2004年9月11日、BUCK-TICK スペシャル・ライヴ
【悪魔とフロイト -Devil and Freud- Climax Together 】
“伝説”というものが、“真実”であるのであれば、
それは9月11日に起きたこのライヴは、まさしく“それ”である。
“伝説”とは、語り手によって「事実を伝えるもの」として語り継がれたものを言うが、
その内容が本当に“真実”であるかどうかは問わない。
奇しくも、アメリカ同時多発テロと、同じ日付を刻む“9月11日”。
その“伝説”は、再び幕を開ける。
“12年”という歳月を超えて・・・。
「Calm and resonance」
“静寂と共鳴”
“絶頂”をともにした後に訪れる“虚脱感”。
それも、まさしく“真実”だろう。
だから、人は、“絶頂”を先延ばしにしたがるのだ。
しかし、この日をおいて、他に選択肢はなかった・・・。
彼らにとって、ここが、“ゴール”であるとともに“スタート”だったのだ。
1992年9月11日、彼らは、絶対的な存在として此処にあった。
そして、時を経て、此処に、舞い戻る。
“Loop”。
それが、もし、存在するとしたら…
BUCK-TICKはそんな存在なのかもしれないと、
この2004年9月11日に行なわれた横浜アリーナ公演を観て思った。
ЖЖЖЖЖ
時は遡る。
前年12月28日29日に恒例の【THE DAY IN QUESTION】武道館ライヴを終えた後、
2004年に入り、BUCK-TICKのメンバーは、
今井寿は、鬼にように繰り出す“ロケン”の衝動を、Lucyで実現し、
アルバム『Mona Lisa OVERDRIVE』で突き詰めた“攻撃性”に拍車をかけた。
それは、ロック少年であった自身の原風景に“Loop”したかのように我々の目には映った。
これまでにも個々の活動を展開していた今井寿。
SCHAFTやSCHWEINなどのユニットを結成したり、他アーティストの作品に参加したりと、
BUCK-TICK以外の活動も積極的に行なってきているが、
今回の収穫は、膨大で凝縮されたその内容を、限られた時間の中でいかに生かしたか、
という点において、前例のないほど、大きな意味を持ったと言える。
予想はしていたが、収穫は測り知れない。
ヤガミトールはYagami Toll&The Blue Sky、樋口 豊はWild Wise Apes、で、
それぞれの音楽的起源に肉薄し、星野英彦も表面化しなかったが、その自身のルーツを突き詰めていた。
7月28日には、ヤガミ“アニイ”トールのプロジェクト“Yagami Toll&The Blue Sky”の
アルバム『1977/Blue Sky』がリリースされる。
このアルバムタイトルにもあるように「1977」という年は、
ヤガミトールにとっての転機となった年である。
“人生の転機”は、少なからず、厳しい現実の姿をして訪れる…
ヤガミ、樋口の兄が逝去し、その偉大なる兄の形見のドラム・キットでヤガミ自身がドラムを始めた年にあたるようだ。
そんな樋口家の長男のレクイエムの意味も込めてタイトル楽曲「1977/Blue Sky(Gtr Analog Mix)」
を含む、全16曲を収録したフルアルバムとなった。
歌詞はヤガミが本当に思った事を書いたそうで、
まさにロッカー“ヤガミトール”の独白的な世界であった。
続いて、弟も動く。
BUCK-TICK不動のベーシスト樋口“U-TA”豊は参入したバンド・プロジェクト
奥野敦士のロック・ユニット“Wild Wise Apes”の活動である。
7月30日、31日の両日原宿アストロホールと地元群馬の高崎club FLEEZにて
Wild Apesライヴ【Stage for 3rd world】が開催される。
U-TAは、“Stage for 3rd world のメンバーとして、
奥野敦士:VOCAL,GUITAR
樋口豊:BASS
AKIHIDE:GUITAR
FURUTON:DRUM
に名を連ねて、アンコールも含め全16曲を披露した。
この後も、ベーシスト樋口豊は、数々のユニットにスポット参加し、
ミュージシャンとしての社交性を広げていく。
この広範囲の交際術は、彼が、バンドの広報・渉外係として活躍していたBUCK-TICK初期からの特性で、
それが、この後の本家BUCK-TICKの音楽性のポピュラリティーの振り幅を広げていく一翼となる。
これも彼ら兄弟の原点回帰的な活動と言える。“Loop”だ。
星野英彦は、沈黙を守った。
実際には、女性ヴォーカリストを据えた新プロジェクトが、
その水面下では進行していたが、このタイミングで日の目を見ることは叶わなかった。
しかし、ここでの活動は、2006年dropzにて、花咲くこととなる。
彼らしい、おしゃれ感覚が、BUCK-TICKとは違った世界観を造形するが、
このポピュラリティーこそ、星野英彦が、BUCK-TICKにもたらした最大の貢献である。
(※ユニットdropzはヴォーカルにケリー・アリ(スニーカー・ピンプスVo)を迎えるが、
この2004年時点から彼女の声質や声域に合った曲作りをしていたらしい。
櫻井敦司のソロ・プロジェクトにも参画したCUBE JUICE(宅録家)とコラボレートとなり、
マイペースの星野らしく音を作り込んだ拘りの作品を満を持しての発表となった)
そして櫻井敦司は初のソロ・プロジェクトは、彼がそれまで食わず嫌いを起こしていた
BUCK-TICK以外での活動、すなはち、詩集、写真集、映像作品と、
彼自身のマテリアルの可能性を最大限に広げて見せていた。
櫻井敦司はその胸の“密室”に沈殿していた檻を解き放ったのだ。
このソロ・ワークが、BUCK-TICKの他のメンバーの創作意欲に、
再び、激しい“炎”を燃え上がらせたのは間違いない。
この活動は、BUCK-TICK以外の櫻井敦司という個人のマテリアルの価値を示すだけではなく、
多くの人々の胸の中にあった“愛の妄想”を現実化した。
これも予感は、あったが、その成果は、飛躍的と言えた。
しかし、やはり、まだ、何かが“足りなかった”。
BUCK-TICKは、彼ら5人の産み出した“奇跡”だ。
この5人だからこそ、起こせる“マジック”だ。
そして、それは、一度、離れて見ることで、その重大さに気付くということであろう。
悪魔の愛に、魅入られし、Five for Japanese Babiesの行く末を…
「僕は見たい 神が微笑む場所を さあ向こう側へ
君といきたい 神の導くままに さあ・・・」
そんな、ステージであった。
彼らの生み出す音楽を言葉に変換するのは、“不可能”だ。
美麗なメロディ、激しいビート、鋭角的なデジタル音とフラッシーなノイズ。
そしてBUCK-TICKのサウンド構造の変遷は、いつも人生が予想通りには運ばないことに似ている。
それは、サウンド以外の目に見えない世界観が大きく反映されているからであろう。
それが例えば、“Calm and resonance”=“静寂と共鳴”という言葉で表現されることがあっても、
決して実態を掴める類の物ではないのは、明白である。
しかし、其処には、“確かな”存在感がある。
混じり気のない唯一無二の“確かな”存在感である。
確かに、“目に見えるもの”という存在のBUCK-TICKというバンドは
一貫するヴィジュアライズされた世界観を、今までも我々に投げかけてきた。
それは、ヴィデオ・クリップで繰り広げられる世界であったり、
そのファンタジーをライヴ・ステージ上で展開しようとする試みであったり、
時には、果敢にも、アニメーションやCGの世界を凌駕するほどに魅せることに拘りを見せたのだ。
もはや伝統芸に見るような完璧な秩序(コスモ)があると思えば、
反転して、荒唐無稽の混沌(カオス)を描いて見せたりもした。
また、時に体感するライヴハウスでの熱狂と、
また、時に演劇を見ているようなシアトリカルなステージと、
また、時に理解不能といえるほどのアヴァンギャルドな前衛芸術に
その、ヴィジュアルを変化させて、魅せた。
そうした視覚的演出で構成されたものとは対照的に、
一貫して貫き通す、継続的な創作活動への衝動と、
ファン達とのコミュニケーション……、それは音であったり言葉であったするメッセージ。
常に、「刺激的な存在」でありたい、と語っていたデビュー当時を思い起こせば、
その頃、なんら変化ないじゃないか、とも想わせるほどのシンプルな活動動機。
そして、“魂”。
BUCK-TICKはこの翌年、結成20周年を迎えるが、
この間一度のメンバー・チェンジもなく、
今なお現役でアリーナ・クラスのライヴを行なえる動員力を保ち続けている数少ないバンドだ。
「いろいろ活動がありましたが、またよろしくお願いします」
という櫻井敦司の挨拶通り変わるものと変わらないものを携えて、
BUCK-TICKは此処に還ってきた。
これを“Loop”と言わずに、なんと言えばいいのだろう?

12年前と同じ、超巨大な緞帳が、横浜アリーナに集結した大観衆を迎えている。
やはり、横浜アリーナは広い。
それまでの、ソロ活動での、ミニマムだがダイレクトなパフォーマンスと対照してしまうからか?
BUCK-TICKという“存在”の巨大さに圧倒されるようなスペシャル・イヴェントであった。
此処に存在したのは、紛れもない、いつものBUCK-TICKであった。
そして、あがらえない、“本能の宿命”との対峙・・・。
【悪魔とフロイドの宴】へようこそ!
今宵は、いい夢を見よう。
【絶頂を、あなたと、ともに】

