『MUSIC ON! TV BUCK-TICK SPECIAL』の映像。
本日もそのメンバーのコメント内容を記そう。

Q NEW ALBUM「十三階は月光」について

櫻井「まず、飲み屋で軽くひっかけて……話し始めました。ボソリと「次は、ゴシック」って感じで」

櫻井敦司は、先行シングル「ROMANCE」制作の打ち合わせ後の飲み会での、
今井寿の一幕を、コミカルに演じる。

この当時、BT関連の話題となっていた“なぜ、今、BUCK-TICKが、ゴスを演るのか?”
この結成20周年にナゼ?という疑問が巻き起こっていた。

“意外?”いや、彼らがゴス、ゴシックの世界を描く事は、決して“意外”ではない。
以前、アイドル路線からの脱却を図ったアルバム『TABOO』のモチーフは、コレであったし、
その次の大ヒット・アルバム『惡の華』などは、更にその傾向を推し進め、
けっして当時のトレンドとは、逆行するかのような世界を描き出していた。

また初期に決別を告げた一大センセーションの横浜アリーナ【Climax Together】後、
新規一転、ダーク・ワールドを突き進み出したアルバム『darker than darkness -style93-』にも、
このゴス・ゴシックのアンダーグラウンドな空気が充満していると言える。

しかし、この頃までに、日本のメジャーのフィールドで、
ここまで“ゴス/ゴシック”というモチーフを突き詰めたバンドは、
他のバンドとは一線を画して異彩を放ったMALICE MIZER(初期)くらいであったのではなかろうか?

BUCK-TICKは、この時、対極に位置していた。
“攻撃的”な一面を垣間見せた前作『Mona Lisa OVERDRIVE』から、
流れる様に展開していった今井ソロ・プロジェクトの“Lucy”でのいきり立つような、
“ロケン”の衝動を目撃したBUCK-TICKフリークには、意外に見えたし、
更に、それを嗜好する櫻井敦司が、では、なく、ロケンの鬼:今井寿が、意図し実行に移した点に、
この“意外性”を検証する必要があったのだ。


今井「ツアー中に、ゴスみたいな演劇的な、
あの世界観のトータル・コンセプト・アルバムがいいなと思っていて……。
で、(櫻井敦司の)ライヴを観に行ったら、
アノ、ソロだから演りたいことっていうのが、全面に出て来るじゃないですか?
だけど、ソロとはいえ、作曲は、その色々な人にバラバラの頼んである訳じゃないですか?
だから、ちょっとしたこの歪(イビツ)感っていうのがあって。
それ(ライヴ)見た時に、アノ、考えた事とピッタリ合うな、と。
というところで、なんだろ、確認作業じゃないけど、バッチリだな、と」

櫻井「意外、でした、よ。意外というか…。うん、でも、オッ、やる気満々だなって」



このメインコンポーザーの呼びかけに、メンバーも呼応する。



星野「たまたま呑んでる時に、その次のアルバムの話が出て。
まあ、シアトリカルみたいな感じがいいんじゃないかな、みたいな感じになって。
で、ああ、そう来たか?っていうか。
そっち系か…みたいのは、ありましたケド」


そして、このコンセプトには、欠かせないメイン・アクターは言う。


櫻井「うん。意外だな、と思った次の瞬間には、
もう、自分の好きなモノ、世界観を、バンドでとことんやっていいんだってカンジで。
嬉しかった、というか、ヤル気になりました。
ソロの時もニューウェイヴとゴスっていうのをコンセプトでやってたんで、
何か、その、それを観て、今井とか他のメンバーが観て、
もっと全然、違うモノ、違うコトを作る…作るんだとしたら、
誰かがソロでやった事と違う事をやるんじゃないかって思ってたんですけど。
この流れで“ゴス”って。バンドでやるっていうのを聞いて。
で、意外って意味だったんですけど」


そして、それは、本人達が想っていた以上に、大きな展開を見せることになる。


今井「なんか、足りない感が渦舞いいてて。
最初は10曲~12曲のその位で、SEは別に考えてなくて。
で、そういうアルバムを作るつもりだったんですけど。
でも、そのコンセプトっていうところで、ブレないところで、作り始めたら……。
結果、この位の曲数じゃないと無理だったかなと思いますけど」

ヤガミ「でも、はじめて、その、一つのコンセプト立てにして、ちゃんとやったアルバムというか。
多分、そういう風のなかったと思うんですよ。今まで」

櫻井「夢は、もちろん、こういった雰囲気とか。
まあ、もっと言うと歌詞だったり、その世界観だったりっていうのを、
“一枚岩で行こう”みたいのは、まあ、初めてと言いますか…」



全18曲というヴォリューム、背景となる統一されたゴス的世界観、まさしく“大作”としての
必要条件をクリアするこのコンセプト。
そして、楽曲間を埋めるSEが、ストーリー的な“妄想”に拍車をかける。
ヴィジョンが蠢くように、脳裏を過ぎる…。




今井「映像的なアルバムでは、ある、と思うんで、そういうモノは…常になんか、
そういう世界に居て、作曲は、していましたケド。
ストーリー的なモノは、聴いてる人が、何かしら、こう、浮かんでくるんじゃないか、と思うんですケド」


“ゴス”は、古いか?新しいか?


樋口「自分達では、“新しい”と思ってますけど。
もしかしたら、周りの人は……。
まあ、よく取材とかでもあったんですけど“ナンカ、戻って来たね”みたいに言われて。
自分達では、そういうのないんですけど」

星野「でも、やっぱり今回そういうコンセプトが、ハッキリしている分、
バラエティに富んでるバラけた感じのアルバムではないです、よね」

ヤガミ「いや、でも。多分、今井とか。そのトッ散らかってるのが、嫌だったんじゃないですかね?
もう、コッチのアルバムはアルバム。
PVはPVって、こう結局……。
それなりに、やっぱり線が欲しかったんじゃないですか、ね」


ヤガミトールが、今井寿の心境を語る姿は、
このBUCK-TICKという楽隊の“核”になる部分=本質かもしれない。
彼ら二人は、恐らくバンド内で対局に位置しながら、そのパワー・バランスを引き出し合う関係だ。

そして“自由”が、BUCK-TICKに飛躍力を与えていたのは、紛れもない事実だ。
現に、彼らの標榜する“ロック”とは、ステレオ・タイプの“ロック”ではあり得なかった。
むしろ、ジャンルという“制限”を空の彼方に突き飛ばし、
“なにものでもない”“ナニカ”こそ、“ロック”であらん、と。

しかし、その自由すら、すでに“形骸化”していたのだ。
逆転の発想?パラドクス?……なんでもよかろう。

兎にも角にも、彼らは、“制約”という枷を設けることで、
“新境地”を、再び、目指したのだ。

それは“新しくて、古いもの”“ゴシック”だったのかも知れない。
そして、“ゴシック”こそ、彼らの“夢物語”であった。




櫻井「やっぱり非日常的、良い意味でも、悪い意味でも……夢があると言いますか。
まあ、いい夢も、悪い夢も……悪い夢のほうが憶えてるってタイプなんですけども。
でも、“覗いてみたい、もう一回”っていう。

それが出来るのは、やっぱり、リアルだで見せたら、凄くしんどいので、
やっぱり、童話だったり、音楽だったり、小説だったり、映画だったり。

本当にその音楽の中、小説の中だったら、何処へでも行けますからね。
そういう風にしたかったんですよ。
もう、自分の葛藤だったり、悩みだったりとかっていうのは、もう、
アノ、やってた時期もありましたケド……。
もう、いいんじゃないか?というか、もう、やりたくない。
“夢を与えましょう”って感じでした」


…コンセプト設計者は、こう言い切る。


今井「あ、これからキマスよ。ゴシックが」



レコーディング。この独特の世界観、空気感を封じ込める作業。
彼らの“魔法”とも言えるものだ。
この異世界に、やはり、メンバーもドップリと……。



星野「レコーディングはいつも通り…。
ええ、曲がやっぱり多いんで、時間は、それなりに掛りましたけど」

今井「特になんか苦労するっていうのは……。ずっと、こういう世界に居る感じだったんで。
出て来る音は、もう、ソレのみっていう」

櫻井「いや、もう、楽しかったです」



アルバム『十三階は月光』の世界。
歌詞は、「seraphim」除き、そのトータル演出を指揮した櫻井敦司によるものだ。
これは、ステージ演出も加味した総監督:今井寿の“妄想”である。



今井「で、デモテープを渡す時に、“なんかコレ、あっちゃんだよな”って、
出来あがる曲、出来あがる曲“コレ、俺じゃない”って。全部渡してましたね。気が付いたら。
多分、その自分の言葉を纏って…ステージにいるカンジのが、綺麗だな、っていう」


メイン・アクターであり、トータル演出を担当した櫻井敦司も、
この総監督:今井寿の意向に、200%の力で応えた、といえよう。
また、すべて“夢物語”“フィクション”という観念が、
彼らに、素晴らしい、恩恵を与えているように思う。
櫻井敦司は、『十三階は月光』の出来をこう語る。


櫻井「やっぱり自分をコントロール出来たかな、と思います。
まあ、いつも、そうなんですけども。
自尊心だとか、照れみっていうのが邪魔して、成り切れてない、っていう時もあったんですけど。

で、そういうのは、後々、凄く自分自身ガッカリしちゃうんで。
だから、そういうのは、もう本当に世界に入って、色んな役を演じられる状態に持って行けましたね」


そう。もはや『十三階は月光』に、己の身に、深くナイフを鎮め、
血を流し、もがき、叫ぶ、櫻井敦司の姿は、存在しない。
すべてが、“完成された世界”でのコントロールされた“妄想”…。

だから、こそ、櫻井敦司は“魔王”として、此処に君臨している。
“魔の支配者”として…。






アルバム『十三階は月光』のキーワードは何なのだろうか?
勿論、音世界を言葉で、表現するのは、困難極まる。
彼らは、こう伝える。



樋口「とっても、緊張感のあるアルバムかな、って」

櫻井「子供に、寝る前に、聴かせてやって下さい、って感じですかね。
(いい子に育ちますかね?)育ちます!」

今井「んん…。ロック…では、ない。…カンジ」



どうやら、すでに、アルバム『十三階は月光』は“ロック”ですらないようだ。

そして、真の“勇気”とは、“恐怖”を乗り越えた所の存在する。
蚤が、人間を攻撃する時に、“恐怖”を感じるであろうか?
しかし、人は、この“恐怖”を理解し、乗り越える術を考える。
これこそ、人の持つ“勇気”であり、人の成長と言えるのでは、ないだろうか。

だから、人は“悪夢”を見る。
それを、乗り越え、克服し、成長への英知を授かるために。



そう……、人は“魔”すら、コントロールできる…ハズ…。





ヨハネの黙示録 第20章

それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。
このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。




【ROMANCE】