「エロスというのは
 生を統一し、保存しようとする欲動である」

(中山元)


「言葉で諦めるものは、現実でも諦めるものだ」

(Sigmund Freud)




「幻想の花」が一瞬の白い“FLAME”で燃え尽きる…。
まるで、命の“炎”が燃え尽きるように…。


巨大な横浜アリーナが、「幻想の花」で、愛の“炎”を確認した瞬間、
業火の“炎”が、BUCK-TICKを焼く尽くさんと燃え盛る。

前年の二日間に渡る12月28日29日の日本武道館【THE DAY IN QUESTION】でも、
「FLAME」「密室」と“炎”による演出が施されたが、
今宵は、【Climax Together】。
その“炎”の激しさは、それの比では、なかった。

すべてを、白い灰に帰す、タナトスの業火のように、
すべてと、“炎”が包みこみ、“無”に回帰させようとしているかのようだ。

そして、この“炎”の中でパフォーマンスされる「極東より愛を込めて」。

ここに【悪魔とフロイトの宴】は、第二部の幕をあげるのである。

やはり、この日、9月11日という日付は“特別”であった。
政治的なメッセージを好まないBUCK-TICKが展開する【Climax Together】で、
「死の本能(タナトス)」が、最大化する“戦争”という人類の創世紀から繰り返される風習に、
立ち向かうのも、やはり、「愛の本能(エロス)」を於いて他にはないからだろう。

ジーザス・クライストの【ことば】

「汝の隣人を愛せよ」

が、そのまま歌詞に挿入される「極東より愛を込めて」。

まさしく、この時、櫻井敦司は、悪魔の黒い衣をまとうジーザスに他ならなかった。

この“隣人愛”とはギリシャ語で“アガペー”と言われ、
キリスト教の四つの“愛”の中で、最高位の“愛”である。
誰もが持っている他の人への気遣いの籠った“愛”。
“人類愛”と言い変えても良い。

例えば、あなたの目の前で、裸で泣いている赤子を見ると
「助けてあげなければ」と感じるような、自然に湧きあがるような愛情。

ジーザスはこう述る。

「友のために自分の魂をなげうつこと、これより大きな愛を持つ者はいません」ヨハネ伝

「それゆえ、自分にして欲しいと思うことはみな、同じように人にもしなければなりません」マタイ伝

最終的にフロイト博士も、研究者としての自分の分析が、
宗教人としてのジーザス・クライストの指す理念に回帰することは、予測できなかったであろう。




フロイト博士の「死の本能、生の本能」でも最後は、
戦争を止めるための手段としてエロスの欲動に訴えることと、
社会的エスタブリッシュメントを自立した思考の出来る知識人を養成するという
二つの方策をあげている。

ある意味研究者としては、何の意外性もないシンプルな原理原則に行き着いた言えよう。

しかし、戦争は終わることを知らなかった。

この二つのどちらも現時点では人類に望めそうもなかったからだ。



後者の可能性としては、
理性的な人間を養成して、理性的な人間ばかりで構成された社会では超自我の攻撃にさらされて、
誰もが自分の死を望みながら生きていくディストピア的社会になってしまうのではないか
という危惧でもって博士の理論も終結を見る。




そして、前者“愛”の力はどうか?

フロイト博士は、このエロスに訴えかけて戦争を防止しようというのである。

しかし、これは、後者以上に困難な作業であった。
まず愛する対象との絆、それから同一化。
当たり前すぎることを言っていて、要するに必要となってくるのは“隣人愛”“人類愛”。
到底、徹底出来るものではなさそうである。

人間には、感情がある。
あなたは、親の仇を許すことができるであろうか?

故に、エロスに訴えかけて戦争が止まる未来は見えない。
だがそれは現世界では、愛や心を訴えかけても聞き入れる下地がないからで、
下地から地道にコツコツやっていけばなんとかなるものなのかもしれない。

諦めた途端に、すべては水疱と帰す。

「言葉で諦めるものは、現実でも諦めるものだ」

フロイト博士はこう語るのだ。




しかし、この黒いジーザスを始め、5人の悪魔達は、諦めはしなかった。

この9月11日に、高らかに唄う。

「愛と死 激情が ドロドロに溶け迫り来る
 そいつが 俺だろう」



戦火は、もうそこまで、近づいている。
“死”の恐怖が、襲いかかる。
それでも、この悪魔達は逃げようとはしない。


「大地に聳え立つ 光り輝くこの身体
 そいつが お前だろう
 今こそ この世に生きる意味を」



一体、何のために、この翳りゆく世界へ産まれ堕ちてきたのか!
どうして、生きているのか、この俺は?
そうだ狂い出したい、生きてる証が欲しい!
逃げ出すことも出来ない、立ち止まることも知らない。
聞いてくれこの声、お前を愛しているのに!
どうして、生かされてるのか、この俺は?
そうだ、叫びだしたい、生きてる証が欲しい!

「愛を込め歌おう アジアの果てで
 汝の敵を 愛する事が 君に出来るか
 愛を込め歌おう 極東の地にて
 悲哀の敵 愛する事が 俺に出来るか」


諦めない!
またもや、迫り来るタナトスの猛威の中、一閃光が走った。

今井寿の“WHITE POD”が悲鳴のようなテルミンを放つ。
熱い皮膚の裂け目、吹き出すこの“愛”!
嗚呼、この世で美しく! 嗚呼、限りないこの命!
嗚呼、この世で激しく! 嗚呼、燃えろよこの命!
天に召されよ!我が命たるこの“愛”!


そうだ。「極東より愛を込めて」は「唄」のリヴァイバルに違いない。


だから、
今宵も、“愛を込めて”“唄”おう。





極東より愛を込めて
 (作詞:櫻井敦司 / 作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)


見つめろ 目の前に 顔を背けるな
愛と死 激情が ドロドロに溶け迫り来る

そいつが 俺だろう

俺らはミナシゴ 強さ身に付け
大地に聳え立つ
光り輝くこの身体

そいつが お前だろう
今こそ この世に生きる意味を

愛を込め歌おう アジアの果てで
汝の敵を 愛する事が 君に出来るか
愛を込め歌おう 極東の地にて
悲哀の敵 愛する事が 俺に出来るか

泣き出す 女の子
「ねえママ 抱き締めていて もっと強く!」

愛を込め歌おう アジアの果てで
汝の敵を 愛する事が 君に出来るか
愛を込め歌おう 極東の地にて
悲哀の敵 愛する事が 俺に出来るか

見つめろ 目の前に 顔を背けるな
愛と死 激情が ドロドロに溶け迫り来る

【ROMANCE】


【ROMANCE】