「貴方の闇に あなたのその暗闇に
 乾杯しましょう 最後の血が涸れるまで」



悪魔“DIABOLO”は、魂の契約に、ナニヲ要求するのだろうか…?



◆◇◆◇◆



運命(さだめ)…

運命(さだめ) 運命(さだめ) 運命(さだめ)

うるせえってんだよオォ!!

そのしたり顔で御託を並べるのはオレが取り殺されてからにしてもおうか、ドクロのおっさんよ!!

生贄だ!?供物だ!?運命だ!?

小むずかしい理屈並べてんじゃねぇぞ!!

要するにこいつは戦だ!!いつもと何も変わっちゃいねえ!!

戦ってのは最後に立ってたもん勝ちなんだよ!!

いいか!!てめえら今、地獄にたたき返してやるからあの顔色の悪い連中に言っとけ!!

オレは殴られたら必ず殴り返す!!

オレを喰い残したのが貴様らの運のつきだってな!!!!

貴様らも あの腐れバケ物どもも!!!一匹残らずオレが狩り殺す

これが開戦ののろしだ!!!!

ガッツ(『ベルセルク』第13巻)




◆◇◆◇◆


ライヴツアー【13th FLOOR WITH MOONSHINE】で一貫してエンディングを飾る「DIABOLOーLucifer」。
アルバム『十三階は月光』でも同様の役割といえるが、
先行シングル「ROMANCE」にカップリングされた「DIABOLO」に、
アレンジを変更してタイトルに悪魔=堕天使“Lucifer”のサイドネームが追加されて収録された。

またコミック『DEATH NOTE』を原作とした映画『デスノート』の公開と
テレビアニメ化の決定に合わせて製作された『DEATH NOTE TRIBUTE』にも収録された。
『DEATH NOTE TRIBUTE』は、様々な分野から全15組が参加した。

秘密結社(スガシカオ)
37.0℃(矢井田瞳)
Hands(m-flo)
REAL DAYS(MCU)
STRAIGHT TO HELL(Char)
DIABOLO ~Lucifer~(BUCK-TICK)
アヴァンギャルド(COIL feat.杏子)
暗闇のナビゲイラ(KREVA)
VENDETTA CODE(AGGRESSIVE DOGS / DEATH NOTE ALLSTARS "D-Crew")
Pursuit(AGGRESSIVE DOGS / DEATH NOTE ALLSTARS "N-Crew")
GARDEN(キリト)
L⇔R(デーモン小暮閣下)
我ら五人の侍なり ~We are five samurai~(PE'Z)
オヤスミナサイ(キンモクセイ)
私のすごい方法(松浦亜弥)


この「DIABOLO」の少しコミカルなイメージが、融合したのものだろうか?
このコミックに登場する死神リューク (Ryuk)とDIABOLOが重なる。

そして、“死”という誘惑に駈られるこの物語の主人公:夜神月も
“魔”との契約という行為を通じて、この渇望を果たすところが、
“死神”=“悪魔”の公式が成り立つのであろうか・・・?

そう、悪魔も神なのだろうか?


夜神月に訪れた結末は“空(くう)”。

真黒なだだの闇だ。



◆◇◆◇◆



映像作品LIVE DVD『13th FLOOR WITH DIANA』に収録される「DIABOLO」。
ライヴ中継という意味では、7月2日3日の追加公演大阪厚生年金会館大ホールの模様を収めた
【13th FLOOR WITH MOONSHINE】PPV(有料番組)のヴァージョンのほうが、
臨場感は、伝わるだろう。

このDVD作品には、この追加公演のモノローグ的な映像でエンディングを飾っている印象の「DIABOLO」だ。
しかしながら、このツアーお馴染みの今井寿の口内タバコ消しもしっかり収録されている。

「ROMANCE」の終わりとともに、エリザベータの乗り移ったバレリーナ=ベッキーが去り、
この「DIABOLO」へいく前に、メンバー紹介の時間が用意された。
祭壇への階段の中腹でメンバー紹介する櫻井敦司。

まずはヤガミトールが紹介され、ドラムソロが披露される。
次にモニターに腰掛けている樋口豊が紹介される。
立ち上がって手を振るU-TA。

今井寿はアンティークのソファに、星野英彦は、椅子に腰掛けている。
今井は櫻井のタバコを一本拝借すると、それに火をつける。
星野英彦が紹介され立ち上がり、今井寿の名が呼ばれると、彼も立ち上がりお辞儀をする。

いつものパワフルなメンバー紹介とは、雰囲気が違って、この舞台の空気のまま、
皆、紳士的に挨拶をしていた印象だ。

最後に、櫻井敦司が、自己紹介する。

そして、追加公演からの特別キャスト道化師クラウンが櫻井敦司に呼び出される。
ヤガミトールがドラムをロールする。
そして、ベッキーの名が、再びコールされると、
今井寿が「オリーブの首飾り」を黒マイマイで奏でる。

クラウンは手にしていた松明の炎を“赤い花”に変え、
ベッキーに渡す、ベッキーはそのままその“赤い花”を、
魔王=櫻井敦司に献上する。

このツアーお決まりのこ小芝居だ。


「夢をもう一度…、さあ、フィナーレです。

 ありがとう、東京。

 さよなら、東京」

と魔王櫻井が“Gothic Show”の終焉を告げ、「DIABOLO」へ。

今井寿のこのライヴツアーから始まった両足を交互に上げる独特のダンス。
クラウンが、今井のこのダンスを真似ている。
そう、大体、いつも、今井がオリジナル。

櫻井敦司のステッキ使いも、この頃になると、日本一であろう。

間奏では、これもお決まりの今井タバコ消し。

クラウンは色取り取りのスカーフで花を出し、ベッキーがそれを受け取っている。

完成度の高い“Gothic Show”が今終わろうとしている。
「DIABOLO」の演奏が終わると、本当に皆、スタンディング・オベーションで祝福する。


「ありがとう。本当に夢のような舞台だった」


まだ、夢が醒め止まぬまま、エンディングのSE「WHO'S CLOWN?」へ…。




◆◇◆◇◆


「DIABOLO-Lucifer-」
今井寿の命名のルシファーで唄われる悪魔の起源。

“魔”を持って人間を誘惑し、契約を交わす者。
宗教上における悪魔は元来、神とその使いを除く超越的な存在全てであった。

唯一神教であるユダヤ教は他宗教の神々を、悪魔と称して否定した。
その派生であるキリスト教とイスラム教も同様であった。

西方キリスト教世界における悪魔は、
地中海世界で信仰されていた古代文明の神々が否定され悪魔とされたものが多い。

しかし唯一神以外の神々が全て悪魔とされたわけではなく、キリスト教に取り込まれた例もある。

その代表例は、かっては新バビロニア地域の神々、
あるいは神の諸側面を表象する存在であったミカエルやガブリエルである。
彼らはユダヤ教に天使として取り入れられた。
ミカエルやガブリエルは旧約聖書にも登場し、キリスト教では大天使として継承された。

故に人間に試練を与えるための神の道具であったサタン(「試みる・誘惑するもの」)は
「旧約聖書」において悪魔ではなく、人間の敵ではあっても神の僕であった。

サタンは「大敵」と呼ばれ、異教の神とは区別された。

異教の神々がサタンと結び付けられるのはキリスト教アタナシウス派の影響である。
「イザヤ書」の記述にある「天より落ちた者」ルシファーはサタンと同一視されるようになり、
サタンは神に敵対する者とされ異教の神々は神に対して反乱を起こした天使であるとされるようになった。


その後、キリスト教世界では悪魔と迷信が結びつき、
「魔女狩り」のように残酷な蛮行が中世後期から近世にかけてのヨーロッパに蔓延った。
十字軍時代やオスマン帝国膨張に伴って、イスラム教徒やギリシア正教徒との接触で文明的に啓蒙され、
宗教改革やルネッサンスの勃興を経て近代化が始まるまでは、
キリスト教世界での迷信的な悪魔観は衰退しなかった。

西欧では、「モーツァルトの音楽は悪魔が書かせたもの」との言葉がある。
音楽美において、アポロン的美とディオニューソス的美を対立させる考えがあり、
モーツァルトのそれは後者の代表とされるが、ギリシャ神話は多神教で悪魔の性質も神々が抱えており、
中でも酒の神であるディオニューソスは集団的狂乱を呼び起こしたりと悪魔的な側面が強い。

まさに、この「DIABOLO」がこの悪魔のように、
酒という“魔”の“誘惑”を擁して人間をたぶらかすのと同じように、
モーツアルトの音楽も、人間の感情(おもい)に働きかけ、享楽の世界へ引きづり込む…。

後にロックという音楽も、悪魔的な享楽と、キリスト教から烙印を押されている。
あの今や世界的ポピュラー・ミュージックTHE BEATLESでさえ…。



まさに、BUCK-TICKの奏でるサウンドは、その意味で、
“悪魔的音楽”そのものといえるかも知れない。


これは、彼らへの、“称賛”である。



◆◇◆◇◆


「さあさあ寄っておいで覗いてみな 今宵皆様お贈りするはbaby」



文学作品でも、この“悪魔サタン”(ルシファー)の存在は必要不可欠だ。

悪魔の登場する物語は、いつも“魅力的”だ。


13-14世紀イタリアの詩人、ダンテ・アリギエーリの代表作『神曲』(La Divina Commedia)。
「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」の三部作から成る、全14233行の韻文による長編叙事詩であり、
聖なる数「3」を基調とした極めて均整のとれた構成から、ゴシック様式の大聖堂にたとえられる。
イタリア文学最大の古典とされ、世界文学史にも重きをなしている。

ここで登場する魔王ルチフェロ(サタン)。

彼は地獄の中心ジュデッカのさらに中心、地球の重力がすべて向かうところには、
神に叛逆した堕天使のなれの果てとして氷の中に永遠に幽閉されている。

この魔王はかつて光輝はなはだしく最も美しい天使であったが、
今は醜悪な三面の顔を持った姿となり、半身をコキュートスの氷の中に埋めていた。
魔王は、イエス・キリストを裏切ったイスカリオテのユダ、
カエサルを裏切ったブルートゥスとカッシウスの三人をそれぞれの口で噛み締めていた。

西暦1300年の聖金曜日(復活祭前の金曜日)、暗い森の中に迷い込んだダンテは、
そこで出会った古代ローマの詩人ウェルギリウスに導かれ、地獄・煉獄・天国と彼岸の国を遍歴して回る。
ウェルギリウスは地獄の九圏を通ってダンテを案内し、地球の中心部へ至る。

そこでは魔王ルチフェロの体を足台としてそのまま真っ直ぐに反対側の地表に向けて登り、
岩穴を抜けて地球の裏側に達する。そこは地獄の次に登場する“世界”煉獄山の麓であった。

煉獄山では登るにしたがって罪を清められていき、
煉獄の山頂でダンテはウェルギリウスと別れることになる。
そしてダンテはそこで再会した永遠の淑女ベアトリーチェの導きで天界へと昇天し、
各遊星の天を巡って至高天(エンピレオ)へと昇りつめ、見神の域に達する。

天国へ入ったダンテは各々の階梯で様々な聖人と出会い、高邁な神学の議論が展開され、
聖人たちの神学試問を経て、天国を上へ上へと登りつめる。
至高天においてダンテは天上の純白の薔薇を見、この世を動かすものが神の愛であることを知るのだ。



このように地獄の出入り口に位置する魔王=悪魔は、
東洋では“閻魔様”といったポジションであろうか?


『神曲』では神の領域の入口で、彼はあなたを待っている。




◆◇◆◇◆


「歌にダンス妖しい酒 テーブルの下張り裂けそうな
 ハシタナイモノ光らせて御気の召すまま」




さらに、人間に意志によって“悪魔”と契約を交わす姿は、
ドイツの文人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの代表作とされる長編の戯曲に、
全編を通して韻文で書かれている。

偉大なる『ファウスト』(独: Faust)である。

ここで登場する“悪魔”は、迷える人間の魂を救う代わりに、
その“百鬼夜行を逝く魂”を要求する。

世界に名高い『ファウスト』は二部構成で、
第一部は1808年、第二部はゲーテの死の翌年1833年に発表された。

ゲーテは、15世紀から16世紀頃のドイツに実在したと言われる
ドクトル・ファウストゥスの伝説を下敷きにして、ほぼその一生をかけて完成した畢生の大作である。

このファウスト博士は、錬金術や占星術を使う黒魔術師であるという噂に包まれ、
悪魔と契約して最後には魂を奪われ体を四散されたという奇怪な伝説、風聞がささやかれていた。
ゲーテは子供の頃、旅回り一座の人形劇「ファウスト博士」を観たといい、
若い頃からこの伝承に並々ならぬ興味を抱いていた。
そうしてこうした様々なファウスト伝説に取材し、彼を主人公とする長大な戯曲を仕立て上げた。


ファウスト博士は、中世ヨーロッパにおける最高学位、ドクトルを取得した学者であった。
彼はあらゆる知識をきわめ尽くしたいと願うが、
「自分はそれを学ぶ以前と比べて、これっぽっちも利口になっていない」と、
どうしてもその無限の知識欲求を満たしきれずに歎き、人間の有限性に失望していた。

そこに悪魔メフィストが、黒い犬に変身してファウスト博士の書斎に忍び込む。
学問に人生の充実を見出せず、その代わりに今度は生きることの充実感を得るため、
全人生を体験したいと望んでいるファウストに対し、
悪魔メフィストは言葉巧みに語りかけ、自分と契約を結べば、
この世の日の限りは伴侶、召使、あるいは奴隷のようにファウストに仕えて、
自らの術でかつて誰も得る事のなかったほどの享楽を提供しよう、と“誘惑”する。

しかしあの世で再び会った時には、ファウストに同じように仕えてもらいたいと提議する。
もとよりあの世に関心のなかったファウストはその提議を二つ返事で承諾し、

「瞬間よ止まれ、汝はいかにも美しい!」("Verweile doch! Du bist so schön.")

という言葉を口にしたならば、メフィストに魂を捧げると約束をする。


悪魔メフィストはまずファウスト博士を魔女の厨へと連れて行き、
魔女のこしらえた若返りの薬をファウストに与える。
若返ったと同時に旺盛な欲を身に付けたファウストは、様々な享楽にふけり、
また生命の諸相を垣間見ながら、「最も美しい瞬間」を追い求めることになる。

彼が最初に挑んだ享楽は恋愛の情熱であった。
魔の鏡に、究極の美を備えた女性が映るのを見たことから、
ファウストはひたすらその面影を追い求め、
街路で出会った素朴で敬虔な少女マルガレーテを一目見て恋に落ちる。

しかしある夜、風の便りに妹が男性と通じている事を聞きつけたマルガレーテの兄ヴァレンティンと
ファウスト・メフィストの二人連れが鉢合わせし、決闘となる。
そうしてファウストはヴァレンティンを殺してしまう。

一時の気晴らしに悪魔メフィストはファウスト博士を魑魅魍魎達の饗宴、
“ヴァルプルギスの夜”へと連れて行く。
あらゆる魔女や妖怪達の中を“誘惑”に引き回されるが、
そこで首に”赤い筋”をつけたマルガレーテの幻影を見て、
彼女に死刑の危機が迫っていることを知り、メフィストがそのことを隠し立てしていたと激怒する。
実はマルガレーテはファウストとの情事により身籠っており、
彼の不在のうちに産まれた赤ん坊を持て余した末、沼に沈めて殺してしまっていた。
そうして、婚前交渉と嬰児殺しの罪を問われて牢獄に投じられたのであった。

ファウストは悪魔メフィストと共に獄中のグレートヒェンを助けに駆けつける。
しかし、気が狂ってもなお敬虔な彼女は、ファウストの背後に悪魔の影を見出して脱獄を断固として拒否する。
ファウストは罪の意識にさいなまれて絶望し、「おお、私など生まれてこなければ良かった」と嘆く。
メフィストは、「彼女は裁かれた!」と叫ぶ、天上から「救われたのだ」という天使の声が響く。
ファウストはマルガレーテをひとり牢獄に残し、メフィストに引っ張られるままにその場を去ってゆく。



第一部はここで終演する。



「貴方の夢に あなたのその儚い
 乾杯しましょう ほら天使が泣いている」



悪魔の力に魅入られた者の悲劇は、途中から人間の“夢”“妄想”の描く、
喜劇のようでもある。



第二部は最愛の女性マルガレーテが自分との過ちのために処刑された悲しみを、
豊かな自然の中で癒すファウスト博士の描写から始まる。
その後ファウストは、皇帝の遣え、ヘーレナーという美女に魅せられ再び恋に落ち、
様々な享楽と絶望を行き来することになる。

これらはすべて、悪魔メフィストの仕組んだ罠である。
仕組まれていた罠、はじめから罠・・・。

一連の冒険、ファウスト博士の実験室でかつての弟子であったヴァーグナーが、
自らの学識でもってホムンクルス(人造人間)を生み出したり、
セイレーンをはじめとするギリシア神話上のあらゆる神々や生き物が現れる土地を旅して回る様子が描かれる。

その末にファウスト博士と悪魔メフィストは峨々たる岩の頂上に降り立ち、
共に「世界の生成について」の議論を行う。
議論の中ではファウストの理想の国家像が言及され、
やがてファウストは名声を挙げて支配権、所有権を得たい、偉大な事業を成し遂げたいと述べる。

これが、国家の解体する姿の痛烈に風刺である。

ファウストは彼自身が理想とする国家が築き上げられてゆく様子を夢想し、
万感の思いで、そこでは人々は生活に関しても自由に関しても、
その日ごとに勝ち得てこそそれらを享受するに値する、
だからこの「自由の土地」においては老若男女が常に危険の中にあろうとも有意義な年月を送るのである、
自分はそうした人々を見、彼らと共に自由な土地の上に住みたい、
その瞬間に向かってならば、こう言っても良いであろう、

「瞬間よ止まれ、汝はいかにも美しい("Verweile doch! Du bist so schön.")」と。

このような高い幸福を予感しつつ、自分はいま最高の瞬間を味わうのだと述べ、ついに絶命する。

メフィストは契約通りと判断してその魂を奪おうとするが、
合唱しながら天使達が天上より舞い降り、薔薇の花を撒いて悪魔を撃退し、ファウストの魂を昇天させる。

山峡にて、天使や聖書上の登場人物が賛歌を唱和する中、
かつての最愛の女性マルガレーテがファウストの魂のために聖母に祈りをささげ、
ファウストの魂の救済が成立するのだ。


最後の最後で、悪魔メフィストは、ファウストの魂得られず物語は、終了する。

「DIABOLO」も、このメフィストのように、少し人間的な面も持つ(少しツメの甘い)悪魔かも知れない。



「貴方の夢に 貴方の闇に
 
 乾杯!」





◆◇◆◇◆




神に叛逆して一敗地にまみれた堕天使ルシファーの再起と、
ルシファーの人間に対する嫉妬、およびルシファーの謀略により楽園追放に至るも、
その罪を自覚して甘受し楽園を去る人間の姿を描いている作品が、
イギリスの17世紀の詩人、ジョン・ミルトンによる旧約聖書の『創世記』をテーマにした壮大な叙事詩。


『失楽園』(Paradise Lost)である。



『失楽園』はダンテの『神曲』とともに、キリスト教文学の代表作として知られる。

ミルトンは悪魔学の専門家ではなかったが、
その当時に見られた悪魔に対する様々な説を総合した独自の解釈を作中に盛り込んだ。
ミルトンによる解釈はその後のキリスト教に影響し、殊にルシファーに関する逸話に大きな影響を与えた。

ミルトンの詩の中では、ルシファーは神の偉大さを知りつつ、
服従よりも自由に戦って敗北することを選ぶ、一種の英雄として描かれる。

一方、人間アダムは、イヴの誘惑によって禁断の果実を食べてしまう弱い存在ではあるが、
いったんは神の命令に背くものの、自ら罪を犯したことを認め、
悲哀を胸に抱いて己の罪の報いを自らの意思によって引き受ける、偉大な魂の持ち主として描かれる。

この他、神の意思のもとアダムを追放する任を厳然公正に全うしながらもなお彼らへの憐憫を思わせるミカエル、
冷静沈着にして勇敢凛乎としたガブリエル、
神の命によってアダムたちを優しく諭す「友誼心厚き天使」ラファエル、
何億という反逆天使の憎悪を受けながら毅然と神のもとへ立ち返るアブディエルなど、
心清く正しいながら読者たる人間にも十分に共感できうる天使たちが登場する。

一方、堕天使たちも大いに魅力的である。

サタンの片腕にして賢者のごとく威厳を湛えるベルゼブル、
勇猛果敢にして天国を圧倒するため生命も惜しまぬ猛将モレク、
容貌絶美にして悪徳の権化たるベリアルなど、
人間の持つ悪を極めたような悪魔たちが、世界最初の反逆者・悪行者たるサタンの同胞として、
物語に更なる精彩を与える。

ミルトンはこれらの描写によって被造物における崇高を描きながら、
それを超えた創造者としての神の偉大さを称えようとした。

特に、神の御子キリストが、サタンの引き起こした原罪を贖うため自らを「贖罪」の贄とする旨、
父なる主に申し出るくだりは、
キリスト教の本質を的確に表現している。

創世記において神がサタンへ宣告した

「私は女の胤とお前との間に敵意を置く。

 お前は女の胤のかかとを砕き、

 女の胤はお前の頭を砕くだろう」

との言葉の本質を示しているのである。




◆◇◆◇◆



人間は誘惑に弱い

地獄の様な

絶望の淵に立たされた時


目の前のそこから

脱却できる蜘蛛の糸が

現れたら必ず縋ってしまう・・・


どんな人間でもね


セバスチャン(『黒執事』第4巻)






DIABOLO-Lucifer-
 (作詞:櫻井敦司 / 作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)


さあさあ寄っておいで覗いてみな 今宵皆様お贈りするはbaby
ありとあらゆる愛ヌラリ お楽しみあれ

歌にダンス妖しい酒 テーブルの下張り裂けそうな
ハシタナイモノ光らせて御気の召すまま

貴方の夢に あなたのその儚い
乾杯しましょう ほら天使が泣いている

ああ 今夜も血に塗られた 魔王の羽ブルーベルベットbaby
尖るシッポ 群がる淑女 眠れない夜

貴方の闇に あなたのその暗闇に
乾杯しましょう 最後の血が涸れるまで

貴方の夢に あなたのその儚い
乾杯しましょう ほら天使が泣いている
涙涸れ果てるまで
御機嫌よう さようなら

貴方の闇に あなたのその暗闇に
乾杯しましょう最後の血が涸れるまで
貴方の夢に 貴方の闇に
乾杯!

【ROMANCE】

【ROMANCE】