「貴方は誰? ねぇ誰なの?
私は誰? ねぇ誰なの?」
「赤い靴 はいてた 女の子
異人さんに つれられて 行っちゃった
横浜の 埠頭から 船に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった
今では 青い目に なっちゃって
異人さんの お国に いるんだろう
赤い靴 見るたび 考える
異人さんに 逢うたび 考える」
真紅のスポット・ライトが照らす
樋口“U-TA”豊の印象的なチョッパー・ベースのイントロから始まる「異人の夜」。
BUCK-TICK流の“童謡”世界が、これまた、見事な星野英彦のメロディに乗って完成した。
“U-TA”のイントロに続く、目の覚めるようなヤガミ“アニイ”トールのオカズも秀逸だ。
この3曲目にエントリーした「異人の夜」の前奏の時に、
“覗き見小屋”のようにステージの左右に分かれて留まっていた幕が、
この楽曲の前奏とともに、ゆっくり上がって行く…。
そして、その全貌を表したゴシック・ステージ。
このアルバム『十三階は月光』と同じ並びの「Cabaret」から「異人の夜」の流れ、
星野ゴシック・ワールドの展開の中に見る追加公演【13th FLOOR WITH MOONSHINE】の
醍醐味を観た様な気持がする。
美麗な黒光りするゼマティス・ベースのこの旋律が、この「異人の夜」を引っ張って行く。
「片目の黒猫がゆく 何処から来たのだろう
闇夜を横切ってゆく 何処へ行くのだろう」
全編、中世ヨーロッパの様式美の彩られたアルバム『十三階は月光』のなかでも、
和製ゴシックとして異色な童話世界を展開する「異人の夜」は、
この後にリリースされる本格和製ゴス「蜉蝣-かげろう-」にも繋がるような一作だ。
櫻井敦司の歌詞も、アルバム『SEXY STREAM LINER』で垣間見せた童謡性が
本格的に開花したと言えるだろう。
「その時誰かが泣いた 誰にも知られずに
異人に手を引かれて 赤い靴を履き」
この櫻井敦司の歌詞の下敷きとなっているのは、言うまでもなく、
上述した1922年(大正11年)、野口雨情作詞・本居長世作曲で発表された童謡「赤い靴」である。
この童謡「赤い靴」の歌詞は、実話を題材にして書かれたという話が定説化している。
定説化したエピソードには、異論も挙がっているようだか、
以下にその「定説」を記そう。
静岡県清水市有渡郡不二見村出身の岩崎かよの娘“きみ”が、
その赤い靴を履いていた少女のモデルとされる。
岩崎かよは未婚の母として“きみ”を育てていたが、北海道に渡り、鈴木志郎と結婚する。
そして、きみが満3歳の時、当時開拓地として注目されていた北海道の開拓農場へ入植する。
しかし、開拓生活の厳しさもあり、かよは義父佐野安吉の仲介により、
娘・きみの養育をアメリカ人宣教師のヒュエット夫妻に託すことにした。
「夏が逝く 花びら撒き散らし逝く
鮮やかに 舞い散る真っ赤な空へ」
空が“真っ赤に染まる”。
やがてヒュエット夫妻は本国に帰る事になるが、その時“きみ”は結核に冒されており、
アメリカに連れて行く事が出来ず、そのまま東京・麻布の鳥居坂教会の孤児院に預けられてしまう。
“きみ”は孤児院で母親に会うこともできず、9歳で亡くなったという。
母親のかよは、きみはヒュエット夫妻と一緒にアメリカに渡ったものと思いこんでいて、
きみが東京の孤児院で結核で亡くなったことは知らされないまま、一生を過ごした。
「明日があるとするなら綺麗な空がいい
闇夜がそっと呟く もう帰れないよ」
この少女・きみが不幸であったどうかは、わからない。
しかし、母親かよは、その別れた娘を想い、一生を生きた。
アメリカの青い空の下で、元気に育っていることを祈りながら。
まだ戦前の貧しき日本でのエピソード…。
野口雨情は、1907年(明治40年)、札幌の新聞社に勤めていたときに、
同僚の鈴木志郎やその妻のかよと親交を深め、
「かよの娘のきみが宣教師に連れられて渡米した」という話を聞かされた。
じつはこの時点では、きみは東京の孤児院にいたのだが、かよはそのことを知らない。
1921年(大正10年)に、この話を題材にして「赤い靴」が野口雨情によって作詞された。
「月が逝く 睫毛を震わせて逝く
降り注ぐ 琥珀にびっしょり濡れた」
月だけが、真実を見つめていた…。
1973年(昭和48年)きみの異父妹(鈴木志郎とかよの娘)が、
新聞に「私の姉は『赤い靴』の女の子」と投書。
この記事に注目した北海道テレビ記者の菊地寛が調査を開始した。
菊地は5年にわたる取材ののち、上記の事実を確認し、
「ドキュメント・赤い靴はいてた女の子」というドキュメンタリー番組を北海道テレビで制作・放送した。
その後、菊地は、ノンフィクション小説「赤い靴はいてた女の子」を1979年(昭和54年)に発表、
この本の記述が「定説」として定着したとされる。
(以上、『Wikipedia』参照)
◆◇◆◇◆
この定説の真贋は置いておいても、
このエピソードが、ノスタルジックな和製ゴシックの下敷きとなり、
櫻井敦司のミステリアスなファクターが、「異人の夜」の作品世界を広げて行く。
「仕組まれていた罠 はじめから罠
泣き疲れて眠る そして誰もいなくなる」
すべて“罠”だったのだろうか?
夜の底で、糸の引く“魔女”の姿が、見えるような気がしてくる。
赤い靴の少女も、彼女の“罠”に嵌ったというのか!?
“神隠し”というキーワードが浮かぶ。
魔王=櫻井敦司は、ステージ中央に君臨し、帽子を被ったままこの和製ゴシックを唄い繋ぐ。
非常に見事な伸びやかな歌声が、NHKホールに響き渡る。
その向って左手で、このツアーからの独特な足上げダンスを披露する今井寿は、
この日も、巨大なクラウン・シューズを履いている。
間奏部分では星野英彦と今井寿の非常にスリリングなギター・アンサンブルが美麗である。
この間奏中、櫻井敦司は、“神隠し”の如く、激しく黒いマントを翻し続ける。
其処で“赤い靴の少女”は、何処か、“神隠し”あってしまったかのようだ。
あまりに激しい“神隠し”のアクションに深く被っていたマダム帽がフロアに堕ちると、
“ゴシック・メイク”で美麗さを増した櫻井敦司の、否、魔王の尊顔が、披露されるのだ。
◆◇◆◇◆
米国の童話小説作品に1912年、作家ジーン・ウェブスター著作の
『あしながおじさん』(Daddy-Long-Legs)がある。
こちらは、米国らしくハッピーエンドの孤児院出身の少女の手記と言える。
ジョン・グリア孤児院のジュディは、
ある日院長室に呼び出される途中、西陽によって正視を妨げられながら、
廊下に落ちた長い長い“人影”を見ることになる。
まるでそれはガガンボのようなとても足の長い虫さながらであった。
院長からジュディは、孤児院の評議員の一人に彼女の才能を見込まれて、
毎月一回学業の様子を手紙で報告することを条件に、
大学進学のための資金援助を匿名で与えられることになったと知らされる。
さっき一瞬だけ見えた後ろ姿こそ、その評議員であることを知り、
のちに彼女が彼を「あしながおじさん」と呼ぶきっかけとなる。
“赤い靴の少女”も、このジュディになる可能性はあったハズ…。
ジュディはロック・ウィロー農園で卒業後の生活を始め、作家を目指して小説を書き進めながら、
あしながおじさんへの手紙を止めることなく書き続ける。
やがて、ジュディはジャービス・ペンデルトンからプロポーズを受けるが、
孤児院出身であるという経歴を打ち明けることができず、彼を愛していながら拒絶してしまう。
煩悶したジュディが自分の気持ちを手紙にしてあしながおじさんに送ると、
会って話を聞くという返事が返ってくる。
初めての対面に緊張しながらニューヨークに向かったジュディがあしながおじさんの部屋に通されると、
そこにいたのはジャービス・ペンデルトンであった。
ジャービスがあしながおじさんであったことを知らされたジュディはプロポーズの返事を
「あしながおじさん」に向けて手紙で送る。
それは、初めて「家族」を得たジュディが書いた、初めてのラブレターであった。
そして、もしこの「十三秒」がズレていなければ…、
こんな、ハッピーな「もう一つの現実」が存在していた可能性は、ある。
すべて、因果律の流れの中…。
すべては、パラレル・ワールド?
◆◇◆◇◆
「愛されたいんだ 抱きしめて欲しい
懐かしいその声 僕の名前呼んでくれ」
個人的に、櫻井敦司がアルバム『十三階は月光』の背景世界に参考にしたのではないか?
と推測するコミック『ベルセルク』の主人公ガッツ (Guts) は、
戦地で母親の骸の下に産み落とされ、ガンビーノ率いる傭兵団に拾われた。
以後、傭兵団の中でガンビーノを養父として過ごし剣術を習い、幼少期から戦場に駆り出される。
ガンビーノを親として慕っていたが愛情が与えられる事は無く、
11歳の時にはずみでガンビーノを殺してしまい傭兵団から脱走。
以後は何処にも所属せず一人で戦地を転々とする。
それが、トラウマという形で、幻影に追われ続けるガッツも、
天才軍師であり、自らも高度な戦闘能力を持つグリフィス率いる「鷹の団」入団し、
そこでキャスカ、ジュドー、リッケルト、コルカス、ピピンなどの“仲間”を初めて得る。
自分の“名前”を呼んでくれる“仲間”こそ、孤高の戦士ガッツにとっては“愛”そのものであったろう。
彼を拾ってから3年後に最愛のシスを疫病で失い、
自身も負傷で片足を失うなど不幸続きであった義父ガンビーノは、
ガッツが災厄を運んできたと憎悪を向け疎んじ、邪険に扱い、
自分に甲斐甲斐しく世話を焼こうとするガッツに厳しく当たるなど手荒く扱い、
しまいには、稚児趣味を持つ同僚の夜の相手にガッツを銀貨3枚で売り渡した。
そんな仕打ちとした養父に、ガッツは…
“愛”を求めていた。
ガッツは、そんなガンビーノをそれでも“父さん”と呼んでいる。
そして、自らの手で、その養父を殺害してしまったことを後悔している。
(※女千人超キャスカとの邂逅時に幻覚を見て彼女に告白している)
「死ぬべきだと言っていた。
11年前、母親の躯の下で、お前は死ぬべきだと。
ごめん・・・・・・ガンビーノ・・・・・・父さん・・・・・・」
ガッツ(『ベルセルク』第9巻)
誰もが、自分自身の存在価値を示す鏡として、他人からの“愛”を求める。
それが、端的に表現される“名前を呼ぶ”という行為を、この“赤い靴の少女”も望んだのだろうか。
「なりふり構わず 喚き続ける
泣き疲れて眠る そして誰もいなくなる」
自分の“名前と呼んでくれる”
他人こそが、自身を映し出してくれる鏡。
お前は、誰だ?鏡よ、鏡…。
そんな相手が誰もいなくなると、自分が誰であったのか?さえわからなくなる。
すべてはこの“異人の夜”の漆黒の闇に中に消えて行く…。
異人の夜
(作詞:櫻井敦司 / 作曲:星野英彦 / 編曲:BUCK-TICK)
片目の黒猫がゆく 何処から来たのだろう
闇夜を横切ってゆく 何処へ行くのだろう
その時誰かが泣いた 誰にも知られずに
異人に手を引かれて 赤い靴を履き
夏が逝く 花びら撒き散らし逝く
鮮やかに 舞い散る真っ赤な空へ
明日があるとするなら綺麗な空がいい
闇夜がそっと呟く もう帰れないよ
月が逝く 睫毛を震わせて逝く
降り注ぐ 琥珀にびっしょり濡れた
仕組まれていた罠 はじめから罠
泣き疲れて眠る そして誰もいなくなる
愛されたいんだ 抱きしめて欲しい
懐かしいその声 僕の名前呼んでくれ
なりふり構わず 喚き続ける
泣き疲れて眠る そして誰もいなくなる
貴方は誰? ねぇ誰なの?
私は誰? ねぇ誰なの?

