「教えて欲しい聞かせて欲しい 汚れているか おかしいか
 それでもかまわないか

 笑って欲しい見ていて欲しい それならここを撃ち抜いて
 くれてもかまわないさ」


『Mona Lisa OVERDRIVE -XANADU-』日比谷野外音楽堂。
このスペシャル・ライヴで、本編のトリを取る一曲「Mona Lisa」。
アルバム『Mona Lisa OVERDRIVE』の“攻撃性”を如実の反映した今井寿の傑作である。

しかし、この【-XANADU-】のステージでは、「愛ノ歌」で、
完成体としてのBUCK-TICKの姿を見せつけたあとに、
もう一度、彼らは自らを“破壊”して見せたと言っていい。

この楽曲の主題。

愛する者に、自分はどう映っているのか?

なぜ、彼らは此処まで、綺麗事を嫌い、ある種の人間の醜さを唄うのか?
“闇”を唄う事、そこに“血”を滲ませる事、異形である事。
観る人によっては、ただのホラー趣味と取られてもしかたない。

だが、その底にある真実を求める彼らの姿に一度魅了されると、
ずぶずぶと底なし沼に引きずり込まれるようだ。

夜が好きだ。雨が好きだ。
そんな美学に到達した彼の姿勢は、偽善に満ちた自己啓発書なんかより、
少なくても、僕には、圧倒的に、人生の教訓になるのだ。

もうこれは、思想とかの次元ではない。
どう感じるか?の問題で、人に強いることではない。

それでも、己の穢れた姿も、汚れてしまった過去も、醜く崩れ行く自身を、
笑っていいくれて、それでも、見ていて欲しい。
最期に、その手で、撃ちぬいてくれても構わないから…。

愛するあなたになら…。殺されても…。

サード・アルバム『TABOO』に収録された「SILENT NIGHT」。
愛するが故に、殺してしまう偏愛を描いた血まみれバラードである。
「Monna Lisa」はこれの真逆を唄っているのではないか?


「サバンナが見渡せる丘 Son of a gun by oneself 泣き出す
 そこにいるのか さわっていてくれ 体中が震え出した
 構の奥まで鳥肌で埋まる 痙攣が抱擁 耳鳴りがしゃべリかける
 Long long ago 生ぬるい雫 糸を引く もう二度と会えないんだ」



“差別”は、TABOOである。

しかし、本人に意思とは別に、それは、突如顔を出す。

こんな悪趣味…、普通じゃないのは、解っている。
しかし、“闇”を求めずには、いられないのだ!

誤解を恐れずに言おう。
僕は、人に、BUCK-TICKが好きだ、と伝える時に、
少し、慎重になる。

「この人には、わかってもらえるかな?」

少し、自信がなくなる。
そんなカルト性のあるバンドであること、長年わかっていたはずだ。

でも、どうしようもなく、好きだ。


櫻井敦司は
「マイナスとマイナスを掛け合わせるとプラスになるような」
と雑誌『ダ・ヴィンチ』で夏目漱石の「こころ」について語っていたが、
ネガティヴなポジションも突き抜けると、ポジティヴ以上の凄味を発揮する。

そうだ。

“死”を突き抜けた時、真実の“生命”が見える。


それでも、きっと、当事者とは、温度差が伴うのだ。
「Monna Lisa」にBUCK-TICKは、どんな感情を込めたのか?
それは、永遠に謎…。




レオナルド・ダ・ヴィンチの愛した絵画『モナ・リザ』。

僕は、パリのルーブル美術館で実物を鑑賞したことがあるが、
この世界一有名な絵画の前には、長蛇の列が出来、鑑賞というよりは、観光という意味合いが大きかった。
雄大さを誇る、その他の壁絵や荘大な彫刻の数々を見た後に、登場する一枚の絵画。
ルーブルのクライマックスとなる恐らく歴史上最も有名な肖像画『モナ・リザ』を観ると、
そのサイズは、決して、驚愕するものではないが、“本物である”という存在感と、
レオナルドのこの絵画への“想い”が、人を惹を惹きつけてやまない。

しかし、僕も含めて、鑑賞者と当事者のレオナルドとの温度差は計り知れない。

レオナルドは1503年にこの絵を描き始め、3年か4年制作にあたった。
完成後もレオナルド・ダ・ヴィンチ本人の手元に置かれ、
フランスのフランソワ1世の招きによりレオナルドと共にアンボワーズ城近くのクルーの館へ移り、
その後1510年頃にフランソワ1世によって4000エキュで買い上げられ、
フォンテーヌブロー宮殿に留め置かれたとされる。
さらにその後ルイ14世によってヴェルサイユ宮殿に移され、
フランス革命後には現在の展示場所であるルーヴル美術館に落ち着いた。
ただしその後もナポレオン・ボナパルトが自分の寝室に持っていったり、
普仏戦争や第一次世界大戦、第二次世界大戦の際にフランス国内の安全な場所に移されたりしている。

そんな歴史的史観が、この一枚の絵画に特別な意味を付けた。
しかし、それとて、作者レオナルドの感情とは、別のものなのだ。


「モナリザの微笑み」と呼ばれるその独特の笑いは古くから多くの研究者を虜にしてきた。
純粋に魅力的な者を描いたと言う物もいれば、
ひねた笑いか、悲しみをたたえた笑いであるとも言うものもいる。
ジークムント・フロイトは、レオナルドが母親に抱いていた性的な魅力であるという解釈を残している。
この表情を感情認識ソフトに通した、
83%の幸せ、9%の嫌悪、6%の恐怖、2%の怒りという結果になったという。
また表情が左右で微妙に異なっていることもよく指摘される。
左半分が悲しみ、右半分は喜びを表しているとする意見もあれば、
レオナルドが同性愛者であるという説と関連づけて、
左半分が男性、右半分が女性とする意見もある。

[wikipedia]より。

人の解釈は自由だ。
人の「ここと」はうつろいゆく。

BUCK-TICKの「Mona Lisa」も、
レオナルドが、絵画『モナ・リザ』を愛したように、
リスナーとは、違った温度差を感じる作品だ。
誰も、“共感覚”で同じ感触を味わうことは、不可能だ。
そんな感覚の“孤独”を持ちながら、誰もが生きていく。

きっと、この楽曲に震えが止まらないのは、他ならぬメンバー達本人であろう。


「俺達の感覚は、どこまで伝わっているだろうか?」


「Mona Lisa」


アーティストの永遠に彷徨う亡霊を見るようである。





愛する人よ。あなたの瞳には、僕はどう映っているのだろうか?

もし、気に食わなければ…、ここを撃ち抜いてくれてかまわない。

しかし、これも、永遠の謎…。




Mona Lisa
 (作詞・作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)



眠れ明日が欲しいだろう 震え出したら夜明けまで待てない
I hear nothing see nothing say nothing
Kraus の Hyper opera voice song
響き渡る Adios Amigo ゴミの山あさる Alchemist
Long long ago 冷たい指 肉につき立て 二人が抱き合った

凍りつきそうなんだ 君のことを
震えが止まるように 聞かせてよ
凍りつきそうなんだ 君のことを
震えが止まるように 君のこと 聞かせてよ

教えて欲しい聞かせて欲しい 汚れているか おかしいか
それでもかまわないか
笑って欲しい見ていて欲しい それならここを撃ち抜いて
くれてもかまわないさ

サバンナが見渡せる丘 Son of a gun by oneself 泣き出す
そこにいるのか さわっていてくれ 体中が震え出した
構の奥まで鳥肌で埋まる 痙攣が抱擁 耳鳴りがしゃべリかける
Long long ago 生ぬるい雫 糸を引く もう二度と会えないんだ

凍りつきそうなんだ 君のことを
震えが止まるように 聞かせてよ
凍りつきそうなんだ 君のことを
震えが止まるように 君のこと 聞かせてよ

教えて欲しい聞かせて欲しい 汚れているか おかしいか
それでもかまわないか
笑って欲しい見ていて欲しい それならここを撃ち抜いて
くれてもかまわないさ

教えて欲しい聞かせて欲しい 汚れているか おかしいか
それでもかまわないか
笑って欲しい見ていて欲しい それならここを撃ち抜いて
くれてもかまわないさ
教えて欲しい聞かせて欲しい 汚れているか おかしいか
それでもかまわないか
笑って欲しい見ていて欲しい それならここを撃ち抜いて
くれてもかまわないさ


【ROMANCE】