――そして、その「夢魔 -The Nightmare-」ですが。
この楽曲は、脈絡からすると突然舞台が変わったような感じの作風でちょっと驚きました。
場面転換期に、唐突にも近いというか。

櫻井敦司「いや、唐突でえすよ。これは」

――これは、つまり、転生を経て主人公が新天地に立った場面なのでしょうか?

櫻井敦司
「というか、「降臨」のアンサーですね。
死の行列に巻き込まれていく、その過程というか・・・」

(『PATi PATi』誌より)



◆◇◆◇◆


熾天使「seraphim」のファンタジックな時が過ぎ、
再び、このNHKホール追加公演【13th FLOOR WITH MOONSHINE】は、
“死”の中へ、突入していくようであった。


この「夢魔-The Nightmare」の前のセット・リスト…
すなはち、この“GOTHIC SHOW”本編のフィナーレの前段に用意された楽曲は、
6月29日と30日で、別の楽曲であった。

第一夜目が、“死”そのものを表現した「タナトス」。
そして、第二夜目は、「Mona Lisa」が演奏されている。

「タナトス」と「Mona Lisa」。

BUCK-TICKの楽曲の中では、トランス・ダーク・ロックの真髄と言える両曲も、
この“GOTHIC SHOW”のなかで聴くと、不思議と神秘的なゴス・テイストが顔を出す。

まずは、「タナトス」。
櫻井敦司は、マイク・スタンドを肩に乗せ、まるで眼潰しのようなフラッシュライトの中で、
“死”を叫んでいた。


「腐りかけたワタシを綺麗と言った
 お前の顔美しい官能的だ」



まるで、“死臭”を振りまくような魔王=櫻井敦司と、
クライマックスに向け、ハードにパフォーマンスを決める今井寿&星野英彦。
すべて真っ黒に塗り潰された暗黒を待ち侘びる罪と罰よ。

永久となり、刹那を手に入れろ。


「陽炎に燃え清らかな空光の中へ光の中へ...」


そして、二日目の「Mona Lisa」。

大活躍のアンティーク・ソファーに座り、膝を抱えるようにして、
今井寿のRAPアクションを眺める魔王=櫻井。


「教えて欲しい 聞かせて欲しい」


とソファーから足を下ろすと、魔王=櫻井は震え出す。


「震えが止まるように 君のこと 聞かせてよ」


そう、生きている証こそ、あなたという鏡があるから…。
あなたが、居なければ、僕は、もう、存在がわからなくなってしまう。
闇が、すべてを、呑み込んでいくような「Mona Lisa」


「笑って欲しい見ていて欲しい
 それならここを撃ち抜いて くれてもかまわないさ」



なんでもいい。僕を写し出してくれ。
そういって櫻井敦司はコメカミにピストルを当て発射すると、
次のパートまで、まるで動かなくなってしまった。

激しき激情の末に、安らかな“死”を。

「眠れ明日が欲しいだろう 震え出したら夜明けまで待てない」


そう「タナトス」と「Mona Lisa」は、等価の“夢魔”だ。



◆◇◆◇◆


アルバム『十三階は月光』では、唐突ともいえるラストの展開が、この「夢魔-The Nightmare」。
櫻井敦司は、これを導入の「降臨」のアンサー・ソングであるとコメントしている。
タイトルに付けられた“夢魔”は、キリスト教の悪魔の一つで“淫魔”ともいう。

悪魔の子を受肉させる悪魔として、存在する夢魔は、人の夢に現れて、誘惑する。
その男性型のIncubusと女性型のsuccubusは、同一の存在である。

「ROMANCE」のサイドネームとして今井寿は、この意味のIncubusを差し込んだ。
櫻井敦司がヴァンパイアを描いた「ROMANCE」に対して、
「降臨」「夢魔-The Nightmare」というインキュバスの存在をリンク付けた。

そして、このインキュバスが、恐らくは人間の女性に受精した子こそ、
ここで、受肉し、生誕する御子、渇望の福王となるのではないだろうか?



コミック『ベルセルク』で、この渇望の福王とは、
グリフィスが鷹の団を贄として奉げることで転生した
5人目にして最後のゴッドハンド:フェムト (Femto)事を「闇の鷹」の事を指す。

グリフィス時代に身につけていた鷹の頭を模した兜をそのままに被り、
漆黒の外皮を纏い、マント状の黒い翼を持つ異形の守護天使。
空間を質量化させる能力を持ち、砲弾を弾き、手をかざした前方の空間に存在する物質を握り潰す。

「降魔の儀」「蝕」の後、ガッツとキャスカの間に出来た「幼魔」に受肉し、
グリフィスの肉体を纏って現世(げんせ)に降り立つ漆黒の覇王だ。

彼の真の目的は、原作でも未だ、不明であるが、
睡眠中の女性を襲い精液を注ぎ込み、悪魔の子を妊娠させる“夢魔”インキュバスが、
親友の産み落した「幼魔」に受肉するというリンク。
そして、この受肉・転生のシーンを描いたような楽曲が、まさにこの「夢魔-The Nightmare」である。


夜の闇を引き裂く“天使”か?


暗黒時代を繰り広げる“悪魔”か?


“天使”も“悪魔”も、この世界では等価だ



それは、この覇王の活躍が、人の心に、いかように、映るか?に賭けられている。
もしくは、これは、すべて、“夢魔”インキュバスによる“悪夢”なのかも知れない???


夢魔は、自分と性交したくてたまらなくさせるために、襲われる人間の理想の異性像で現れる。
そのため、その誘惑を拒否することは非常に困難だ。
この手口こそ、人間の欲望のツボをよく捉えている誘惑の悪魔インキュバスが、
どのような性格の悪魔であるのかを明確にあらわしている。
一説にはインキュバスとサキュバスは同一の存在であり、自身に生殖能力が無いため、
人間の生殖能力を借りて繁殖しているとされる。
“悪魔”もそれ自体では、繁殖出来ないのだ。

これこそが、“悪魔”が“人間”の力を借りて成り立つ根源。

悪魔との契約に他ならない。



◆◇◆◇◆



櫻井敦司が

「死の行列に巻き込まれていく、その過程」

とコメントしているのは、村上龍の小説『五分後の世界』からのイメージが浮かび上がる。

箱根でジョギングをしていたはずの主人公小田桐はふと気が付くと、
どこだか解らない場所を集団で行進していた。

という下りであり、その行列こそが、そこは5分のずれで現れた『もう一つの日本』であった訳だか、
此処、BTダーク・ワールドでは、午前零時より“13秒”過ぎのパラレル・ワールドで、
白夜の白い夜に、異形の集団で“百鬼夜行”の行列に参加している自分に気付くのだ。

この行列は、満天のオーロラが輝く、ツンドラの大地である。

その先に、何が、待ち受けるのか?

それも、その“悪夢”を見るリスナーの“妄想”に委ねられている。


このような、人間の見る様々な“悪夢”“妄想”によって組み立てられているのが、
アルバム『十三階は月光』の正体である。

そして、その種明かしに用意された衝撃のエンディングが、夢魔という“悪魔”が魅せる
“夢の残骸”であったのかも、知れない、というオチ。

そして、リスナーは、「嗚呼、“夢”だったか・・・」と安心して、
再び、眠りに付くと・・・。

「DIABOLO-Lucifer-」で、堕天使ルシファーが、ニヤリと笑い、
「WHO'S CLOWN?」で、悪魔の子ダミアンが、再び、『覇王の椅子』の座り、
“暗黒時代”の開始を宣誓するかのようなフィニッシュを決める。

ホラー・シネマとしては、お馴染みの展開といえるが、
あくまで、リスナーの頭の中で、展開するこのストーリーを構築した今井寿、
そして、深淵の闇を抉り出すように、演出した櫻井敦司の創作能力には、
鳥肌が立つ思いである。


その先のストーリーは、リスナー自身が創造していくことになる。



◆◇◆◇◆


それらを経て、今まさに、【13th FLOOR WITH MOONSHINE】も、
「夢魔-The Nightmare」へ辿り付き、衝撃的といえるライヴ・パフォーマンスを目にすることになる。

これこそ、“魔”。

これこそ、“人間”。

これこそ、“BUCK-TICK”だ。

DVD作品【13th FLOOR WITH DIANA】に収録された映像はまさに、
本編のラストを飾るべく“傑作中の傑作”である。

“GOTHIC”の輝きの中に、
この【13th FLOOR WITH MOONSHINE】の舞台を眺め続けて来た観衆も、
この本編の終了を告げる「夢魔-The Nightmare」で、想い起すのだ。


「そうだ・・・BUCK-TICKは、ロックじゃないか!」と。


ここに至り、このタイトルとは逆に、我々は、深い“夢”から醒め、
“現実世界”に、舞い戻る。
“夢魔”の誘惑を退け、この厳しい“現実世界”へ。

それこそが、現代のロック界に異形の姿を晒しながら、
20年もの間、我々の切り裂いて逝く魂を揺さぶり続けたBUCK-TICKの“ロック”ではないか! と。


この“夢魔”の存在のお陰で、皮肉にも我々は“目醒める”のだ。




ブルー・ライトが、ステージ上のメンバーを、シルエットのように浮かび上がらせる。
照明が灯ると、櫻井敦司が、両手を挙げて、我々の魂を揺さぶる。


「ツンドラの大地 我 死装束の魂よ

 黄泉彷徨える 我 百鬼夜行を逝く魂よ」



シンセサイザーの幻想的なイントロに、樋口“U-TA”豊とヤガミ“アニイ”トールのビートが被さる。
樋口豊の重厚なビートがグイグイと展開を加速する。
ヤガミトールの抜けるような王道のジャイブが天空を掠める。

これは、“夢”ではない。


「亡霊を追い駆けて 狂人となり走る」


今井尚のシルバー・PODからお馴染みのノイズがにじみ出す。
星野英彦のデストローション・サウンドが、空間を埋め尽くす。

紛れもない“BUCK-TICK”ロック・サウンドだ!

それ以外の何者でもない! 
ここは“現実”で、確かに、彼らは、此処で極上のサウンドを轟かしている。

その轟音に、目を醒まさないとしたら、もう、すでに僕は屍と化しているのだろう。
しかし!幸運にも我々は、まだ生きている。
“悪夢”にマドロミ・・・夢うつつのなかを彷徨っては、いたが、
此処にこうして、BUCK-TICKと対峙している。
大地を蹴り、鼓動を鳴らし、目醒めたのだ!


「白夜の空を 我 朱に染め逝く魂よ
 黄泉彷徨える 我 百鬼夜行を逝く魂よ」



沈まぬ狂った太陽の“白夜”の夜を、真っ赤に染めるんだ!

それは、我々の血潮・・・。

それは、たしかに、“死の行列”のような“現実”である。

誰もが、死を拭い去ることは出来ないし、ひとり生まれ、ひとり天に召されるだろう。
しかし、其処までの道程を、切り開いていくのは、我々自身だ。

“欲望”と“夢”を混同するな。

此処は、ツンドラの如き、冷気漂う現実世界。

しっかり、目を開いて其れを見つめるのだ。
“答え”は、いつも、自分の中にある。
“魔”に堕ち、黄泉を彷徨うのは、もうお終いだ。


「郷愁を想い涙 盲人となり喚く」


父よ母よ、あなたに、感謝している。
しかし、“悪い夢”に魘されて、流した赤い雫は、この不毛の地に滲み込み、
やがて、幻想の花を咲かすだろう。
この世界は素晴らしい、と。
目を瞑って、抱きしめていよう。
感情(おもい)の前には、誰もが盲目となる。



樋口豊は、首が落ちてしまいそうなくらい、この“ゴス”の律動に身を委ね髪の毛を振り乱す。
櫻井敦司は叫ぶ

「The Nightmare----!!!!!!」


激しく足を蹴り上げる今井寿を尻目に、櫻井敦司は、祭壇の階段をスルスルと中腹まで上り詰めると、
そこに仰向けに倒れ込んでしまい、痙攣を起こしているかのように白目を剥く。
ステージバックの『覇王の椅子』からは、誰かが、彼らを覗き込んでいる。
それは、鏡からこちらを覗いている“魔”か?“幻”か?


「幻影を追い駆けて 狂人となり走る」


狂おしい、なんて素敵な、この世は夢だ。あなたと夢で会える。
愛おしい、あなたを想い闇駆ける。
魂が逝く、扉が開く、世界が開く、この世に生きた証。
今井寿のギターが咽び泣く!テルミンのノイズが脳天を突く!


「貴方を夢想い 盲人となり叫ぶ」


目に映るのが“悪い夢”なら、盲人となりてこの現実を生き抜こう。
何も見えなくとも、魂はきっとあなたを求め、そこへ導いてくれるから。
お前と一緒ならゾクゾクするぜ!
孤独だろうよ、死ぬ時でさえ。凍えるだろうよ、これこそが生と死だ。


「満天のオーロラ 我 切り裂いて逝く魂よ

 黄泉彷徨える 我 百鬼夜行を逝く魂よ」



そう、魂を切り裂いて、満天の夜空の闇となって、
突き抜けていく・・・すべてが・・・。



今井寿のテルミン・ノイズが響き渡ると、櫻井敦司は、再び祭壇への階段を上がって逝く。
今度は、中腹での見えない壁も突き抜けて・・・。

最上部の『覇王の椅子』にたどり着くと開幕の刻と同じように足を組んで座る魔王=櫻井。
そうするとNHKホールの舞台の幕がするすると下がってくる。
今井寿の鳴らすノイズが激しさを増す中、幕が下りる。
その音の残像が、完全に止んでから、観衆は、拍手喝采のスタンディング・オベーションが始まり、
本編の終了を告げる。


見事な“GOTHIC SHOW”であった。


しかし、観衆は、おそらく、この“夢魔”からの強烈なアタックで、
完全に、夢見ゴコチから、叩き起こされ、目を見開いて、この壮絶なる“死の行進”を見届けたのだ。



◆◇◆◇◆


白夜とは、真夜中になっても薄明になっているか、または太陽が沈まない現象のこと。
南極や北極に近い地方で夏に起こる。
北半球では北欧諸国でこの現象が起こり、深夜でも街中を散策する人々が見られ、
まるで時間が止まったかのような不思議な感覚になるという。

この現象の原因は、
地球の公転面の垂線に対して地軸が約23.4度傾いているため、
それぞれの地方の夏では、地球が自転しても太陽が見える位置にいることになる。
そのため、夜になっても太陽がほとんど沈まない。

ロシアの小説家・思想家フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーの著作に、
『白夜』という作品がある。

ドストエフスキーは、1846年、処女作『貧しき人々』を
批評家ベリンスキーに「第二のゴーゴリ」と激賞され、華々しく作家デビューを果たす。
デビュー前のドストエフスキーから直接作品を渡されて読んだ詩人ネクラーソフが、
感動のあまり夜中にドストエフスキー宅を訪れたという逸話は有名である。

デビューこそ華々しかったものの、続けて発表した『白夜』『二重人格』は酷評をもって迎えられる。

『白夜』は、ペテルブルクでの白夜の四夜の物語。
貧しい青年が少女と出会い、ほろ苦い恋に落ちる。
青年は現実世界と折り合いを付けることができずに、空想ばかりにふけっていた。
そして、白夜の夜に知り合った少女に、そんな空想を長々と語って聞かせるのだ。
青年の空想は実に退屈である。
夢見がちな青年の空想ほど、退屈なものはない。

しかし、物語の中の少女は、意外にも、青年の話を熱心に聞いている。
最初は半身半疑であった青年も、そんな少女を見て、いっそうの熱を込めて語り続ける。

青年の話を聞き終えた少女は、今後は自分の物語を語り始める。
少女は、一年たったら迎えに来ると言ってモスクワに旅立ち、
そのまま音信不通になってしまった恋人を待っているのだという。

青年は少女に同情するが、同時に、少女に強く惹かれてしまう。
少女は、明日も同じ時間にここで会おうと誘われ、
青年と語らう夜を繰り返すうちに、その恋人に失望していき、
そして、最後の夜に、少女は、恋人に裏切られた憎しみを青年に語る。

そして、青年の恋を受け入れることにしたのだ。

愛を告白された青年は、心も浮かび上がらんばかり。

「あの空をごらんなさい、ナースチェンカ、まあ見てごらんなさい!
 明日はきっとすばらしい天気ですよ。
 なんて青い空だろう、なんて月だろうな! 
 ごらんなさい、ほら、あの黄色い雲、……」

しかし、少女は雲なんか見ていなかった。
音信が途絶えていた恋人が、戻ってきたのだ。
少女は、状況を把握するやいなや、なんのためらいもなく青年の手を振りほどき、
恋人のもとへ走り去る。


夜なんか、明けないほうがよかった。


そうして、少年は“夢”から醒めていくのだ。

良い夢も、悪い夢も、等価である。





ドストエフスキーは、その後、空想的社会主義のサークル員となったため、
1849年に官憲に逮捕され、死刑判決を受けるも、
銃殺刑執行直前に皇帝からの特赦が与えられて(この一連の特赦はすべて仕組まれたものであった)、
シベリア流刑へと減刑になり、オムスクで1854年まで服役する。
この時の体験に基づいて後に『死の家の記録』を著す。

他にも『白痴』などで、死刑直前の囚人の気持ちが語られるなど、
この事件は以後の作風に多大な影響を与えた。
刑期終了後、兵士として軍隊で勤務した後、1858年にペテルブルクに帰還する。
この間に理想主義者的な社会主義者からキリスト教的人道主義者へと思想的変化があった。
そして『罪と罰』を発表し、世界的評価が高まるのだ。


まさしく“死”から“復活”を遂げた人物といえよう。



◆◇◆◇◆



この“現実”という“夢”から醒めたとき、


果たして、我々を待ち受けるもうひとつ“現実”…。

それは、どんな“夢”なのだろうか?










夢魔-The Nightmare
 (作詞:櫻井敦司 / 作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)


ツンドラの大地 我 死装束の魂よ
黄泉彷徨える 我 百鬼夜行を逝く魂よ

亡霊を追い駆けて 狂人となり走る

白夜の空を 我 朱に染め逝く魂よ
黄泉彷徨える 我 百鬼夜行を逝く魂よ

郷愁を想い涙 盲人となり喚く

満天のオーロラ 我 切り裂いて逝く魂よ
黄泉彷徨える 我 百鬼夜行を逝く魂よ

幻影を追い駆けて 狂人となり走る

ツンドラの大地 我 死装束の魂よ
黄泉彷徨える 我 百鬼夜行を逝く魂よ

貴方を夢想い 盲人となり叫ぶ

ツンドラの大地 我 死装束の魂よ
白夜の空を 我 朱に染め逝く魂よ
満天のオーロラ 我 切り裂いて逝く魂よ
黄泉彷徨える 我 百鬼夜行を逝く魂よ

ツンドラの大地 我 死装束の魂よ
白夜の空を 我 朱に染め逝く魂よ
満天のオーロラ 我 切り裂いて逝く魂よ
黄泉彷徨える 我 百鬼夜行を逝く魂よ

ツンドラの大地 我 死装束の魂よ
黄泉彷徨える 我 百鬼夜行を逝く魂よ


【ROMANCE】

【ROMANCE】