「Baby,I want you.」
「おまえが、ほ・し・い…」
という“魔王”の称号を得たばかりの櫻井敦司は、「叫ぶ」
今井寿の重たいフライングVの轟くギター・イントロとともに、
ミネラル・ウォーターを頭から被る“魔王”櫻井。
2002年6月16日、この日東京ベイNKホールに集結した信者たちに告げる。
遂に転生した“魔王”が降臨した、と。
「唄」だ。
【WARP DAYS】第二部の凶暴で、どこまでも激しい魂の叫びは、
まさに、この瞬間の為にあった。
そんな“魔王”転生の儀式が執り行われるているような、そんな錯覚を覚える。
否、これは、錯覚ではない。
これが、現実なのかもしれない。
そんな幽玄な地点まで“WARP”させてくれるのが、今回の【WARP DAYS】の醍醐味だ。
是非、DVD『BUCK-TICK TOUR2002 WARP DAYS 20020616 BAY NK HALL』はご鑑賞頂きたい。
すべてにおいて完成度の高い『ONE LIFE, ONE DEATH CUT UP』とは、
また、違ったBUCK-TICKの本性を垣間見ることになるだろう。
(※残念ながら、星野英彦のバースデー・シーンはカっトされてしまったが!)
なぜ、この15周年を迎える記念すべきこのライヴ・ツアーで、
彼らは、ここまで、キレキレのパフォーマンスを繰り広げたのだろう?
結論は・・・。
「わからない」
多分、本人たちも、そう応えるのではないだろうか。
「ただ、そんな気分だった…」と。
それで、いいのだ。
考えてわかることじゃない。
生きるとは、そういうことだと思う。
でも、“感じる”ことは、出来る。
その感覚から、自分が何をすべきか、見い出すことは可能なのだ。
だから、理由なんていらない。
この日、間違いなく、BUCK-TICKは、今までにない境地を自身の中に感じとっていたに違いない。
そして、このライヴに参加した観客も同じだ。
「考えるな!感じろ!」
そうすれば、道は開ける。
そんな「叫び」が「唄」から聴こえる。
1995年のライヴツアー【Somewhere Nowhere 1995】を連想したのも、その為だ。
あの時、BUCK-TICKも、「Somewhere Nowhere」で、“どっちだ!”と深い森に迷っていた。
それは、「相変わらずの「アレ」のカタマリがのさばる反吐の底の吹き溜まり」だった。
そして、「見えない物を見ようとする誤解 全て誤解だ」という真実にぶち当たる。
だから、彼らは、もう、考えるのを辞めた。
そして、感じることにした。
深い【愛】も【哀】も【欲】も…。
それを、創り出しているのは、自分の感情の他ならない。
だから、一度っきりの人生で、それを“感じ”抜こうと思った。
それが、生命のすべてだ、と。
そんな、感情の起伏を、この15周年に思い返せる心境、環境、そして仲間。
最高じゃないか!
そして、それ以上のものは、ない。
人生には、過去も、未来も存在しない。
生きている、現在(今)だけだ。
そんな地点に、降り立った【WARP DAYS】。
まさしく、彼らとそのファン達は、時空を超えて“WARP”したのだ。
「どうして生かされてるのか この俺は」って?
それは、
「そうだ叫びだしたい」という感情が物語っている。
理由はいらない。
「お前を愛しているのに」
それが、すべてだ。
唄
(作詞:櫻井敦司 / 作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)
どうして生きているのか この俺は
そうだ狂いだしたい 生きてる証が欲しい
神経は落ちてくばかりで 鼓動はずっとあばれ出しそうだ
深い森に迷い お前の名を呼ぶ
逃げ出すことも出来ない 立ち止まることも知らない
聞いてくれこの声 お前を愛しているのに
抱いて慰めてくれ そう甘く
だめだ溺れてしまう 優しい君の中
誰も泣きたいはずだろ 優しくきっとされたいはずさ
熱い肉の軋み お前にこの愛
生きる事はできる 消えていくすべを知らない
この手伸ばしている お前を愛しているのに
ああ この世で美しく ああ 限りないこの命
ああ この世で激しく ああ 燃えろよこの命
どうして生かされてるのか この俺は
そうだ叫びだしたい 生きてる証が欲しい
神経は落ちてくばかりで 鼓動はずっとあばれ出しそうだ
熱い皮膚の裂け目 吹き出すこの愛
消える事はできる 生きてゆく意味知らない
この手伸ばしている
逃げ出す事もできない 立ち止まる事も知らない
聞いてくれこの声 お前を愛しているのに
ああ この世で美しく ああ 限りないこの命
ああ この世で激しく ああ 燃えろよこの命
