以前書いた「幻想の花」の記事には、本当に多数の方のお便りを頂いた。
この場を借りて、深く感謝を申し上げたい。

本当に、ありがとう。

視覚的に、ライヴ・ステージをドラマチックに映像化しよう。
という意図のもと映像化⇒ライヴ構築の実現となった
【悪魔とフロイト -Devil&Freud- Climax Together】。

このコンセプトは、12年前の9月10日、11日に横浜アリーナを使用して行われた【Climax Together】同様、
すべてが、映像作品として記録に残すことが目的のヴィジュアル映像作品であり、
コンサートの内容自体が、芸術映像作品として機能することが、至上の目的であった。

この目的は、ヴィデオ・クリップのそれと類似する。

よって、この美しい「幻想の花」も、ヴィデオ・クリップを凌駕する美しさを誇る映像となった。
(※携帯で【ROMANCE】を御観覧の方も、どうか一度、この映像だけはご鑑賞頂きたい)

「幻想の花」のヴィデオ・クリップを紹介した時、
僕は、 「この花は、命だ」と書いた。

これは、この【悪魔とフロイトの宴】における“エロース”と“タナトス”の対峙に他ならない。

“エロース”とは、フロイト博士の精神分析学の汎性欲説では、
「死の欲動」である“タナトス”に対置される「生の欲動」であり、
すなわち、「愛の本能」であり、「愛」そのものを示唆する。

しかし、フロイト博士は言う
人間には、自らの生命活動を継続し、存在を維持しようとする「生の本能」に対し、
それに先行する形で「死の本能」が先天的に内在していると。

エロースと同時にタナトスが存在していると言うと、
矛盾しているように感じるかもしれないが、
村上春樹の小説『ノルウェイの森』の言葉にあるように、

「生きることと死ぬことは、その本質において等価である」

というのは一つの真理だ。

エロースとタナトスという二つの矛盾する欲動が、
一人の個人の精神内界そして生理学的身体に内在化しているという事を、簡潔に表現すれば、

「我々の生命には、寿命という遺伝的制約があり、運命として有限の生を生きるほかない」

という真実である。

花が咲くように、人は生れ、花が散るように、人は死んでいく。

これこそが、生命に無機物とは異なる価値や尊厳を感じ取る最大の根拠、
「生命の一回性と有限性」の存在である。

終わりがあるからこそ、美しく。

終わりがあるからこそ、尊い命。




生命倫理学の可能性として、遥か遠方の未来において、
人類は、遺伝子工学技術によって遺伝性操作で永遠の生命を獲得するかもしれない。

しかし、即物的な問題の他に、これには、倫理的問題が付き纏う。
そして、この問題は遺伝子のテロメアによって規定される細胞分裂の限界さえ克服すれば、
永遠の寿命が得られるという程に単純な問題ではない。

永遠の生命が抱える最大の倫理的懸念とは、
生命の尊厳と個人の価値が相対的に低下する恐れがあるということだ。

あなたは、命が永久のものであるという保証のもとに、
愛する人を殺すことができるであろうか?
例え、“死なない”としても…
恐らく、あなたの“愛”が許しはしない。


ここにも、フロイト博士の提唱する「死の本能(タナトス)」への矛盾性が、含まれる。
この矛盾こそが、自我を苦しめる要素となる。
そして、その葛藤をどう消化するかは、本人次第でもあるのだ。
その過程にこそ“生きた”という思惟が生まれるといえるだろう。

“不死”は、消して幸福ではない。
カインは、アベルを欺き殺してしまった罪に、“不死”という罰を与えられた。
カインの嘆きからもわかるように“不死”は、苦脳にほかならない。
「死の本能(タナトス)」は、その苦悩から解き放つ本能であろう。

そして、花が咲くように、人は生きた証をどのように、主張すれば、“生きた”という証拠を残せるのか?

結論は、わからない。

ただ、感じるのだ。

エロースの存在、そう、“愛”だけが、人類の創世記から存在し得る“生命の証”なのではないだろうか?
と。

だから、人は“愛の傷跡”を刻み込もうとするのだ。
自分の生きた証を。



“愛の軌跡”エロースの血縁的な系譜については諸説ある。

先にも紹介したギリシア神話の恋愛の神エロース、
ローマ帝国の時代になるとローマ神話においてエロースは、
キューピッド(Cupid)と呼ばれるようになった。

一般的には美の女神アフロディーテの従者や子供という認識がなされ、
性別についても、美麗な碧眼金髪の美少年とする説が主流であるが、
神秘的で幻想的なアンドロギュヌス(両性具有者)の神であるとする伝承も存在する。

美の女神アフロディーテの子ではなく、
ギリシア神話の最初期に世界に混沌を生み出したカオスの子とする説も存在し、
カオスは、ギリシア神話の世界で最も古い無秩序と混沌の神であり、
世界にある全てのものが不規則に無茶苦茶に入り乱れている原初状態の女神である。

しかし、ヘシオドスの『神統記』では、
カオスは、何も無いただただ空虚に広大に広がり続ける空隙であると説明されていて、
カオスが混沌であるというのは、複雑系を前提とするような現代的な解釈ともされる。

この混沌(カオス)を親とする愛(エロース)が生命という尊厳と有限性を象徴するものであれば、
それこそが、生命の存在の証であろう。
混沌(CHAOS)の中に愛(EROS)という名の秩序(COSMOS)が誕生したというだから…。

これはまさに、“無”から“有”が誕生した瞬間。

その刻、“無限”は、“有限”という命を得た。
“有限”にこそ、価値は発生するのだ。

それは、“生命”も同じこと。



有終の美を飾るこの「幻想の花」で、【悪魔とフロイトの宴】第一部は終演すると言って良い。

【悪魔とフロイト -Devil&Freud- Climax Together】の限りある時間も、
その有限性を切り抜いた一瞬に過ぎない。

しかし、このヴィデオ・クリップを凌駕する映像は、物質的に残るばかりでなく、
我々の視覚を通じて、深く胸の奥に残り燃え続けるだろう。

「王国 Kingdom come -moon rise-」の月光が射す夜。
月の光に当てられた「幻想の花」が一輪浮かびあがる。
この「幻想の花」が、アルバム『極東 I LOVE YOU』制作時に、
星野英彦に手によって書きあげられた時、
ひょっとして、こういう曲順であったのではないか?と感じてしまう。
パーフェクトな流れだ。

「幻想の花」が一論咲き誇るステージバック・モニターに、
最後部のクレーンで上昇する櫻井敦司が、しゃがみ込んだまま唄い始める。

「幻想の花 歌っておくれ」

監督:林ワタルの演出が冴える映像編集は、まるで、水中花が歪むように揺れる。
星野英彦のアコースティックの調べに乗って、櫻井は唄う。
クレーンは、ヤガミトールの頭上まで昇り続け、
モニターの「幻想の花」と月光に照らされる櫻井敦司が重なり合う。
美しい…。

「それは素敵な夢だと
 君は狂ったように笑う」


白い「幻想の花」の前に立ちあがる櫻井敦司。
この深い月夜の闇の中で、一閃白く光り輝く一輪「幻想の花」。
僕は、この「幻想の花」は、名もなき路肩の花で、
実は、ずっと、傍で自分を見守ってくれていた“存在”である、そう言った。

「あなたはとても綺麗な 花びらを千切る
 真実に触れた指に 朝日が突き刺す」


真実。それは、遠い場所ではなく、此処にあった。
“愛”エロースも、こんなに傍に存在したのだ。
勿論、“愛”も“死”も、我々の遥か彼方に存在するわけではない。
すぐ、僕らの隣にあるんだ。
“エロース”も“タナトス”も此処に存在する。
だから、こそ、今という時間は、尊いのだ。

櫻井敦司は言う。

「(愛と言えば)綺麗綺麗したものばっかり思うから照れるわけで。
ドロドロした救いようのないのも、悲しい愛もあるんだから、って感じですかね」


この世界は美しいと唄う「幻想の花」は、そういった全ての“愛”=生命を美しいと唄う。
「甘い蜜 飲み干せば やがて苦しみに染まる」
のは、そのせいだ。

それこそ、“生命=愛の傷跡”の喜びに違いない。

「狂い咲きの命燃やす 揺れながら
 あなたが咲いてる」


この白い美しい「幻想の花」は、終盤、白い“炎”=“FLAME”をあげて燃え始める。
有限性を持つ“生命”の価値を表現しているようだ。

終わりあるから、美しい。

終わりがあるから、尊い。

そんな「幻想の花」は、やはり胸の“密室”に燃える“FLAME”だ。

燃える“命”は、綺麗だ。

そして……、いつかは消える。




……が、この儚い「幻想の花」の白い“FLAME”が、
【悪魔とフロイトの宴】第二部の開演「極東より愛を込めて」の業火の火種となる……。





真実は、“命”も、“花”も、有限であるが…“Loop”する、だ。


そういう意味で、あえて言おう、“死”は美しい。





「しかし、どのような死でもよいのではないただ一つの
 特別な死に向かって進むのだ」
 (Sigmund Freud)


「私はまだ愛したことがなかった。愛さんとして愛していた。
 私は愛することを愛して、自分の愛し得るものを探し求めていた」
 (アウグスティヌス『告白』)


【ROMANCE】

【幻想の花】よ

今年は、紫ばかりが、目に止まるね

けなげに咲く存在、キミ、みつけたよ

待っていてくれて、ありがとう

雨のしずくが欲しい?

それとも、太陽の光?

夜の月は、いかが?

知ってるよ  花は闇がないと咲かないと

キミは側に咲いてくれ、そう花がいい

不毛 の地で 咲いてくれ、小さくていい

ほらきれいだろう

キミは側に咲いてくれ、そう花がいい

俺はうまく咲けてるか、そう花がいい

ほらきれいだろう

花が咲き乱れる様に、花が死んでいく様に

キミが咲きみだれる様に、俺は生きていけばいい

花が咲き乱れる様に、花が死んでいく様に

俺が咲き乱れる様に、キミは生きていけばいい








幻想の花
 (作詞:櫻井敦司 / 作曲:星野英彦 / 編曲:BUCK-TICK)


幻想の花 歌っておくれ
この世界は 美しいと
それは素敵な夢だと
君は狂ったように笑う

甘い蜜 飲み干せば やがて苦しみに染まる
花を…花を敷き詰めて


幻想の花 歌っておくれ
この世界は 美しいと
それは素敵な夢だと
君は狂ったように笑う

甘い蜜 飲み干せば やがて苦しみに染まる
花を…花を敷き詰めて

あなたはとても綺麗な 花びらを千切る
真実に触れた指に 朝日が突き刺す

狂い咲きの命燃やす 揺れながら
あなたが咲いてる
この世界は美しいと 歌いながら
きっと咲いている

狂い咲きの命燃やす 揺れながら
あなたが咲いてる
この世界は美しいと 歌いながら
きっと咲いている

【ROMANCE】

【ROMANCE】