“GLAMOROUS”な、“ROMANCE”だ。
2006年の【THE DAY IN QUESTION】12月29日、日本武道館。
完璧なる『TABOO』ワールドが再現されていた。
それは、オリジナルに忠実で、淫靡で陰惨な世界観。
そして、赤いスポットが光る中、「M.A.D」が続く。
赤い海の底で、上を見上げながら、うつろな眼つきで唄う櫻井敦司。
今井寿はステージ全面に、張り出しフロアに座り込んでソロを決める。
これは、9月に行われた【FISH TANKer's ONLY 2006】から伝承であろう。
この楽曲が“カニヴァリズム”を表現しているのでは、ないか、と言った方がいた。
これも、確かに【TABOO】の領域だろう。
星野英彦の「GLAMOROUS」の前奏が、日本武道館に響くと、
観衆から、歓声が上がる。
それまで、BTクラッシックスの名曲と言われる部分を披露してきたBUCK-TICKが、
リアル・タイムに還ってきたかのようだ。
そして、この年の【THE DAY IN QUESTION】が、単なるお祭り騒ぎではなかった証拠に、
メンバーのアクションも極度に少なく、皆、定ポジションで楽曲を聴かせることにフォーカスしていた。
それは、この楽曲でも、左程、変化はなかったのだけれども、
この「GLAMOROUS」の間奏後、やっと櫻井敦司が、花道へと動き出す。
淫乱の溜息を殺して、朽ちるしきみ口にする。
蜉蝣-かげろう-の囁きも、闇のヴェールに包まれて。
彩る翳り視界さえ、朦朧と…
瞑想の軋みさえ、うるわせ戯れる猫を誑かす。
欹てた耳もとは下卑た吐息をそよめかす。
からくり溶かす、水面に蜜をこぼす。
夢を淫らに映しても、嘘を呟き飾っても 、
悦ぶ獣を探り出せ。
惑いと木漏れ陽、交錯して。
…Tast of Dark .Tast of Heart .
…Tast of Night.Tast of Love.
「生きている事。 ああ、それは、何というやりきれない息もたえだえの大事業であろうか」
(太宰治『斜陽』)
破滅の都市「TOKYO」に逃げ込んだ二人は、一体、自らの“原罪”に、どんな罰を用意したのか?
“無理心中”のシーンである、という説が存在する「GLAMOROUS」。
やはり、有名な小説家:太宰治を思い起こす。
『人間失格』『桜桃』など最期の完結を見た傑作を書きあげたのち、
1948年に玉川上水における愛人とされる山崎富栄と入水心中。
この事件は当時からさまざまな憶測を生み、狂言心中失敗説等なども唱えられる結果となった。
しかし、彼はなぜ、死に至るプロセスに“無理心中”を選択したのか?
『朝日新聞』に連載中だった小説『グッド・バイ』が未完成のまま遺作となった。
奇しくもこの小説の“第13話”が彼の絶筆になったのは、
キリスト教のジンクスを暗示した、太宰の最後の洒落だったとする説も存在する。
死の直前に、こんな、“ウィット”と効かせる心理的余裕があったのだろうか?
死者への憶測は、すべてが“邪推”であろう。
遺書には「小説が書けなくなった」旨が記されていた。
戒名は文綵院大猷治通居士。
2人の遺体が発見されたのは、奇しくも太宰治の誕生日である6月19日の事であった。
ここまで、そろばんづくの“生命”であった。
まるで、彼のグラマラスな小説のようである。
この日は桜桃忌として知られ、太宰治の墓のある三鷹の禅林寺には多くの愛好家が訪れる。
「いつまでも、いつまで経っても、夜が明けなければいい、と思いました」
(太宰治『ヴィヨンの妻』)
彼の描くタナトス(死の衝動)こそが、和製ゴシックの原型であったと言えるのではないか?
日常の中に、ある、非日常の存在こそが、“生命”の証であるならば、
この「GLAMOROUS」の光の中に、ゴシックは、存在しているのかも知れない。
異論がある方もいるかも知れないが、タナトスは、ゴシックに輝く、生命の華である。
そんなクールさが、2006年の【THE DAY IN QUESTION】に漂っていた。
『TABOO』のシリアスな世界観がそう思わせたのかも知れない。
なんてグラマラスな、ロメンスか!
太宰治は、こうも表現する。
「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」
(太宰治『ヴィヨンの妻』)
「人間は不幸のどん底につき落とされ、ころげ廻りながらも、
いつかしら一縷の希望の糸を手さぐりで捜し当てているものだ」
(太宰治『パンドラの匣』)
生命への“希望”は、光だけによるものでは、ない。
闇が包み込む“希望”を“死”に見い出す作業こそが、生きることだ。
なにも“memenoto mori”だけが、“死を想う”ことだけが、生命の表現方法ではない。
断じて、それでけではない、と言える。
しかし、一度、その魍魎に憑かれると、離脱は困難だ。
前にも、後ろにも、進めなくなってしまう。
深い森に迷い、そして、迷子のようにお前の名を呼ぶ。
逃げ出すことも出来ない。立ち止まることも知らない。
君はとってもけなげに何かを探してるけど...帰れない二人がいるだけ、だ。
そして、その一方、太宰はこうも語るのだ。
「人間は、しばしば希望にあざむかれるが、
しかし、また、「絶望」という観念にも同様にあざむかれる事がある」
(太宰治『パンドラの匣』)
だからこそ、
「死と隣合せに生活している人には、生死の問題よりも、一輪の花の微笑が身に沁みる」
(太宰治『パンドラの匣』)
そんな、感覚・感性が、この櫻井敦司の「GLAMOROUS」にも存在する。
今井寿の水面に落ちる水滴の波紋をパッケージしたようなメロディに乗せて、
その“密室”の“花”に、FLAMEを、点けるのだ。
きっと、綺麗に燃えて、咲き誇る。
その炎の閃光が、迸り、やがては、消える。
でも、その刹那、確かに、真っ赤に燃えるんだ。
「君のような秀才にはわかるまいが、
「自分の生きていることが、人に迷惑をかける。僕は余計者だ」
という意識ほどつらい思いは世の中に無い」
(太宰治『パンドラの匣』)
そして、
「人間は死に依って完成させられる。
生きているうちは、みんな未完成だ。
虫や小鳥は、生きているうちは完璧だが、死んだとたんに、ただの死骸だ。
完成も未完成もないただの無に帰する。
人間はそれに較べると、まるで逆である。
人間は、死んでから一番人間らしくなる、というパラドックスも成立するようだ」
(太宰治『パンドラの匣』)
と、生命と死の“キラメキ”をグラマラスに吟じるのだ。
そして、“罪と罰”、自らに、“失格”の烙印を押す。
「神に問う。信頼は罪なりや。 果たして、無垢の信頼心は、罪の源泉なりや」
(太宰治「人間失格」)
確かに、青臭いセンチメンタリズムだ。
今井寿は、スタビライザーのスペーシーなレーザー光線を、この年は放棄し、
ゴシックな、水の滴る音色を奏でるホワイト・ペンギンを手にしている。
“TABOO”な、“ROMANTIC”な、“GLAMOROUS”だ。
「大人というものは、侘しいものだ。
愛し合っていても、用心して、他人行儀を守らなければばらぬ。
なぜ、用心深くしなければならないのだろう。その答は、なんでもない。
見事に裏切られて、赤っ恥をかいたことが多すぎるからである。
人はあてにならない、という発見は、青年の大人に移行する第一課である。
大人とは、裏切られた青年の姿である」
(太宰治『津軽』)
日本武道館がグラマラスな光の中に、包み込まれる。
何度目かの眩暈が、目覚めを知らない夢の中…。
赤い海の底へ、向かっていく。
これが…
死…?
光…?
神…?
あなたはだ~れ?ねえ、誰な~の?
私はだ~れ?ねえ、誰な~の?
すべてが、すべてが、溶けていく。
永久を手に入れる為に。
“GLAMOROUS ”だ。
「私は確信したい。人間は恋と革命のために生まれてきのだ」
(太宰治『斜陽』)
GLAMOROUS
(作詞:櫻井敦司 / 作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)
水の中のベットに君を誘う 数え切れないクリスタル飲み込んで
君はとってもけなげに何かを探してるけど... 帰れない二人がいるだけ
扉を突き抜けたら光のシャワーの中へ...
溶けて消える二人に 眩暈を...
ねえ ぼんやり君の目見つめていられるのなら 目覚めを知らない夢の中
ねえ 確かに聞こえた天使の囁く声が さよなら おやすみ 君の中
血を流す事もなく涙も無い 深い海の闇になる 抱き合って
君は微笑み浮かべて何かを探し続けて やがては疲れ果て眠れる
瞼を焦がしたなら光のシャワーの中へ...
溶けて消える二人に 眩暈を...
ねえ ぼんやり君の目見つめていられるのなら 目覚めを知らない夢の中
ねえ 確かに聞こえた天使の囁く声が さよなら おやすみ 君の中
扉を突き抜けたら光のシャワーの中へ...
溶けて消える二人に 眩暈を...
ねえ ぼんやり君の目見つめていられるのなら 目覚めを知らない夢の中
ねえ 確かに聞こえた天使の囁く声が さよなら おやすみ 君の中
