「セルロイドのスローダンス 」

「無知の涙」は【SEXTRAEM LINER】ツアー後も、好んでライヴに登場する一曲である。
ダークコンセプトの傑作『darker than darkness -style 93-』の頃から
この楽曲の構想は今井寿の頭の中にあったという。

以下、『UV』誌より引用、抜粋。



―――「無知の涙」は?

今井寿
「この曲は『darker than darkness』のころから構想があったんです。特にリズム面で。
それがようやく形になったんです。
ビートの音色やギター・サウンドがインダストリアルっぽい」

―――ギター・ソロもアヴァンギャルド!

「ですね。
ソロもほとんどインプロ(即興演奏)なんですよ。
大まかな感じだけ考えて、それに沿って本番ではフィーリングで弾くという。

この曲は、べつにソロなくてもいいかなと思ってたんです。
だからデモでは適当に弾いておいたんです。
そしたら本番でマニピュレータ―があのソロあったほうがいいと言うんで、
改めてデモ聴いてコピーして弾きました」

以上、引用。



また作詞は櫻井敦司で、このゴールデン・コンビによるインダストリアルなナンバーは、
「楽園」にも近い社会的なメッセージが込められた。
「無知の涙」とは永山則夫の小説と同じ題名ではあるが、
内容的関連性は無い。詞の内容は「戦争」を皮肉ったものだという。



これについては『FOOL'S MATE』誌で櫻井敦司が語っている。

―――「無知の涙」は、どうしても永山則夫を連想しちゃうんですけど?
(※永山則夫は1968年に19歳で連続射殺事件を起こし、後に獄中で作家活動を開始。
『無知の涙』は永山の代表作でもある。1997年8月に死刑執行)

櫻井敦司
「たぶんそういう捉え方されると思って、違うタイトルにしょうかと思ったんですけど。
“貧困が自分を殺人犯にした”っていうのとは全然違います。

これ(の詞のモチーフ)は戦争ですね。
反戦とか、矛盾があったりするっていう。
何ていうんですかね…自分に突きつけられるとまた、“それどうなんだよ”っていう。

うん。矛盾ですね。
自分も知らないくせに、そんなこと言うな、って感じかな(笑)」

以上、引用。



渾身の傑作『Six/Nine』収録の「楽園」では、マスメディアと傍観者としての自分と
そのジェネレーションを、痛烈に皮肉ったが、
この「無知の涙」では、更にそういった傍観者が、
「テディベア カボチャの馬車」とこれまた童話的な世界から一転し、
今度はマシンガンを持って加害者に変貌する様を描きだしているのだ。

しかもその本人に罪悪感はない。

そういった意味で「楽園」の続編とも取れる「無知の涙」には、
『SEXY STREAM LINER』的な雰囲気でのスロー・ブギでもあり、
背景を覆う資本主義の大義名分化した戦争を、
よくカラクリもわからないうちに、鼻先にぶら下げられた“ダイヤモンド”で、
大量加害者化していく過程をお伽噺のように歌っている。



この当時1997~1998年の世紀末的な危機感を、
BUCK-TICK的に表すと“反戦”というストレートなメッセージではなく、
“誰が得するのか?自分はどうするのか?よく考えてみろよ”と諭すようなストーリーとなるのだ。

「流れない 無知の涙 綺麗な髪の少女」
とは、“リザードスキンの少女”=“神隠しにあった少女”なのかも知れない。


恐らくは、それがサイバーな比喩表現として登場する
「マシンガン抱いた少女 セルロイドの少女 」
が社会を火の海にする悪夢となる。
現代では“無知”は“罪”なのだ。

BCK-TICKは“それでもでいいのかよ?”って言っている。



無知の涙
 (作詞:櫻井敦司 / 作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)



テディベア カボチャの馬車 見世物小屋でスローダンス
戦闘機 飛び交う部屋 あの娘と踊るスローダンス

マシンガン抱いた少女 セルロイドの少女

ダイヤモンドちらつかせ 操り人形踊らせる
大義の炎で 世界中を焼き尽くす

ママは何処 何処にいる 悪魔達はスローダンス
流れない 無知の涙 綺麗な髪の少女

マシンガン放つ少女 セルロイドのスローダンス

Love & Peace 切り裂いて ブリキの兵隊繰り出す
あぶないオモチャで あの娘までも焼き尽くす

マシンガン抱いてスローダンス セルロイドのスローダンス

ダイヤモンドちらつかせ 操り人形踊らせる
大義の炎で 世界中を焼き尽くす
Love & Peace 切り裂いて ブリキの兵隊繰り出す
あぶないオモチャで あの娘までも焼き尽くす