――そういえば一度ライヴが終わった感じでテロップを流した後、
アンコールの2曲が入るって構成も良いよね?
「自分としては本編だけでまとめたいってずっと思ってたんですけど、監督さんに説得されて(笑)。
コンサートのエネルギーが一番出ているのがアンコールだと。
そういうのってやっぱり第三者じゃないと見えなくなってきちゃってるんですね。
本人にしてみれば一つの世界が出来上がったからここで終わりにしたいって思うんだけど」
(櫻井敦司)
「実際、コンサートでもアンコールはおまけみたいな感じだったから、
じゃあ、いったん終わった感じにしてから出てくるのもいいんじゃないかって」
(今井寿)
※以上『ARENA』誌より
初めての本格ライヴ映像ドキュメンタリーとなった【Climax Together】。
総監督は、「惡の華」のヴィデオ・クリップの監督を果たした林ワタルであるが、
その後のBUCK-TICKのオフィシャルな映像作品は、ほぼ彼の監督作品である。
林ワタルは1957年、広島県倉敷市に生まれる。
大阪芸術大学卒業後上京しムービー・カメラマンとして様々なジャンルの映像に関わる。
1983年、ジャパンロックの独特なフィーリングの創始者といえる佐野元春と出会い、
以降、ミュージック・ヴィデオの制作に専念。
1989年、自ら株式会社WHOOPを設立。
現在も自らディレクター&カメラマンとして様々なアーティストと
あらゆるジャンルの音楽映像の可能性を追求している。
そんなニュージック・ヴィデオの世界に魅入られた男:林ワタルは、
12年前の【Climax Together】制作の構想時からプロジェクトに参画し、
ただの盛り上がるライヴ映像ではなく、一本の作品としてストーリー性を持って、
【Climax Together】を撮り上げたと言っていい。
1992年当時としては【Climax Together】は画期的なライヴ・ヴィデオと言えたし、
その後のBUCK-TICKのライヴ・ヴィデオが、
一種独特の空気を持って世に送り出され続けてきた貢献を考えると、
彼の仕事の意義は果てしなく大きいと言えるだろう。
この12年前の【Climax Together】がBUCK-TICKというバンドと、
このライヴの構想をメインとなって考えた櫻井敦司には、BUCK-TICKという楽隊が、
一度ピリオドを打つべき時期であると感じていた節がある。
以下に1992年当時の櫻井の言葉を引用する。
(以下、『ARENA』誌より引用抜粋)
――ヴィデオの話の中で、「一段落着いた」っていう発言あったけれど、あれはどういう意味?
「一つは『狂った太陽』ってアルバム作って、何か自分の中で一つの区切りみたいなものが付いたんですね。
それで結果的に『殺シノ調べ』のようなベスト的なアルバムを、
予想以上にへヴィにエネルギーと時間を費やして作ったんで、
何かまた一つ終わったなみたいな部分もあったんです。
本当は『狂った太陽』の後でニュー・アルバムにいきたいという意見もあったんですけど、
何かあの時点での気持ちを全部吐き出したっていう部分もあったんで、
もう少し助走距離が欲しいかなっていうことで」
――と言う事は、自分自身でもバンドとして転換期に差し掛かっているのを、
ある程度は意識してるんですね?
「そうですね。
やっぱり個人的にはこのあたりで大きな変化に期待してますね。特に自分に対しては。
それができるかどうかは別にして、やっぱり大きい変化が欲しいと思います。
完成形で満足しているのも何かフラストレーションが溜まってくるという気がするんですよ。
あんまり一つ一つの事を満足したままの流れで次っていうんじゃなく、
何か大きい変化で、全然違うものの見方っていうか、そういう風にできればいなと思っているんです」
――今日、皆の話を聞いて、やっぱり共通しているのは変化したいって気持ちで、
個々のプレイにしても、もっと違う事をやりたいというところにきているんじゃないかと感じたんですが。
「そうですね。
確かに皆、自分でもう自然に規制を作ってる部分もあったと思うんですよね。
もちろん少しずつ変わって来てはいるけど…。
だから一度その部分を解放して、またバランスよくまとまっていけばいいと思うんですけどね」
――でも、そこでどういう歌を歌えるかっていうのが結局はポイントになってくるでしょ?
「自分の瞬発力みたいなもの、それだけを頼りにしてるんですけどね。
だからホントに追い詰められた時に何が出てくるかっていうのを期待してて。
今はゆっくり遊びながら空っぽにしたいっていうか。
凄く考えるのは、回りの事を全部自分で見て感じて、で、自分の中でまとめるのがいいか、
あるいは感覚的にストンと出せばいいかとか、色々考えますよね」
――まだ、イメージとかテーマってのは何もないの?
「本当に漠然とした感覚的なものはあるけど、
結局は昔とかメロディとかそういうものの影響もあって、
初めて自分の発想との相乗効果みたいなものがあるんで、まだ具体的には何もないんですよ」
――普段から気に入ったフレーズやアイデアをストックしておくとか、そういう事はしていないの?
「頭には何かしらあるんですけど、それを文章にして曲を待つって事はないですね。
やっぱり、先に曲のキャラクターをつかんでからっていうがあるんですよね。
そこで初めて言葉も自然と出てきたり、
今まで自分の中にあったものが誘発されてニュアンスが少しずつ変わっていったりするんで」
(以上、引用抜粋)
当時の各音楽雑誌に書かれている、【Climax Together】の様子を伝える記事や、
それに対するライターたちの意見は、実は手放しでこのライヴを賛美している訳ではなかった。
セット・リストはシアトリカルな楽曲で埋め尽くされ、
メンバーもそれまでのロック・ショウのようにノリノリにオーディエンスを煽ることももない。
櫻井敦司のMCもほぼなく、ミディアムな楽曲が次々と繰り広げられていた。
しかし、これは監督:林ワタルとBUCK-TICKのメンバーの構想のもとに忠実に実行されていたと言っていい。
ライヴのドキュメンタリーを撮るのではなく、
作品として映像化するために、ライヴを演った、というのが
恐らくは、【Climax Together】の正しい主旨であったのだから。
当然、メンバーは役者のように、各自決められた役割を忠実にこなすことを要求された。
オーディエンスも、言ってみれば映像作品の配役のひとつの役割を持っていた。
いうまでもなく、発案者の櫻井本人は楽曲を観客が大合唱するのを嫌がっている。
この先のツアー【殺シノ調べThis is NOT Greatest Tour】でも、
観客がアレンジされ変身【RE:BORN】を遂げた楽曲を呆然と見守る姿を、
むしろ面白がっていたように思えるし、その歌詞内容を考えれば、
実はそれは、当然のことであったかも知れないのだ。
確実にBUCK-TICKは、ファンをコントロールした。
こういう言葉が正しいか、わからないが、
教育し、矯正したのだ。
ロック・コンサートで熱狂するだけが、観客というキャストとしての彼ら彼女らの役割ではないのだ、と。
今となっては、どこまで意図していたか?確認する術はないが、
櫻井敦司は「クールな感じでやりたい」と語っていたし、
現実に【Climax Together】以降の彼らのライヴ作品には、
オーディエンスも含めて一本の芸術作品といえるような空気が張り詰めている。
そして、本来は“おまけ”としてのアンコールで、
その殻を破ったのは、忘れもしない世紀末コンサート【ONE LIFE,ONE DEATH CUT UP】に収録される
アンコールの最後に、客電がすべて点灯しパフォーマンスされた
「PHYSICAL NEUROSE」であったに違いない。
それ以後も、このアンコールがあるから、彼らが本編でどんなシリアスな世界へ我々を誘っても、
ある種の安心感を持ってライヴの世界に浸れるというのがあると感じている。
これも、BUCK-TICKのエロスとタナトスであったいえるのではないだろうか?
2004年9月11日の二度目の【Climax Together】…
【悪魔とフロイト -Devil&Freud- Climax Together】は、
その後のライヴ作品の集大成といえる深淵な作品となった。
オープニングのキラメキを演出する「21st Cherry Boy」では、
活動再開の喜びと豪勢なライトアップが年末恒例の【THE DAY IN QUESTION】を彷彿させるし、
「君のヴァニラ」「Madman Blues-ミナシ児ノ憂鬱-」ではダークな世界観の
【Tour darker than darkness -style 93-】~【TOUR 1996 CHAOS】辺りまでの混沌を感じる。
「極東より愛を込めて」「無知の涙」「楽園(祈り 希い)」の一連の流れでは、
【Mona Lisa OVERDRIVE -XANADU-】での攻撃性に身震いさせられる。
久々に演奏された「月世界」は勿論【SWEET STRANGE LIVE FILM】の
アヴァンギャルドな香りをまき散らし、
「JUPITER」では12年前の【Climax Together】に、立ち返って魅せた。
また前出の「PHYSICAL NEUROSE」では【ONE LIFE,ONE DEATH CUT UP】のサービス精神と、
ラストの「COSMOS」では【BUCK-TICK TOUR2002 WARP DAYS 20020616 BAY NK HALL】の
コミュニケーションの暖かさを堪能するのだ。
まさに悪魔と一晩を共にした
【悪魔とフロイト -Devil and Freud- Climax Together】は
BUCK-TICKの万能な映像作品として、12年前の伝説に連なったと言えるのではないだろうか?
※※※※※
そして、この【ROMANCE】に綴らせて頂いた
フロイト博士の「生の本能(エロス)」と「死の本能(タナトス)」。
恐らくは、多くの方の、心の痛みに触れてしまったのではないかと危惧している。
もし、そのような方が居られたら、この場を借りて謝辞を申し上げたい。
ありがとう、ごめんなさい。
yas
『悪魔とフロイト -Devil and Freud- Climax Together』
