櫻井敦司のソロ第一弾シングル「SACRIFICE」にカップリングされた楽曲が、
このソロ・ライヴ【EXPLOSION 愛の惑星 LIVE2004】のアンコールの3曲目に登場。
日本歌謡界の大物、沢田研二の「LOVE(抱きしめたい)」のカバーは、
まさしく、デレクター田中淳一の“夢”の実現に他ならず、
櫻井敦司自身の遠い少年時代の淡い“夢”の実現になったばかりか、
他の多くの観客の欲望を満たす、記念すべきライヴ・パフォーマンスとなった。
この楽曲の選曲といい、櫻井敦司というキャラクターの特質を考えると、
このカバー曲「LOVE(抱きしめたい)」は、
ファン以外のリスナーすら、少しほくそ笑んでしまうようなパフォーマンスとなった。
そして、ソロ・ライヴの一回目のアンコール・ラストはこの楽曲ということになる。
その沢田研二をカバーした感想を櫻井敦司はこう語る。
(以下、『UV』誌より引用抜粋)
――なるほど。
で、カップリング曲について。
「LOVE(抱きしめたい)」を取り上げたのも田中さんの提案からですか?
「ええ。
カヴァーっていうこと自体、自分では考えてなかったですし。
で、曲のほうは、自分の好みとも一致したんで」
――この曲には愛着もあったわけですね?
「ま、沢田(研二)さんについては小学生のときからすごくファンだったんで。
曲は他にもいいのがいっぱいあるし、歌いたい曲もいっぱいあったんですけど………」
――でも、正解どころじゃないですよ、この選曲は。“似合う”どころじゃない。
「……(笑)。
なんかやっとこの年齢になって、阿久悠さんの書いた内容だったり、
シチュエーションだったりが理解できるようになってたり……。
他の曲も考えたんですけども、この曲のときの映像、
沢田さんの歌っている姿というのがくっきりと脳裏にこびりついてたっていうもあったので」
――で、しかも、この曲をこういう音で構築するというのが大胆ですよね。
「FOEのメンバーの方には今回初めてお会いしましたし、
アレンジのほうも全部お任せだったんですけど。
ま、楽しかったですね」
(以下、引用抜粋)
このライヴ直前に入籍を発表した櫻井敦司に対して、
この不倫ソングの頂点「LOVE(抱きしめたい)」は、ブラック・ジョークにも聞こえてきそうだが、
ハマり方は、半端ではない感じがする。
「雨音はショパンの調べ」といい、この「LOVE(抱きしめたい)」といい、
こういった“禁断の愛”こそ、
櫻井敦司のキャラクターには、マッチする(失礼な表現だが賛美だ)。
櫻井敦司の究極の“愛の惑星”の姿が、ここにも、浮き彫りとなるのだ。
櫻井敦司と沢田研二。
希代の二枚目対決といった感じであるが、
そんな、櫻井の唄声で聴く「LOVE(抱きしめたい)」。
まさしく感無量の出来と言えるだろう。
再び煙草に火をつける櫻井敦司。
そして、アンコールから着用しているジャケットを脱ぎ、
そのままジャケットを肩に羽織りダンディな雰囲気を創り出す。
やはり二枚目:櫻井敦司は絵になる。
イメージ的にも、このスタイルが沢田研二のダンディズムに繋がっていくのだろう。
彼らは、伊達や酔狂で、二枚目をやっているのではない。
彼らは、そう決めているのだ。
そういった生き方を。
そうすることで、彼らは見る側に夢を与え、この厳しい現実と闘う意欲を持たせるのだ。
だから、彼らは、格好を付けて生きていくと、
そう、自分の胸に誓って生きていく。
そうして始まる櫻井敦司の「LOVE(抱きしめたい)」。
そう恰好だけではない。
“唄い人”としての人生で、碑愛の歌をこの世に響かせるのだ。
そうやって歌の世界を忠実に実現していく櫻井敦司。
肩に羽織ったジャケット…
「皮のコート 袖も通さず
風に吹かれ 出て行くあのひとを
色褪せた絵のような 黄昏がつつみ
ヒールの音だけ コツコツ響く」
不倫は、それでも背徳の“愛”。
あのひとには、帰る家があり…
優しく包み込んでくれるひともいる。
わかっていた…それでも…
愛してしまったのだ…。
「指輪ははずして 愛し合う」
歌詞の通り本当に、左手の中指の指輪をはずした櫻井。
そのまま指輪を右手から左手に落とし、そのまま左のポケットへ。
時折、二本指に挟む煙草の煙を、散らすように唄う。
その仕草が、その佇まいが、この運命のいたずらを嘆くようにも映る。
本当に良く似合う楽曲をカバーしている。
「ぼくは 今夜 少しばかりの
酒を飲んで 眠ればいいけど
灰色の冬の街 駆け抜けたひとの
心はどうして あたためるのか」
情は脆く、愛を哀しく、駆け抜ける。
心をあたためるのに、何が必要か…
それは、わかっているけれど…
それを与えることは、僕にはできない…。
「街にみぞれが 人に涙が
暗く さびしく 凍らせる
さよなら さよなら」
櫻井が、最後に、深く煙草を吸う。
名曲である。
1971年11月1日、沢田研二はシングル「君をのせて」でソロデビューする。
GSサウンドの最高峰ザ・タイガースの美しきシンガーは、ここに一本立ちする。
櫻井敦司、齢5歳。翌年には、小学校に進学する。
初めて物心が付き、歌手というヒーローの存在を意識する年頃。
ここに櫻井敦司の“唄い人”の原点があるのかも知れない。
1973年には、「危険なふたり」で第4回日本歌謡大賞を受賞する沢田研二。
この作品からスタイリストとして早川タケジが参加し、以降斬新なファッションが確立された。
1975年の8月21日に発売された「時の過ぎゆくままに」は、
90万枚を超えるセールスを記録し、沢田研二にとっても自己最大のヒット曲となった。
2度のスキャンダルが原因で芸能活動を中止していた沢田研二は、
謹慎の復帰後の翌1977年にリリースした「勝手にしやがれ」で90万枚の驚異的大ヒット見事に復活。
第19回日本レコード大賞、第8回日本歌謡大賞など同年末の主要な賞レースを独占した。
続けて「憎みきれないろくでなし」も60万枚、
1978年には「サムライ」が50万枚のセールスとなり、
同年この楽曲「LOVE (抱きしめたい)」で第20回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。
その年の「紅白歌合戦」では、それまで演歌歌手が独占していた大トリを
初めてポップスの歌手として務めた。
この年、櫻井敦司は12歳。
思春期に突入した多感な時期を迎える。
まさにこの沢田研二ソロ全盛時代は、櫻井敦司を始め、同世代のスーパー・スターとして活躍で、
後のミュージシャン、アーテイストに多大な影響を与えたと言って良い。
よって、多数のアーティストの手によって沢田研二楽曲はカバーされた。
1986年、吉川晃司が「すべてはこの夜に」がシングルとしてカバーし、
後に「サムライ」を大胆にアレンジ・カバーしたのが有名であるが、
1990年にはカブキロックスが「お江戸 -O・EDO-」のタイトルで歌詞を一部変更して「TOKIO」をカバー。
またDER ZIBETのISSAY は、1994年のソロ・アルバム『FLOWERS』で
「時の過ぎゆくままに」をカバーしているし、
2002年には、福山雅治は「勝手にしやがれ」をカバー。
LUNA SEAの河村隆一も、自身のソロアルバムで2006年に「LOVE(抱きしめたい)」
2007年に「時の過ぎゆくままに」がそれぞれカバーされている。
また沢田研二がこういったアーティストたちに最も影響を与えた功績は、
ヴィジュアル面であったとも言える。
1960年代にザ・タイガースが、ザ・ビートルズを真似た髪型にしたとき、
七三分けが主流だった音楽界において「長髪のため」NHK出演の審査が通らないなど物議を醸したが、
ソロ活動を始めてからも沢田研二は
「ヴィジュアル系の元祖」とも形容すべき奇抜なファッションや派手な振付で見ている人を驚かせる。
1979年リリースの「カサブランカ・ダンディ」でのウィスキーの霧吹き、
1980年リリースの「TOKIO」における電飾衣装にパラシュートを背負った姿や
「恋のバッド・チューニング」で着用したカラー・コンタクトなど、
中性的なキャラクターを生かした女装メイク・衣装や装飾は大きな反響を呼び、
バイセクシャルなグラムヒーローをもじり「和製デヴィッド・ボウイ」とも呼ばれた。
櫻井敦司世代が、皆、この妖艶なヒーローに魅了されたのも仕方のない現象であった。
一方、サウンド面では、この沢田研二のヴィジュアル先行のスタンスに対して、
長年活動を共にしたバックバンドのリーダーである井上堯之は違和感を覚え、
井上堯之はバンドは解散する。
その経緯からヴォーカリスト沢田研二は、バンドでの活動を迂回し、
盟友:吉田建を中心にALWAYS、EXOTICSといったバックバンドを相次いで編成し、
専属のバンドともに演奏するスタイルを保った。
いちシンガーとしてのポジションを保持することで、
彼の牙城は鉄壁となったと言える。
1981年リリースのシングル盤「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」でも派手な衣装で注目を集め、
他のアーテイストの追随を許さないカリスマ・シンガーとして君臨し、世を席巻する。
この年、櫻井は15歳となっている。
今井寿と出逢うのは、もうすぐ、その先だ。
沢田研二は、コンポーザーとしても才能を発揮し、アンルイス、内田裕也、松田優作
といった多くの歌手俳優にも楽曲を提供している。
沢田研二ことジュリーは希代のアイドルでもあった。
そして、彼の命題と言える“老いても、美しく”。
美貌のアイドルである事は諸刃の刃だ。
それは、櫻井敦司にも言えること…。
美しい男の命題だ。
容姿を売るアイドル的な存在である以上、その人気は間違いなく歳老いることによって下降していく。
どううまく歳を取るか?
その命題にひとつの答えを提示したのがこの男沢田研二でもあった。
和製デヴィッド・ボウイとは良く言ったもので、その呼び名は彼を端的に表している。
沢田研二もデヴィッド・ボウイと同様、音楽的にも幾度もの変容を遂げてきたが、
それ以上の類似点は妖艶なイメージにある。
まるで、歳を取ることなど知らないヴァンパイアのように…。
日本では、ほぼ初めてといえる妖艶なメイクを施し、
妖しくも美しい男性像を印象付けたのがこの沢田研二の特異性である。
少なく見積もっても、櫻井敦司が、この末裔であることは間違いない。
「メイクする男」
恐らく沢田研二が居なければ、
ヴィジュアルを意識した日本のアーティストも存在しなかったと言っても過言ではない。
それは見た目だけの問題ではない。
彼らには、独自の美学がある。
沢田研二の言葉に
「骨の浮いたガリガリな体は老いを感じさせる。
少しでもそれに抵抗するために脂肪とはいえ肉を付けている」
というのがある。
彼らは、夢を売っているのだ。
だから、美しく歳老いていかなければならない。
そして、その考え方には、
ファンに対するサービス精神とともにアーティストとしてのストイックさが存在する。
老いること、歳をうまく取るのは難しいことだ。
歳を重ねることの残酷さと素晴らしさ、
沢田研二はそれを体現している数少ない日本のアーティストである。
そんな日本を代表するカリスマに、少年時代を魅了された櫻井敦司が、
このノスタルジーを、情観たっぷりに再現する。
「さよなら さよなら」
ワインを舐め、霧吹きする櫻井敦司。
深いお辞儀をして、演奏のつづくメンバーを置き去りにして…
去っていく…
いい男には、この唄が良く似合う。
沢田研二「LOVE(抱きしめたい)」
