2004年9月11日横浜アリーナ。
この【悪魔とフロイトの宴】で、繰り広げられた「キャンディ」による“愛の本能”の闘いは、
その“生命の本能”の本質を邂逅するものであったはずである。
“光”が一閃輝いた。
突破口はここしかない。
誰もが避けることのできない真実が“死”であれば、
“愛”も、また、誰もが求める命の証。
その“死”と“愛”が持つ、普遍性こそが、【Climax Together】の中核に位置する。
よって、この【悪魔とフロイト -Devil&Freud- Climax Together】も、
決して、ロック・ショウという意味合いだけでは、到底、語り尽くせない。
櫻井敦司は、この【悪魔とフロイト -Devil&Freud- Climax Together】で、
「偉そうにも、何か、感じてもらいたかった」
と語った。
それは、9月11日という日付が、単に彼らの通過点ではなく、
世界に“死”と“愛”を問わずにいられない日付に、変化してしまったからだろう。
通常では、考えられないほどの尊い命が失われた一日である。
確かに高らかに“反戦”を唄うのは似合わないロック・バンドがBUCK-TICKだ。
しかし、出来る範囲で、やれることをやり、そこから“ナニカ”見えてくればいい、
そう感じていたのでは、ないか?
結果がどうなるかは、彼ら自身にも、わからない…。
しかし、何か、せずにはいられなかった。
ここは、エロースとタナトスの鬩ぎ合いを、息を呑みつつ見守ろう。
ソロ活動が、BUCK-TICKという絆を明確にしていた。
本人達が、普段、気にしていなかったとしても、それは彼らの周辺が示していた。
そして、彼らは表現したいモチーフは、これしか、なかったのだ。
このモチーフ“死”と“愛”の壮絶な戦闘の姿を、
BUCK-TICKは、我々に、時には、生々しく、時には、幻想的に表現している。
その“愛の本能”の強さを示すような、愛らしき「キャンディ」の次に登場したのは、
月の光に唄う「王国 Kingdom come -moon rise-」。
【悪魔とフロイト】の第一部が、ここ結実する。
ライヴ本編の本格的な「極東より愛を込めて」での戦闘の開始前に、
この「王国 Kingdom come -moon rise- 」と「幻想の花」で
美しくも、儚い、幻想世界の“愛”を描いて見せたのだ。
【Climax Together】としては意外な選曲とも言える
「王国 Kingdom come -moon rise-」が愛の反撃として演奏されたのは感慨深い。
アルバム『極東 I LOVE YOU』のエンディング・ロールとも言える“愛”と“死”の融合は、
ある意味、恐怖としての“死”の存在を取り除く名曲「die」の今井寿流焼き直し楽曲とも言える。
2002年、当時メイン・テーマとも言える楽曲「極東より愛を込めて」の
先行シングル・リリース時のカップリング楽曲にも、ヴァージョン違いで収録された同曲を始め、
争いの巻き起こす様々の現象、事象をドキュメンタリーチックに切り抜いた
アルバム『極東 I LOVE YOU』に収録された楽曲達は、ひとつの映画ストーリーを形作る他に、
以前に発表していたBUCK-TICK楽曲の新しい解釈の元に行われたリヴァイバル集のようにも感じる。
そして、この9月11日に横浜アリーナで実行されたBUCK-TICK・リヴァイバル・ライヴとも言える
【悪魔とフロイト -Devil&Freud- Climax Together】では、
この『極東 I LOVE YOU』と『Six/Nine』からのセット・アップが目立つ事に気付くだろう。
この2枚のアルバムが持つ、普遍性こそが、恐らくは、
BUCK-TICKが持つ、最も特異な彼らの普遍性といっても過言ではないだろう。
櫻井敦司の己を串刺しにするような、破壊的衝動も、
今井寿の周囲を焼き尽くすような攻撃性も、
「死の本能(タナトス)」による欲動が原因だとすれば、
なぜ、これまで、彼らが、狂おしいほどの“愛”をその楽曲に封じ込めようとしたのか?
その答えは、自ずから、明確化されたのが、
アルバム『Six/Nine』と『極東より愛を込めて』の2枚ではないかと感じる。
※逆にいうとこの2枚以外のアルバムは、
巧妙に、この意図が、最新のDATサウンドやアヴァンギャルドな芸術性に包み隠されていたのだ。
しかし、どのようなスタイルをしていようと、BUCK-TICKの核たるものは、
この蠢くような“生命”と静かに忍び寄る“死の香り”。
そして、そこに、峻烈に燃え上がる“愛”と言える。
この公式を初めて、突き詰めたのが、12年前の横浜アリーナ【Climax Together】であった。
そして、再び、彼らは此処に辿り着いた。
「愛しては死ぬ 日々が過ぎ 巡り合う夜」
冒頭の歌詞にいきなり登場する“愛”と“死”。
これが、今井寿の流れるようなメロディに乗って唄われる姿は、
彼らの、普遍性以外の何物でもないと言えるのだ。
「月を飾ろう 王国の夜
花を飾ろう 君の髪に」
そして、櫻井敦司の描く“月”の存在。
「月世界」では、淫靡な“月”の魅力を振りまいた幻想を、
櫻井敦司は、巨匠:土屋昌巳のコラボレイト楽曲にのせた「新月」を経て、
この【悪魔とフロイト -Devil&Freud- Climax Together】では、大胆に取り上げている。
これは、“月夜”の大傑作「ROMANCE」創造への道のデジャヴューとも言いかえられる。
これらの“月夜”の出来事こそ、「月夜の花嫁」の姿への導線と言えるのである。
愛し逢い、そして死を迎えることになろうとも、
あなたという愛した人の手に抱かれるなら、本望という“生命”への固執を描いた
「王国 Kingdom come -moon rise-」が、最新アルバムに収録される「HEAVEN」を思わせるのは、
単に、今井寿の奏でるスペイシーなスタビライザーの嘶きのせいばかりではあるまい。
現実と夢の狭間の存在する“月夜”の“愛の契り”こそが、
永久に“Loop”するであろう、この現物世界から幻想世界への入口であったから…。
「流れてるのは 涙 それとも愛」
そうか。
“愛”って、“涙”や、“雨”みたいに流れるんだ。
そして、降り注いだり、零れ落ちたりするんだ。
その受け皿に、なろう。
“愛”と“心”は、いつか、出愛い、愛死あうのだから…。
「I will be king
And you
You will be queen
Though nothing will
Drive them away
We can beat them
Just for one day
We can be Heroes
Just for one day」
【"Heroes"/David Bowie】
僕が王なら、あなたが妃だ。
僕とあなたの“王国”を築こう。
この月の下に……。
この脆く、鈍く、光る今宵の月夜に……。
いつの日にか…、きっと。
王国 Kingdom come-moon rise-
(作詞:櫻井敦司 / 作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)
愛しては死ぬ 日々が過ぎ 巡り合う夜
許されるなら 君の手に 抱かれていたい
月を飾ろう 王国の夜
花を飾ろう 君の髪に
愛しては死ぬ 日々が過ぎて行く
許されるなら 君の手に 抱かれていたい
波を描こう 王国のsea side
愛を刻もう 君の胸に
流れてるのは 涙 それとも愛
許されるなら 君の手に抱かれ
愛しては死ぬ 日々が過ぎて行く
許されるなら 君の手に 抱かれていたい

