「鼓動」が聞こえる・・・。
【悪魔とフロイト -Devil&Freud- Climax Together】は、
このアンコールの3曲目「鼓動」を以て、【悪魔とフロイトの宴】本編の終焉を迎えたと言っていい。
「JUPITER」は、むしろ、終焉の始まりを告げるカタチで演奏されており、
「月世界」での死への旅立ちと宇宙(ソラ)の歴史を走馬灯のように体験し、
碧い地球すら、死という終焉を迎えるという“無限性”から“有限性”への価値を示唆。
そして、後に輪廻転生するという“Loop”の過程を「BRAN-NEW LOVER」で表す。
(※アルバム『darker than darkness -style93-』に於いて、「die」で別れを告げ、
シークレット・ボーナスの「D.T.D」で再生【RE:BORN】を果たしたのと同じ構図だ)
“Loop”したのは、母なる子宮。
此処が、我々の宇宙そのものだった。
そして、生まれ変わった赤子が、自分であるかどうかは、
すでに、関係がない。
彼は、彼で、彼女は、彼女で、新たに“命”を紡ぐのだ。
フロイト博士の発言に、批判的な評論が多いのは、
その断定的な一元論の説論に、彼独特の確信に満ちた【暴露】が端々に見られるためであろう。
現代精神医学の権威としての仮面がそうさせたわりには、
当時、多数派であったキリスト教の権威さえも敵に廻す様な、
ショッキングな【暴露】に満ちた断言が、
彼をして、歴史的な危険分子、もしくは、異端の者という烙印を、
当時、そして、現代でも、彼の評論に纏わりつく。
フロイト博士は言った。
「キリスト教は愛だ、愛だという。
しかし、そうでもいわなければもたないくらい人間はお互いを憎んでいるのだ」
タナトスは「死の本能」と訳されるが、この語はフロイト博士のなかでも多義的である。
普通、“殺したい”という本能であると考える。
そういう意味もある。
しかし、人が同じ様なことを反復するのも実は「死の本能」と彼は呼ぶのである。
大抵の人は極端ではないが高所を怖いと感じる。
あの怖さは何か。
死の本能である。
しかし、刺激(エクスタシー)の名のもとに人々は、高層ビルから夜景を見たがる。
殴られるとわかっていて喧嘩を仕掛ける。
ハイウェイを、高速でブッチギル。
ジェットコースターに乗り絶叫する。
ギャンブルに、一攫千金を狙って全財産を賭ける。
ドラッグまで刺激的な覚醒は無いにしても、過度のアルコール摂取や暴食の刺激。
自分の中にもう一人の自分を殺そうとする本能がある。
それは、タナトスなのか、エロスなのか区別さえつかない。
それが自分の中で自分殺そうとして駆動する。
だから、もう一人の自分が後ずさるのだ。
エロスにしても疑わしい。
性愛以外にも、生きる実感を得るためにスポーツをする。
スポーツ、特に対戦形式の試合があるものに熱狂する。
英国のフーリガンを見ればわかるだろう。
やりたいのだよ。
相手を打ちのめしてやりたいのだよ。
これもデストルドーだと言えるのさ。
サディストもマゾヒストもエクスタシーを求める点では、同義だ。
その対象が自己か他者か・・・。
要するに、刺激から、生きている実感が欲しいのだ。
「愛してる」という時には注意が必要だ。
愛が危ないとき、我々は愛していると相手に言って欲しいと思うのだ。
実は、そのくらい、相手の「死の本能」を自分たちは無意識の内に感じ取っているのだ。
だからこそ・・・
「生きていたいと思う 愛されているなら
ごめんなさい ありがとう」
フロイト博士は【トーテムとタブー】の中で更にこう拍車を駆ける。
殺人者は普通、動機付ける「こういう理由で殺した」と。
逆である。
理由はあとで“殺したい”が先なのだ、そのための口実を我々は探している。
このドスグロイ、タナトスが本能である、と。
そう、断言するフロイトが、“隣人愛”を唱える キリスト教に、
狂気扱いされたの仕方なかったかもしれない。
しかし、エロスこそが、死の本能から逃れる欲動であるとも説く姿は、
ジーザスと行き着く底が同一じゃないか。
そこに同時にエロスもタナトスも提唱したフロイト博士のアンバランスさがあり、
それこそ人間の生命の持ち得る本質かもしれないのだ。
櫻井敦司は唄う。
生まれても、いいのか?と。
自分は、産まれ出て、人を傷つけ生きていくかもしれないが、
それでも、生まれていいのか?と。
自分の胸には、タナトスの花が咲いている、と。
「苦しみのこの世界 ある日生まれ声を上げた」
「悲しみのこの世界 ある日あなたに包まれた」
母なる存在の宇宙(ソラ)は言う。
否、生まれなければならないのだ。
流れを止めてイケナイ。
苦悩を背負ってでも、生まれ出なければイケナイ。
それが、“Loop”であるなら、
あなたをこの翳りゆく世界で待つ人が待ちぼうけを喰らう。
あなたは、必要なのだよ、と。
死に物狂いで生きている。
今ここに、終わるモノと始まるモノが、クロスしている。
嗚呼、なんていう、なんていう絶頂(エクスタシー)…。
嘆きの星や、喜びの星、小さなとても小さな命…そして…
「抱かれてた母星に さよならを告げよう
胸の音聞こえる 確かに鼓動震え出す目醒めだ」
「月世界」で見たように、この青い惑星もいつかは真っ赤に燃える。
だから、あなたは生まれ出て、目醒めるんだ。
美しい“鼓動”が脈打つ。絶頂(エクスタシー)とはこの瞬間だ。
「見守る母の星 静かに今消えて
胸の音聞こえる 確かに鼓動震え出す目醒めだ」
そうして、この刹那は永遠となる。
いつの日か、人類は、行けるのだろうか?
エロスもタナトスもない、綺麗な場所・・・
遠い遠い惑星、何にもない、裕福な、その場所。
愛しい人よ、もし居たら、いつかまた、いつか…。
綺麗な場所で逢おう。
今日も太陽が眩しい、月が綺麗。
誰もいない、何もない、寂しいなんて思ったりしない。
美しい場所ニルヴァーナへ。
夢を見ている、夢を、君と空を飛ぶ夢を見た。
ふたりは……飛べるさ。
2004年9月11日、二度目の【Climax together】も、
まさに、絶頂(クライマックス)の刻を迎えることになる。
ドラマチックな一回目の
「太陽ニ殺サレタ」から「KISS ME GOOD-BYE」の渡る死のランデヴ―とは違い、
エロスとタナトスは、生命の“誕生”という終焉を見る。
それが・・・
【悪魔とフロイト -Devil&Freud- Climax Together】の紛れもない“真実”。
この「鼓動」、今井寿はスタビライザーを手にし、遥か宇宙の誕生と終焉を表現している。
産まれ出る、この新しい“生命”こそが、“宇宙”。
蝶になれ、華になれ、素敵だ、お前が宇宙。
愛しいものをすべて、胸に抱いて…。
君が宇宙。
終盤、今井寿は、銀河の果てまで届くようなギター・サウンドで、
「鼓動」の歌メロを紡いでいく。
呼応するかのように櫻井敦司のスキャットが、宇宙に鳴り響く。
「この世に生きるあなたの鼓動・・・」
歌パートが終了すると、演奏中の星野、樋口、ヤガミ、そして今井を残して、
深く深く頭を下げ横浜アリーナの大観衆に手を振り、ステージを去っていく櫻井敦司。
途中、今井寿の背後に、感謝と祝福を捧げるような仕草…。
「ありがとう・・・。俺も、此処(BUCK-TICK)に還ってこれたよ…」
そんな櫻井の囁きが聞こえてきそうだ。
「ああ、そうだ。俺達は、何度でも、此処(BUCK-TICK)に還る」
そう答えるかのように、今井寿はギターを紡ぎ続ける。
ありがとう。BUCK-TICK・・・。
綺麗な場所で・・・
あなたに、逢えてよかった。
僕には、あなたの「鼓動」が聞こえるよ。
鼓動
(作詞:櫻井敦司 / 作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)
完璧な幸せ いつも包まれていた
苦しみのこの世界 ある日生まれ声を上げた
抱かれてた母星に さよならを告げよう
胸の音聞こえる 確かに鼓動震え出す目醒めだ
なぜ生きてる 知らないけど それでも激しく
生きていたいと思う 愛されているなら
ごめんなさい ありがとう
この世に生きるあなたの鼓動 儚い だけど美しく
この世に生ける全ての鼓動 儚い だけど輝いて
絶対の安らぎ あの日抱かれていた
悲しみのこの世界 ある日あなたに包まれた
見守る母の星 静かに今消えて
胸の音聞こえる 確かに鼓動震え出す目醒めだ
なぜ生まれた 解らない それでも激しく
生きていたいと思う 愛されているなら
生きていたいと願う 愛されているなら
ごめんなさい ありがとう
この世に生きるあなたの鼓動 儚い だけど美しく
この世に生ける全ての鼓動 儚い だけど輝いて
この世に生きるあなたの鼓動 悲しい事は何もない
この世に生ける愛する人 悲しい事は何もない

