TVK音楽情報番組『ミュージッククリーク』に出演時の映像である。
櫻井敦司とヤガミトールの2名の出演となるが、二人とも無機質といえるほどクールな印象で、
新作の自信と余裕を感じさせる。

メンバーは、新作アルバムのデキに、今までにはない手応えを感じていた。







BUCK-TICKは、1996年の暮に櫻井敦司の急病で活動中止していた。
雑誌『bridge』1998 VOL.17に音楽評論家・渋谷陽一によるインタヴューが掲載されたので
抜粋要約させて頂く。

以下、抜粋要約。




●●海外に行ってて病気になったんだって?
櫻井「そうです。写真集出すっていう話があって、個人の。それでロケに行くっていって病気になって」
●●何かすごかったみたいね。下手すりゃ死んじゃったみたいな
「そうですね。その時はもう、痛みと鎮痛剤で麻痺してましたから分かんなかったけど、後で聞くとやっぱり。ネパールっていう所で施設というか、ちゃんとしてないんですね、病院でも。ちょっと手に負えないから帰国した方がいいって言われて。で、1日2日ちょっと病気抱えたままだったんで、ちょっと危ない感じだったんですね」
●●その1日2日ってネパールの病院でごろごろしていたわけ?
「そうですね。飛行機がすぐに取れなかったんで。1日入院して無理矢理取ってもらって。シンガポール経由で遠回りのやつで『シンガポールの病院に行った方がいい』と言われたんですけど、『いや成田まで行きたい』って」
●●シンガポールの病院の方がうまかったかもしれないね。
「いや、分かんないですけど(笑)。シンガポールだと救急車、空港に待ってたらしいんですよ。そこの救急車で旅行の保険みたいのを使っちゃったから、成田では待ってないって(笑)。それでもいいって言って」
●●突然お腹が痛くなったわけ?
「すごい急ですね、本当に。すごい痛みですね、あれは」
●●死ぬかと思った?
「はい。初めて死を意識っていうか、深刻に意識しました(笑)」
●●そこは、きっちりした医療設備のない病院だったわけ?
「やっぱり全然違いますね、こっちとは。手術台の仕切りっていうのもカーテン1枚で、壁はコンクリートのブロック」
●●すごいね。野戦病院みたいだね。
「ああ、そんな感じです」
●●さすがにそこでは手術はできないという。
「うん。何か原因分からないとか言われて。胆石か、とか言われて(笑)」
●●例えば、その段階で俺って死んじゃうかもしれないぞと思ったわけ?
「いや、その段階では病気にこう、変な話、馴染んでったというか、痛みにも。最初に自分のいたホテルで痛みが走った時ですね。違うな、この痛みっていう」
●●あははは。
「その時は『死んだら棺桶で飛行機に乗るのかな』とか、具体的に考えましたけど(笑)」
●●(笑)。わりと人間、死ぬ事なんてあんまり考えないじゃない?
「想像するとやっぱり恐怖って出てきますからね。そういうの考えたら『あ、恐いな』と思って。脂汗、全身からダァーッと出ちゃって。それ一歩過ぎて、痛みとかも鎮痛剤で朦朧としてくると、もう思考能力も低下してきてボォーッとしちゃってる感じ」
●●ああ助かったんだなというのが分かったのはいつの段階なの?
「ま、それは麻酔から覚めた時ですけども、もう成田着いた時に安心しちゃって、『ああ、日本帰ってきた。良かった』っていう感じで。ずっと空港とかで車椅子だったんですけど、歩けなくて。何か『自分の家の近所の病院に行ってくれ』って言って(笑)、その景色も自分の家の近所ですから同じなんですけど、何か違うふうに見えて。変な話ウキウキして(笑)」
●●あはははは。
「『わー、検査だ、何やるんだろう』とかウキウキしちゃって。『CTスキャンだって』とか言って」
●●すごく事実認識甘くない?(笑)
「あはははは」
●●本当はすごく深刻だったんでしょ。
「そうですね。手術なんて初めてですから。『何やるんだろう、次は』とかって。で手術終わった時からは地獄ですね。『手術する前より痛いじゃんか』とか思って」
●●ああ、そうだったんだ。
「もう動けないですよ、1ミリも。動くともう痛くて。傷の痛みもあるんですけど、何か管がいっぱい出てるし、咳とかくしゃみが響いて」
●●はははは。人生何度もない体験をした訳だね。
「そうですね。あれはもう御免ですね。あれだったらもうスパッと逝きたいですね」

以上、引用。

今井寿から櫻井へのお見舞いの品は書籍が多かったらしい。
また療養中に渡されたデモテープには後に「ヒロイン」や「月世界」になる原曲が入っており、
櫻井敦司は「月世界」の原曲が特に印象的であった語っている。


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『00035k4e』



翌1997年にメジャー・デビュー以来所属していたビクター・エンターテイメントとの契約を終了し、
1月にレコード会社をマーキュリー・ミュージック・エンターテイメント(株)に移籍した。
そう考えると前年、新事務所【BANKER】の設立と新ファンクラブ【FISH TANK】の発足は、
大手ビクターからの脱却を図る為の布石であったようである。
移籍先をなぜマーキュリーーに決定したのかという質問に、
今井寿は

「名前がかっこいいから」

と答えた。

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『00039hpr』


レコード会社移籍後も、櫻井敦司の闘病は続き、BUCK-TICK本体の活動は不可能であったので、
その間に故郷群馬前橋にて、ヤガミトールが出張ドラムクリニックなどを行っていた。
これは『darker than darknessーstyle93ー』の活動後、『Six/Nine』までの長いオフ時に、
第一回が行われていたものに続き、第二回目の開催実現となった。
ツアー延期を待たせているだけではなく、何かリスナーへ出来る事はないか?
というヤガミ“アニイ”トールの考えと以前からの要望が多かった為の実施になった。
また、ヤガミは、BOOWY、BUCK-TICKを輩出した群馬から新たなる後進バンドが登場するのを、
望んでいた節がある。
「今のバンドは、根性がない」と叱咤激励する場面もあったという。

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『0003atw9』


3月に入り、櫻井敦司の体調も回復し、延期になっていたライヴツアーは
【BUCK-TICK TOUR'97 RED ROOM 2097】とタイトルを改め、
全国4ヵ所、10本のライヴパフォーマンスを行なっている。

その後、BUCK-TICKは新作のレコーディングに入り、
11月12日、マーキュリー移籍第1弾シングル「ヒロイン」を発売。
翌月12月10日 移籍第1弾アルバム10th ALBUM『SEXY STREAMLINER』のリリースに至る。

遂に極上最新型のBUCK-TICKのお披露目だ。