1992年9月11日12日に、横浜アリーナで行われた【Climax Together】。
このヴィデオ・シューティングによるスペシャル・ライヴは、
BUCK-TICKの初期を彩った妖艶な美学の集大成といえた。
アルバム『狂った太陽』で、音楽的、哲学的に覚醒した彼らは、
セルフ・カバーという形でベスト盤『殺シノ調ベ ~This is NOT Greatest Hits~ 』を制作し、
そのライヴツアー【殺シノ調べ This is NOT Greatest Tour】を、
1992年3月14日から、やはり、この横浜アリーナでスタートしていた。
【Climax Together】を経て、1993年にライヴツアー【darker than darknessーstyle93ー】を開始、
全編ダークロック一色に染め直されたアルバム『darker than darknessーstyle93ー』リリースに至り、
新たなる世界観を世間に披露し始めたBUCK-TICKであったが、
この「無知の涙」の構想は、この時に芽生えたと、
今井寿は、1997年マーキュリー移籍初のアルバム『SEXY STREAM LINER』リリース時に語る。
一連のエピソードを基に考えれば、こんなストレートに、“戦争”をモチーフにした楽曲制作は、
12年前の【Climax together】以前には、考えられなかったと言える。
(※反戦をモチーフにした「楽園」が先にリリースされているが、時系列的には、
この「無知の涙」が先にデモ作成されたのではないだろうか?
いずれにしろ、「楽園」もこの後、エントリーされている)
“反戦”は、ジョン・レノンを始め、多くの世界のアーティストが、
“愛と平和”を唄い、世間に掲げる一大メッセージであるが、
BUCK-TICKをアーティストと考えた時に、少し違和感を感じてしまう。
それは、BUCK-TICKという楽隊が、少し現実離れした幻想世界の住人で、
そこで繰り広げられる世界観も、深層心理やファンタジー、
また、パーソナルな愛についての描写が犇めき合っていた初期楽曲のイメージからであろう。
BUCK-TICKは少し、浮世離れした存在であり、ライヴ・ステージを観に来るオーディエンスも、
非現実世界を求め、彼らの背中を追っていた感が否めない。
彼らの創り上げる世界は、あくまでフィクションの世界で、
言い方は悪いが、観衆も厳しい現実世界からの逃避に、彼らの幻影を求めたと言っていい。
そして、政治的なメッセージを送ることへの、彼ら独自に“照れ”は、
BUCK-TICKの美意識そのものであったと言える。
しかし、ある刻を境に、彼らは、敢然と現実世界へ向かいあった。
それは、“死”や“戦争”であったかも知れないし、
ある意味では、自身の胸に秘めていた心の中の密室から溢れ出す激情であった。
余りにも、ストレートな内容にそれまで、幻影を追い求めていたリスナーは、
彼らの下を去っていった。
逆に、この新しいBUCK-TICKの激情に触れ、自ら開眼したリスナーは、
心臓を鷲掴みにされ、彼らの下を離れられなくなった。
そんな葛藤をリヴァイバルするようなステージが、
この【悪魔とフロイト -Devil&Freud- Climax Together】であった。
“戦争”と“BUCK-TICK”
12年前では、まるで、掛け合わされない二つのキーワード。
そして、そのBT流の“戦争”への問い掛けも、一種独特であった。
そのアプローチは、このライヴのタイトルにもなった
ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)に、少し類似しているのかも知れない。
最終的にフロイト博士は、戦争を止めるための手段としてエロースの愛の欲動に訴えることをあげている。
生命を統一し、保存しようとする欲動を“反戦”に利用しようというのだ。
言い替えれば、この「生命の本能(エロース)」に訴えかけて戦争を防止しよう、と。
また、表面的には、意識されない「死の本能(タナトス)」は、
多くの場合“大義名分”による思い込みが、この“戦争”に拍車をかけているとした。
これは、フロイト博士の著書『人はなぜ戦争をするのか エロスとタナトス』に、
「戦争と死に関する時評」として書かれている。
戦闘行為に参加した人たちは戦争という巨大なマシンの歯車となって、
情報を隠蔽され自分たちが進むべき方向を見失い、
何でもいいから自分たちの向かうべき方向を指し示してほしくてどんなヒントでも歓迎する状態だという。
こういう悲惨な状態をもたらした要因として、
一つは“戦争への幻滅”でありもう一つは必要とされた“死への心構え”であるとしている。
これは、個人の意志とは別に、戦争に駆り立てられる無意識のコントロールといえなくないが、
ある時、それは幻滅という形で表面化される。
BUCK-TICKのいわゆる“反戦歌”も、
こういった人間の深層心理を利用して戦争の絵図を書く国家や大義名分に牙を向けている点で、
フロイト博士との邂逅が見られると言える。
フロイト博士は、“戦争への幻滅”として、こう語る。
古代ギリシアの時代は闘争というものは騎士道精神とでもいうべきものにのっとって行われており、
現在のような血なまぐさく人が大量に死んでいくものではなかった。
“戦争への幻滅”を感じさせた二つの要因として、
一つ目に国家は国民に犠牲を強いるくせに
秘密主義や事実隠蔽などの不正行為の連続によって人々は国家に不信感を持つようになった。
二つ目に高度に発達した文化に参与していた個人が
残虐な行為をするようになったというものがあげられる。
実行者達は盲目のままで、幻滅を味わいながら戦闘行為しているのだ、と。
それを「無知の涙」としたのは、櫻井敦司のナイス・ネーミングとも言えるだろう。
(※永山則夫の小説と同じ題名ではあるが、内容的関連性は無い)
イントロのルーズなギター・リフを聴きながら、
櫻井敦司は、まるで十字架に架けられたジーザスのように、
マイク・スタンドを肩にかける。
ブラック・ドレス・スーツ・コートは腰に巻かれてしまった。
これは、【SWEET STRANGE LIVE FILM】での巻きスカートを彷彿させる。
「テディベア カボチャの馬車 見世物小屋でスローダンス」
戦争を童話と見立てて唄い出す歌い出しは絶品だ。
今井寿のフライングVと星野英彦のグレッチのアンサンブルに合わせて、
今度は、マイク・スタンドを機関銃に見立てて乱射する櫻井。
星野英彦は、今井側のバルコニー花道に昇りこのハードなリフを掻き鳴らすと、
今井寿は、アドリヴから誕生したという見事なギター・ソロを紡いでいく。
「ダイヤモンドちらつかせ 操り人形踊らせる
大義の炎で 世界中を焼き尽くす 」
戦場では、実は政治的な大義など、どうでもよくなる。
生き残ることにフォーカスしていないと、生存の確率も極めて低くなる。
だから、こそ、“思考停止”は、必然なのだ。
もう、自分が、何の為に、殺し合いをしているか分からなくなる。
そこが、黒幕の狙いとも言える。
「Love & Peace 切り裂いて ブリキの兵隊繰り出す
あぶないオモチャで あの娘までも焼き尽くす 」
当時は打ち込みとの融合に、果敢にも挑戦したリズム隊も、
余裕のグルーヴを唸らせる。
樋口“U-TA”豊も、唸るベース・フレームをスライドさせ、臨場感を掻き立てる。
「マシンガン抱いてスローダンス セルロイドのスローダンス 」
今度は櫻井敦司はバルコニーへ出向く。
敬礼をするルージュのハミダシタ櫻井は、ダイヤモンドを振りながら発狂して行進しているかのよう。
最後のギター・リフに合わせて、またもや、拳銃を形作る己の手でSUICIDEを決め込む櫻井。
コメカミを撃ち抜いた櫻井の目は、もはや、タナトスにトリツカレテいる。
嗚呼、フロイトよ……
エロースでは、この破壊を食い止められないのか…。
黒の悪魔達が嘆く……
無知の涙
(作詞:櫻井敦司 / 作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)
テディベア カボチャの馬車 見世物小屋でスローダンス
戦闘機 飛び交う部屋 あの娘と踊るスローダンス
マシンガン抱いた少女 セルロイドの少女
ダイヤモンドちらつかせ 操り人形踊らせる
大義の炎で 世界中を焼き尽くす
ママは何処 何処にいる 悪魔達はスローダンス
流れない 無知の涙 綺麗な髪の少女
マシンガン放つ少女 セルロイドのスローダンス
Love & Peace 切り裂いて ブリキの兵隊繰り出す
あぶないオモチャで あの娘までも焼き尽くす
マシンガン抱いてスローダンス セルロイドのスローダンス
ダイヤモンドちらつかせ 操り人形踊らせる
大義の炎で 世界中を焼き尽くす
Love & Peace 切り裂いて ブリキの兵隊繰り出す
あぶないオモチャで あの娘までも焼き尽くす

