜ、この曲を聴くと心が痛くなるのだろう?




 
日本武道館が暗転すると暗いステージに浮かび上がる櫻井敦司のシルエット。

「聞こえる・・」

と左手を耳にやって耳をすます櫻井には、母の声が、聞こえるのだろうか?


聖母マリアは、哀しみで“血”の涙を流す。
「JUPITER」の一節では、これを“赤い雫”と・・・

「頬に濡れ出す赤い雫は せめてお別れのしるし」

慈愛の涙である。


カトリック教会には、イエスの母マリアを聖母として崇める聖母信仰がある。
カトリックで使用されるロザリオは、聖母マリアへの祈りを捧げる為の数珠だ。
また、マリアは慈愛に満ちた母なるべきものすべてのシンボルである。

ただし、この聖母信仰も日本人にとってはわかりづらい一面がある。
というのも、聖母マリア像は日本では拝まれる対象として、奇跡を起こす“女神”と信じられているからだ。

が、カトリックでは、父なる神とその子イエス以外に神はありえない。
よってマリアは女神ではなく、人間の女という位置付けになる。

一方、プロテスタントでは、信仰上マリアは女神だが、キリスト教が一神教である以上、
それを声高に宣言するわけにもいかず、人間に与えうる最高の称号・地を作り出し、
マリアに付与し、限りなく神に近い存在に押し上げた。
その為、本質はますますわかりにくいものになってしまった。

イタリアのチベタベッキアにあるマリア像が、1995年2月2日から3月15日にかけて、
計14回にわたって血の涙を流した。

マリアの頬に“赤い雫”が伝った。

チベタベッキアの司祭区は像の調査を依頼、
歴史家や神学者、医者らが協力して10年がかりの検証が行われたものの原因は特定出来ず、
調査団は全員一致の見解として、
血の涙は現代科学では説明できない超常現象である、とコメントした。


イタリア・チベタベッキアの例は血の涙であるが、
普通の赤くないものも含めて涙を流すマリア像は、世界各地で確認されている。
マリアに限らず聖像にまつわる奇跡は、信仰心を過剰に刺激するものとして、
ヤラセの影が常につきまとうのは仕方ないことだ。
事実、人の手によるイカサマと判明した事例もある。
しかし、なぜ、人はマリア像に涙を流させたがるのか?
そして、イタリアのチベタベッキアの例のように、中には人知の及ばない、まさに超常現象も存在する。

1983年、ベルギー北部のマースへレンに住むカトリック教徒所有のマリア像もそのひとつで、
やはり、血の涙を流したこの像は、のちにX線で調査されたが、
いっさいトリックなどないことが判明した。
採取された涙が分析にまわされると、さらに驚くべきことがわかる。
なんとそこには、人間の涙と同じ種類のタンパク質と塩分が含まれていたというのである。

マリアは涙で、いったい何を訴えたかったのか?

『ヨハネによる福音書』の中には、十字架に掛けられたイエスが、母であるマリアに対して、
「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」
と、マグダラのマリアを紹介するシーンがある。
そして、イエスは、叫んだ
「エリ、エリ、レマサ、バクタニ(我が神、我が神よ、なぜ私を見捨てたか)」

そうして、絶命していく救世主イエスを看取る聖母マリア。

彼女の頬には、“赤い雫”が伝っていた。



ФФФФФФФФФФФФ



BT新教典『ONE LIFE、ONE DEATH』での、デジタル・テイストを如実に反映した
アルバム『Mona Lisa OVERDRIVE』の双子のアルバムといわれる『極東I LOVE YOU』では、
新教典CONTENTSから、「カイン」や「女神」で紹介されたような宿命的ゴシックテイストと、
戦闘の炎によって喪失した“愛”の在処を「RHAPSODY」「FLAME」で表現したような
ノスタルジックなセンシティヴな魂としてクローズアップされる。

『極東I LOVE YOU』のサウンド自体は、非常に素材的にシンプルであるが、
その構成力によって、まるで、シネマ・ストーリーを見るかのような物語性を有していた。
中でも、そのメインストーリーといえる「Long Distance Call」「極東より愛を込めて」は、
開示的な祈り、希を込めて唄われている。
その順序とおりに、2006年の12月29日の日本武道館で、セットリストに組み込まれた。


「もう しばらく会えないんだ おやすみ言うよ
 この電話 最後に それじゃ・・・」



今井寿が、スティックのテルミンで、母の子宮の音を再現する。
暗転していたステージが、一斉に慈愛の光に包まれていく。
ヤガミトールのドラムブレイクが決まると、
樋口豊が、絶妙なタイミングで、ベースをスライドさせる。
微かに、空間を充満させていく星野英彦のアコースティックの哀愁。

今宵も・・・、

櫻井敦司が、天に向かい、今宵も、唄っている。

それは、母、すべての母なる者へ捧げる、唄(call)。

天は高く、高く、我々の“夢”や“愛”を降り注いでくれる。

・・・まるで、慈愛の涙のように。


そして、あなたも人の母となるのだ。

“愛”を降り注いで欲しい。



マリアは、神でも、それに次ぐ、絶対的な神聖なる人物でも、ない。


“母”だ。


ただの“母”だ。


彼女は、宿命を奇跡で捻じ曲げる力など有していない。


だから、“赤い雫”が頬を伝う。



ただただ、哀しいのだ。


現実が、我が子を苦しめるから・・・


超常現象的な力で、我が子を救ったりしない。

我が子の、宿命を信じ、愛しているから。


だから、悲劇には、ただただ、赤い雫を零すのだ。


我が子を、例え、その子が、その渇望の“夢”に生き、
その人生を全うして、この世を去ったとしても、
それでも、よくやったね、言いながら、贈りたいのだ。

そして、込み上げる哀しさに、“赤い雫”が零れるのだ。


ただ、それだけ・・・

でも、それ以上にありがたいことは、ない。


だから、僕らも言おう。


恥ずかしがらずに・・・


「愛している」と。

「あなたの子として、生まれてよかった」と。


空より高い、天に向かって・・・。



もう一度、ここで会えるなら
こんどは上手に笑うから
キラメク海が枯れたなら
最後は愛と笑うから



「ありがとう」

我が母へ 

そして、すべての母となる者へ、捧ぐ。





Long Distance Call
 (作詞:櫻井敦司 / 作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)


「聞こえる 聞こえるかい もう眠っていたんだね
聞こえる 聞こえるよ ごめんよ起したね

そう 大事な話なんだ 笑い話かも ああ・・・

聞こえる 聞こえるかい もう少しこのままで
聞こえる 聞こえるよ ありがとう聞いてくれて

もう しばらく会えないんだ おやすみ言うよ
この電話 最後に それじゃ・・・

愛しているよMama 他には何も無いさ
愛してる 愛してる 他に何も

愛しているよMama もう上手く話せないよ
愛してる 愛してる 他に何も

もう しばらく会えないんだ おやすみだけを
この電話 最後に じゃあね・・・

愛しているよMama 他には何も無いさ
愛してる 愛してる 他に何も

愛しているよMama もう上手く聞き取れないよ
愛してる 愛してる 他に何も

心が壊れてく 誰かを傷つけにいく
止まらない 止まらない 俺はいくよ

愛しているよMama もう上手く話せないよ
愛してる 愛してる 他に何も・・・」

【ROMANCE】