人生は、死へ向かうタイトロープか?
2006年の【THE DAY IN QUESTION】の6曲目にプレイされた「GLAMOROUS」で、
光の中へ、溶けるように消えていったBUCK-TICK。
その後の世界には、まるで水中に沈んでしまった帝国の大地に、
満天オーロラ発光鉄パイプで組み上げられた巨大な天の川が、
彼の地(かのち)に、墜ちたかのようなステージを再現していた。
此処は、ソドムとゴモラ、廃墟と化した欲望都市「TOKYO」か?
その水中都市の赤い海の底から、
青い光を放つ“ロープ”。
今回は、この巨大な天の川が、我々を銀河の彼方へと連れて行ってくれる
タイトロープなのだろうか?
もし、この光輝く、タイトロープの先に、あなたがいるなら、
走る独り、暗い空を、泳ぐ独り、深い闇を、あなたに、逢えるなら…。
「Tight Rope」は、アルバム『COSMOS』に収録されるが、
この2006年の【THE DAY IN QUESTION】の後、展開される一大モニュメント、
メジャーデビュー20周年記念の【PARADE】の一連の活動の核となる2枚のシングル盤の一枚に、
カップリング収録される。
『RENDEZVOUS~ランデヴー~/MY EYES & YOUR EYES(セルフ・カバー)』
そして、
『Alice in Wonder Underground/tight rope(セルフ・カバー)』
新アレンジでの再録作品として、リリースされる「MY EYES & YOUR EYES」と「tight rope」。
ややリズミカルなバンド・サウンド・アレンジとなっており、
特に「tight rope」は、オリジナルの「Tight Rope」のアンニュイな空気感から、
ノスタルジックなセンチメンタルな作風の楽曲へと昇華した。
このアレンジの好みは、各個人によって好みが分かれるところであろうが、
(※僕個人としてはオリジナルに一票入れたい)
この2006年12月29日には、すでに、この楽曲の再アレンジ計画が進んでいたのであろう。
この日のパフォーマンスも、オリジナルに近い前半部を通り抜けると、
後半部に入り、新アレンジのアイデアを垣間見ることが出来る。
まさに、「Tight Rope」から「tight rope」へと綱渡りするかのような、
そんなパフォーマンスとなった。
この海底帝国に、墜落した巨大な天の川の上に、現世(うつせ)があるかのように、
光を求めて、櫻井敦司が手を伸ばす。
或いは、その上に在る“ナニカ”は、天の国“死”なのかもしれない。
その“ナニカ”わからないモノを追い求めて、手を伸ばす、
その先に、あるのは、天使のざわめきか?悪魔のささやきか?
天に高く伸びた天の川を、発光鉄パイプをつたい辿りつこうする櫻井敦司。
身体をそれで支えるようにして、のけぞるように“天”を見上げながら唄う。
この組み上げられた鉄パイプは、天獄への螺旋。
その時、櫻井敦司の赤いマフラーが背中の方に回っていて、
のけぞる櫻井の背中に、赤いマフラーが下がり、彼をこの海底に引き留めるようかのだ。
鉄パイプから離れ、フロアに飛び降りると、綱渡りするように、両手を広げて、
ヨタヨタと歩きながら唄う櫻井敦司。
シリアスな展開の2006年の【THE DAY IN QUESTION】は、少し出口が見えないようだ。
「死の匂いだけが頼り」
本当に、そんな、気がする。
あなたに、逢えるなら。
◆◇◆◇◆
あの日以来、僕は何だか、新造の大きい船にでも乗せられているような気持だ。
この船はいったいどこへ行くのか。それは僕にもわからない。
未だ、まるで夢見心地だ。
船は、するする岸を離れる。
この航路は、世界の誰も経験した事のない全く新しい処女航路らしい、という事だけは、おぼろげながら予感できるが、
しかし、いまのところ、ただ新しい大きな船の出迎えを受けて、
天の潮路のまにまに素直に進んでいるという具合いなのだ。
しかし、君、誤解してはいけない。
僕は決して、絶望の末の虚無みたいなものになっているわけではない。
船の出帆は、それはどんな性質な出帆であっても、
必ず何かしらの幽(かす)かな期待を感じさせるものだ。
それは大昔から変りのない人間性の一つだ。
君はギリシャ神話のパンドラの匣という物語をご存じだろう。
あけてはならぬ匣をあけたばかりに、
病苦、悲哀、嫉妬、貪慾、猜疑、陰険、飢餓、憎悪など、
あらゆる不吉の虫が這い出し、空を覆ってぶんぶん飛び廻り、
それ以来、人間は永遠に不幸に悶えなければならなくなったが、
しかし、その匣の隅に、けし粒ほどの小さい光る石が残っていて、
その石に幽かに「希望」という字が書かれていたという話。
それはもう大昔からきまっているのだ。
人間には絶望という事はあり得ない。
人間は、しばしば希望にあざむかれるが、
しかし、また「絶望」という観念にも同様にあざむかれる事がある。
正直に言う事にしよう。
人間は不幸のどん底につき落され、ころげ廻りながらも、
いつかしら一縷(いちる)の希望の糸を手さぐりで捜し当てているものだ。
それはもうパンドラの匣以来、オリムポスの神々に依っても規定せられている事実だ。
楽観論やら悲観論やら、肩をそびやかして何やら演説して、
ことさらに気勢を示している人たちを岸に残して、
僕たちの新時代の船は、一足おさきにするすると進んで行く。
何の渋滞も無いのだ。それはまるで植物の蔓(つる)が延びるみたいに、
意識を超越した天然の向日性に似ている。
(太宰治『パンドラの匣』より)
◆◇◆◇◆
そうして、人類は幾つもの“パンドラの匣”を開けてきた。
そして、開けては、後悔し、懺悔し、罪を罰に替える。
そして、また、新しい“パンドラの匣”を開けてしまうのだ。
くりかえし…くりかえし…“Loop”。
そうして、また、歴史が書き上げられる。
そういう意味で、人間は、愚かな存在…。
それを悟ってしまうことは悲劇だろうか?喜劇だろうか?
たしかに、滑稽では、或る。
「Tight Rope」は、芥川龍之介の童話『蜘蛛の糸』なのかも知れないのだ。
天才の名を欲しいままにした彼もまた、
1927年(昭和2年)7月24日、田端の自室で雨の降りしきる中、
服毒自殺をおこない、社会に衝撃を与えた。
『蜘蛛の糸』のあらすじ。有名な話なので簡単に。
『蜘蛛の糸』は3つの段落から構成される。
「一」では朝の極楽の風景が語られ、真っ白な蓮の花が香ばしい匂いを発している。
お釈迦様が散歩していて、極楽の池の真下は、ちょうど地獄の底になっていることが語られる。
池から下をのぞきこむと、地獄の底で、“かんだた”という大泥棒が苦しめられていた。
気まぐれなお釈迦様は、不図、大悪人の“かんだた”も、一度だけ善行をしたことを思い出す。
彼は、足元の蜘蛛を踏み潰さずに助けたことがあったのだ。
お釈迦様は、その報いに、“かんだた”を地獄から助け出してやりたいと思った。
これが、自意識過剰だったのだろうか?それとも気まぐれ?
蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が糸をかけていた。
お釈迦様は、試しに蜘蛛の糸を地獄にたらしてみたのだ。
「二」では一転して、地獄の亡者どもの様子を描く。
蜘蛛の糸を見つけた“かんだた”は、欣喜してこのタイトロープを登り出す。
しかし、地獄から抜け出すのは何万里もあり、長い蜘蛛の糸であった。
“かんだた”が、不図、下を見ると、自分のあとに、何百、何千という屍たちが、
蜘蛛の糸をつたってのぼってきているのが見えるではないか!
頼りないこのタイトロープは、自分ひとりでさえ切れてしまいそうなのに、
これだけの亡者達が登って来てはなるまい。
そんなことは極楽のお釈迦様も「お赦し」になるはずが、無い。
“かんだた”は、言う。
「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸はおれのものだぞ。
お前たちは一体誰にきいて、のぼって来た。下りろ。下りろ」
その瞬間にタイトロープは切れてしまう。
「三」で、再びシーンは極楽に戻る。
一部始終を見ていたお釈迦様は、少し悲しそうな顔をする。
しかし、これが現実であった。
見なくてもいいもの、見てしまったのかも知れない。
極楽の蓮は、そんな出来事など無かったかのように、
あいかわらずいい香りを発して咲き誇る。
もう、極楽も昼近くになっていた。
泰然と時間だけが流れていく。
この極楽こそ、現世(うつせ)だろう。
◆◇◆◇◆
我々人間は人間獣である為に動物的に死を怖れてゐる。
所謂(いはゆる)生活力と云ふものは実は動物力の異名に過ぎない。
僕も亦人間獣の一匹である。
しかし食色にも倦(あ)いた所を見ると、次第に動物力を失つてゐるであらう。
僕の今住んでゐるのは氷のやうに透み渡つた、病的な神経の世界である。
僕はゆうべ或売笑婦と一しよに彼女の賃金の話をし、
しみじみ「生きる為に生きてゐる」我々人間の哀れさを感じた。
若しみづから甘んじて永久の眠りにはひることが出来れば、
我々自身の為に幸福でないまでも平和であるには違ひない。
しかし僕のいつ敢然と自殺出来るかは疑問である。
唯自然はかう云ふ僕にはいつもよりも一層美しい。
君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑ふであらう。
けれども自然の美しいのは僕の末期(まつご)の目に映るからである。
僕は他人よりも見、愛し、且又理解した。
それだけは苦しみを重ねた中にも多少僕には満足である。
どうかこの手紙は僕の死後にも何年かは公表せずに措いてくれ給へ。
僕は或は病死のやうに自殺しないとも限らないのである。
附記。
僕はエムペドクレスの伝を読み、みづから神としたい欲望の如何に古いものかを感じた。
僕の手記は意識してゐる限り、みづから神としないものである。
いや、みづから大凡下(だいぼんげ)の一人としてゐるものである。
君はあの菩提樹(ぼだいじゆ)の下に「エトナのエムペドクレス」を論じ合つた二十年前を覚えてゐるであらう。
僕はあの時代にはみづから神にしたい一人だつた。
(芥川龍之介『或旧友へ送る手記』より※昭和2年7月、遺稿))
◆◇◆◇◆
あなたなら“Tight Rope”を渡る?登る?
避けることは出来ない。この“Tight Rope”こそ、人生なのだから。
Tight Rope
(作詞:櫻井敦司 / 作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)
揺れる君を 指で辿る いつまでも ああ 何て狂おしい
泳ぐように 君が揺れる この空を ああ 何て美しい
闇の淵で 誰かが笑う 手招いた ああ 僕がそこに居る
僕は今夜 精神異常 何処までも ああ 落ちて行くみたい
死の匂いだけが頼り
ゆらゆら ゆらら 揺れてる 僕は綱を渡る 目を閉じて
ゆらゆら ゆらら 揺れてる 僕は綱を渡る 目を閉じて
揺れる君を 指で辿る いつまでも ああ 何て狂おしい
君が飛べば 僕も行ける 何処までも ああ 落ちて行くみたい
死の匂いだけが頼り
空中ブランコにあなたが 僕は綱を渡る 目を閉じて
この宇宙を泳ぐ あなたと 夢の果てで逢える 目を閉じて
空中ブランコが揺れてる 僕は綱を渡る 目を閉じて
この宇宙を泳ぐ あなたと 夢の果てで逢える? 目を閉じて
君が揺れている 君が揺れている 青い青い空 青い青い海
君が揺れている 君が揺れている 青い青い空 青い青い海
