2004年のライヴツアー中には、
3月19日、ヴィデオ2本組で1989年4月にリリースされていた『sabbat』が、
DVDで復刻発売される。
この初期衝動への回帰を標榜するかのような“ロックンロール”なアルバム『Mona Lisa OVERDRIVE』
の援護射撃となるばかりか、当時の彼ら、その未熟な技術の中に、
どんなモノを創り上げようと、パッションを燃やしてしていたのか?
それが、時と経て、蘇ってくるかのようだ。
誤解を恐れずに言えば、『sabbat』は、あの消化しきれないもどかしさの中にある、
“未熟さ”が素晴らしい。
アルバム『TABOO』にも同様のことが言えるのであるが、
当時1989年時点のBUCK-TICKは、今井寿一色の妄想に、
他のメンバーの個性が、追いついていない。
が、故にこの時期のフラストレーションが、作品の勢いの拍車をかけている。
おぼろげながら、見え隠れする“理想”。
しかし、そこへ至る“手段”を見出し切れていない。
確かに壮大なファンタジー「ANGELIC CONVERSATION」
今、聴いても斬新なインダストリアルの傑作「ICONOCLASM」
そして、彼らのモニュメント「JUST ONE MORE KISS」
と、新たなる大地は、見えているのだ。
そして、こういった楽曲も、彼らと共に、ライヴの中で成長し、
とんでもないモンスター楽曲へと変貌と見せていくことになる。
当然のことながら、この1989年時点の彼らのそれは分かっていないハズである。
だからこそ、勢いは、ケタ違いにある。
もう、明日、自分達が消えて無くなってしまっても後悔しないように…。
フルスピードで奏でられる「...IN HEAVEN...」を聴いていると、
本当に、刹那的なキラメキを追い求めていた彼らの姿に胸を撃たれる。
続いて6月25日には待望の『PICTURE PRODUCT』の続編がリリースされる。
DVD『PICTURE PRODUCT Ⅱ』は、写真集付きで完全予約限定発売とされた。
ボリュームから、前作の5枚組『B-T PITURE PRODUCT』を期待していたフリークには、
やや物足りない内容であったかも知れないが、
その続編として、BMGファンハウスからの第一弾「GLAMOROUS」以降の
ヴィデオ・クリップを全て収録している。
シングル楽曲としてリリースされている楽曲は、
どの曲もハイクオリティーであることが証明される内容であった。
【収録楽曲】
「GLAMOROUS」
「21st Cherry Boy」
「極東より愛を込めて」
「残骸」(マルチアングル仕様)
「TRANS」(「GLAMOROUS」のC/W曲完全版)
以上の楽曲のクリップを見ているとBMGファンハウスに移籍後のBUCK-TICKが、
いかに、“音楽”への追求心とアソビゴコロを実現していたかが、解るだろう。
そして、映像は、DVDに付録されている写真集の撮影の模様を記録したもの。
メンバー全員のルックスの完成度がデビュー16年を経て、
一切、衰えていないどころか、むしろ、輝きを増していることに気付くであろう。
誠、彼らは新生物のようだ。
さて、ここでアルバム『Mona Lisa OVERDRIVE』のライヴツアー
【Mona Lisa OVERDRIVE TOUR】、【Tour Here we go again!】を終え、
その集大成【Mona Lisa OVERDRIVE -XANADU-】の日比谷野外音楽堂を控える
櫻井敦司の言葉を掲載する。
以下、『UV』誌より抜粋引用。
「……腑抜け状態ですね」
櫻井敦司はそうつぶやいた。
時間の経過と比例しながら、より鋭く研ぎ澄まされ、常に自らの回転数を速めているBUCK-TICK。
しかし同時に、自分を興奮させることを満足させることを年々難しくなっていくという現実にも、
彼らは向き合っているはずだ。
そんな状況のなかで、孤高のカリスマは何を考えているのか。
――“腑抜け状態”という言葉は、前に同じようなタイミングで話をしたときにも聞いたおぼえがあるんですけど、
ツアーが終わると必ずそうなるものなんですか?
「ここ何年かは特に。まあツアー中は自分なりにテンションも上げてるというか高くなるんで、
いっぱいいっぱいの気持ちという姿勢でステージに集中していると、それだけ……」
――消耗度も高い、と?
「ええ。
もちろんずっとそれをやり続けるわけではないですし、
何本ライヴがあろうといつかは節目というか締めのタイミングが来るわけですけど、
それはわかってはいても、そういう日が急にやって来ると“明日はどうしたらいいんだろう?”と。
ま、休めるのは嬉しいですけども(笑)、高いテンションを保ってきたぶん、
そうやって抜け殻になってしまうというか」
――着地点が見えてても、スイッチを徐々に切っていくなんてこと不可能ですもんね。
「そうですね」
――でも実際、抜け殻状態の櫻井さんがどんな様子なのかって想像できないんですが。
何もする気が起こらないってことですか?
「ま、そうですね。……ですけど、寂しいというか(笑)」
――そういう意味では、年がら年じゅうライヴが、あったほうが……?
――「いや、それはまた……人間というのはやっぱり天の邪鬼なもので、
たくさんあったらあったでブーブー言うと思うし(笑)」
――ハハハ。でも、今の状態を裏側から見ると、そういった抜け殻状態を味わえているのは、
それだけツアーで吐き出すべきものを吐き出せてきたってことに証明でもあるな、と。
やり残したことがない状態というか。
「そういうふうでありたいとは思ってます。
ツアーというのをそういうものにしたい、とは。まあ“ライヴ”っていう解釈ですから、
そのときそのときを追及するというか……クオリティのことを言ったら何も始まんなくなっちゃうんですけど、
やっぱりその会場、その時間、そこにいる人たちだけのためのものを、
思いっきり、その場所だけに残したいというのもあるんで」
――実際、ここ何年かのツアーと比べてみて、
今年のこれまでのツアーでは、何か新しい感触が得られたりということはありました?
「わりと……クサいですけど“熱くなれた”という気はします。自分なりに、ですけど」
以上、抜粋引用。
その“過激さ”故の反動が、どうやらプライベートでの櫻井敦司を
“腑抜け状態”にしているらしい。
しかし、この2003年という年は、この“過激”なライヴツアー活動だけで終わりではなかった。
更に、爆走と、そして、美しい一時の終焉を迎える為の序奏となる動きが、
2003年の後半も待ち受けていた。
16年目のBUCK-TICKは、一味違った。
