2003年2月17日、NHK音楽番組「POP JAM」にてNHKホールでのパフォーマンスを放映したもの。
この時期から、ややNHKにのみメディアを絞って活動する傾向が出てきたように感じる。
すでに、伝説化された存在。
しかし、リアルタイムで「残骸」を爆走させるBUCK-TICKの姿に、
現在進行形の“伝説”を目撃していることに、当時の我々が気付いていたかどうか?
アーティストは、特にロックというカテゴリーでは“死”が意味する“レジェンド”が
確かに存在するのだ。
ジョン・レノン然り、ジム・モリスン然り、ジミ・へンドリックス然り、
そして、SEX PISTOLSのシド・ヴィシャス然り。
この当時の昨今では、グランジの創始者NIRVANAのカート・コヴァーン然りである。
一方で、円熟し、生ける“伝説”と化していったビッグ・ネーム。
THE ROLLING STONESが代表例であろう。
カリスマとしては、デヴィッド・ボウイもこの例にあがると言える。
そのどちらのニュアンスとも異なる、新たなるロックンロールの大地を、
この5人はひた走る。
新しいタイプの超生物?
そして、この稀なるBUCK-TICKが、
雑食の極みといえる(いい意味で)日本のミュージック・シーンに、
それもTVライヴで登場するという特異性。
誠に不思議の国“日本”ならでは、可能性を見る思いだった。
このNHKホールに、BUCK-TICKの前に、登場したのは、ガールズ・ポップのTommy February6。
そして、この爆走BT流ロックンロールを挟んで、
日本を代表するDIVA、安室奈美恵の登場である。
会場も同じ観客であるが、楽しめてしまうジャパン・パワーと、
ポジティヴに解釈したい。
これこそ、音楽そのものの“凄味”だ。
そもそも、音楽に“ジャンル”なんて必要ない。
BUCK-TICKを聴いている人なら、こんな感覚もおわかり頂けるだろう。
むしろ、この矛盾こそ、人間的に健康的なファクターだ。
そんな、音楽の垣根すら破壊し尽くす“攻撃性”を有する楽曲「残骸」。
この番組では、ミュージシャンが、演奏前に一言二言コメントをしてステージに移るが、
この日の櫻井敦司は、僕の記憶が正しければ、口を開かず、一礼してステージへ向かった。
たった5分少々のパフォーマンス。
それでも、渾身を込めてプレイする「残骸」。
その姿は、半伝説化したロック・バンドの存在感に包まれていた。
決して、完成体ではないと、櫻井敦司は、繰り返し言うが、
何処に出て行っても、揺るがないポリシー。
それは、競演者が、誰であろうと、変わらない。
そんな意気込みは、2003年の夏以降の活動にも繋がっていく。
同年8月2日 【SUMMER SONIC 2003】出演。
インティックス大阪にて、洋楽ファンの前に堂々と姿を表すと、
翌日8月3日も殺人的な暑さの中、
【SUMMER SONIC 2003】幕張メッセで、いつもとなんら変わらないパフォーマンスを披露。
9月25日28日には、
ゴシックの大物マリリン・マンソンの【Grotesk Berlesk TOUR 2003】に、指名ゲスト出演。
大阪城ホールと東京ベイNKホールにて、気迫のステージをお見舞いする。
そして、いつも、櫻井敦司は言う。
どこでも、誰とでも、
「いつも通り、やるだけです」
このコメントの持つ強さに、彼らの普遍性を見る。
残骸
(作詞:櫻井敦司 / 作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)
瓦礫の上で歌う 気の狂えた天使
静かに叩きつける 雨は鎮魂歌
残骸が 残像が 残酷に燃える
お前は夢見る 明日が来ることを
雨に 撃たれ
止まない激しい雨は 誰の鎮魂歌
麗しいお前の肌を 俺は汚すだろう
戯れ言は お終いだ 欲望だけだ
俺はもう夢見ない 明日が来ることを
深く もっと深く 俺は穢れて行く
腐りきった日々よ 最後は お前の中で 深く…
残骸が 残像が 残酷に燃える
お前は夢見る 明日が来ることを
戯れ言は お終いだが 絶望だけだ
俺はもう夢見ない 明日が来ることを
深く もっと深く 俺は穢れて行く
腐りきった日々よ 最後は お前の中で
深く もっと深く 深く 愛してくれよ
砕け散った日々よ 最後はお前の中で
深く …深く
雨に 撃たれ
