「心配することは何もない 聖なる現実の名のもので
 恐れることなど何もない 心から君に誓おう
 お願いだBABY 触れてくれ 千切れ, 破れ, 壊れそうだ」


【TOUR ONE LIFE,ONE DEATH】本編のラストソングは、やはりコレ。
恐らく、この当時、誰のものにもならない男。
“今井寿”が、「結婚するときには、この曲を贈りたい」と語った。
彼の“カタルシス”大作「RHAPSODY」。

一貫して、この年のライヴツアーで本編のラストソングもこの一曲。

櫻井敦司の詞作作品よりも、
どちらかというと、ストレートな表現で時代を切る今井寿の
「FLAME」と対を成すような“愛”の賛歌だ。

多分、この男の第一優先事項は、きっと“BUCK-TICK”そのもの。
愛とか、恋とか、それよりも常にプライオリティーを持って音楽を追求してきた。
そんな今井寿のタフネスな人生訓とも言える「RHAPSODY」。

「FLAME」とのシンクロニシティー。キーワードは“花”。

今井寿並びに櫻井敦司というクリエイターは、
人生の絶望を誰より解っている人間と感じてならない。

人生に愛や恋、夢、希望を与える楽曲を創作する人間は、
逆説的であるが、この世の地獄を知らないと書きえないのだろう。
“BUCK-TICK”というバンドは、恐らく初期の段階からその楽曲に、
人間の醜さ、悲哀、そして非業さをパッケージして表現して来たバンドだ。
それは人間の尊さ美しさを誰よりも解っているゆえ表現出来るものと感じる。

そんな彼等の、今回のキーワード“花”。
もう、妖艶さを演出する“華”ではなく、
どこにでも、そう、その道端の“花”に、人生の尊さと美しさを感じる感覚。
まさに【名もなき花】…。

そんな花が、彼等を見ているからこそ、
創作芸術家として、“自分”を貫いて生きていけるのだろう。

多分、今井寿が愛してやまないは、誰でもない生涯の相棒、櫻井敦司。
彼の止めどない実現欲求を満たしてくれる男。
彼の脳内に無限に広がる荒唐無稽な世界を現世界に出力して表現しうる男である。

本格ゴシック・コンセプト・アルバム『十三階は月光』は、今井寿が、
櫻井敦司のソロ活動『愛の惑星』の内容に嫉妬して出来上がったとされるが、
この「RHAPSODY」にもそういった今井から櫻井に捧ぐ深い愛を感じる。


自己破壊的で、人生の闇の部分、醜い部分と欲望・悲哀を血を吐きながら唄わせたら、
恐らく日本一ハマってしまうシンガー櫻井敦司に、
コンポーザー今井寿は
儚くも、美しい“名もない花”を捧いでいるのではないだろうか?

「ドレス」では“羽がない”と嘆いている櫻井敦司に、
今井寿は“ギラギラ輝く風切り羽の黒い翼”を捧いでいるのだ。


それに、応えるように櫻井敦司も全身全霊かけ、己の肉体を表現機材に変えて唄う。
彼は以前、こう語っている。
「俺は、BUCK-TICKのヴォーカルになる前は、何者でもなかった」
そして、自分を何者かにしてくれた今井寿に感謝しているに違いない。


いや、櫻井敦司だけじゃない。
星野英彦も、樋口豊も、ヤガミトールも、

この偉大なるBTの産み親、
いつも、完全なる方向性を導くバンド・リーダーに応えるように、
入魂の演奏で、この「RHAPSODY」をプレイする。

あなたの前にBUCK-TICKはなく、
そして、あなたが居なければ、今後のBUCK-TICKも存在しない。

メンバーも、スタッフも、そしてファンも、皆がそう思っているに違いない。

ありがとう。今井寿。
BUCK-TICKは、本当にいいバンドだ。



映像で今井寿は、Lucy活動のプロトタイプらしき、箱型のフェルナンデスでプレイしている。
これが、棺桶型のギター作成への切欠となっている。
今井寿のギター・ソロは、まるで我々に語りかけるかのように“生々しく”素晴らしい。

この迫力の前には、誰もが認めざる得ない“生命の花”の美しさがある。

「ほらきれいだろう」、と。

今井寿の囁きが聞こえてくるようだ。



RHAPSODY
 (作詞・作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)


ここ世てっぺんで跳ねよう アドレナリンを噴射させて
虚実, 矛盾, 幻想, 全貌受け入れるんだ

不毛の大地だ踊るう 愛と勇気とケータイ持って
生まれ変っても ここ生きていくんだ

聖なる現実の名のもので 心から君に誓おう
お願いだBABY 触れてくれ 千切れそうだ

君は側に咲いてくれ そう花がいい
不毛 の地で 咲いてくれ そう花がいい
ほらきれいだろう