映像はTVK系音楽情報番組『ミュージックパーク』出演時の
インタビューである。
当時、無口な上に更に凄味を増していた櫻井敦司の笑顔が見える貴重な映像である。
珍しく櫻井&今井が応対していて、他のメンバーはほとんど話さない。
星野英彦、樋口豊に関しては、一度も口を開かずにインタビューは終了した。
珍しく“アニイ”ことヤガミトールも質問の応対しかしていない。
いつも通りの“微妙な空気”いっぱいのトークとなったが、
司会も相当、気を使ったことだろう。
内容は、サウンド的な質問は一切なく、
ヴィジュアルに関する質問に終始した。
それだけ、今回のイメージチェンジは斬新であったのだろう。
櫻井敦司については、逆立ったパンクスタイルから長髪を経て、
今回のオールバックについて、
「それも、めんどくさかったから・・・」
といつもの調子である。
BUCK-TICKのトレードマークともなるヘアースタイルについての質問は、
メジャーデビュー当時から数限りなく繰り返されていて、
それがBUCKーTICKへのインタビューの基本とも言えるオーソドックスなものであったが、
逆にメンバーにとっては、この種の質問にもう飽き飽きしていた感がある。
当然であるが、目立つ為のメーキャップで、そこに注目が集まり過ぎると嫌気がさすという
パラドクスではあるが、これは、マッシュルーム・カットで一世を風靡したTHE BEATLESからの
いわゆるロック・アイドルの普遍的な悩みで、
アイドルからアーティストに転進していく過程において誰もが通る道とも言えるだろう。
BUCK-TICKの櫻井敦司にしてみれば、髪を下ろした時期(『TABOO』リリース時)と
今回の断髪時を見比べてみると明らかに後者がこの時期に当り、
徐々にメイク自体もナチュラルのものへ変貌していき、
逆にクリエーターとして詞作は、彼独自の路線へと深化していくのがよく分かる。
逆にメイク&ヘアーをコロコロと変える相方今井寿は、
パフォーマーとしての自分とクリエーターとしての自分に然程区別がなく、
いつの時代も奇をてらったモノを常に狙っている感があるが、
いわゆる“普通”にしていることのほうが、彼にとっては奇抜だったりする。
当時の彼の髪型については、この時期は意外とオーソドックスな長髪であったが、
トレードマークの頬のサインが「B-T」から「BiTch」と変更になっていて、
そこをすかさず質問されている。
この後、今井はこのメイクサインを使い分けている。
日比谷野外音楽堂での【Mona Lisa OVERDRIVE -XANADU-】のヴィデオ・シューティングでは、
このサインが首に移動したりもした。
今井寿にとっても会心の一作となった『Six/Nine』は、
彼の作曲が止まらなくなって長期化したとされるが、
レコーディング期間も今回話題となったお酒のせいもあったのかも知れない。
というか、BUCK-TICKにインタビューすると大抵酒の話題にするしかなくなってしまうのだ。
その模様を雑誌『音楽と人』の編集長でBUCK-TICKと親交も深い市川哲史が、
彼のコラム「酒呑み日記」に記している。
1995年1月号
9月28日水曜日。六本木・焼き鳥屋→某・今井邸(πの桁数ぐらいの呑酒量)
先月号「あとの祭り」で既報のとおり、深夜12時からのSCHAFT取材を終えて呑む。
(中略)。朝4時、今井邸に辿り着いたのは、今井+櫻井
+スティーヴ(←ワッツが所属するPIGのギタリスト)+バイセクNAO+私……
英語全然だめの今井に代わり、私と櫻井が拙い英語で会話を展開する。
健闘している櫻井に驚く、「実は今英会話習ってんですよ」。
おおー、生産的な事してる!
5時半、スティーヴがアコギを弾き始める。上手い。
次に進められた今井、「……普通に上手く弾けるぐらいなら、B-T演ってませんよ」。
うーん、深い。
私は朝7時に地蔵になり、別室に貯蔵されていたが、超重量犬・負の襲来によって
8時半、眠りから復活する。
残っているのは今井とNAOと私だけかあ?
皆さんの推測どおり、10時半ごろ今井が地蔵化したのを見計らって、帰る。
11月2日 水曜日
18時。市川は、乃木坂にてB-T櫻井敦司取材。
伊藤が同行したのだが、撮影中もインタヴュー中も地蔵のように押し黙り、
櫻井を前にしても一言もしゃべらない。
終了後、市川が突如地蔵化した理由を訊くと、
「だって初対面の人と喋るの怖いんだもん」
--こんな阿呆な社員に囲まれ日々苦悩する市川を、誰か救ってやってくれい。
しかし、市川の不幸はまだ続く。
いつものごとく櫻井の「呑みましょう」攻撃の濁流に巻き込まれ、
流れ流れて気がつけば、ああ午前2時の麻布のバー。
なんと、偶然にもその店で結城と合流したのが運の尽き。
この女、某レコード会社の専務取締役様に逆接待させ、
ここぞとばかりに高価ワイン3本をガブ呑み状態。
あげくに、たまたま居合わせたレピッシュのマグミに泥酔してからみまくっている。
えーっと、……市川、帰宅。
1995年の4月号
2月6日月曜日。都内・某スタジオ(酒呑み外伝1)。
B-Tのレコーディング現場を訪ねる。今井一人自宅に籠もって
曲作りらしく、居ない。
今井の進行具合によって、リズム録りで川名に飛ばされる
ユータ+アニイは開き直っている。
星野に至っては、「俺今日何しに来てんだかわかんないスよ」。
「全部アイツが悪いんです」、断言する櫻井は偉い。
酒は他人を滅ぼす。
2月9日木曜日。(電話)(酒呑み外伝2)。
所用でJに(電話)する。「最近忙しいのか?」
「B-Tニイさん達はレコーディングだし、HIDEさんも
LA帰っちゃったし、夜は暇なんスよ。誘って下さいよー」
「締切終わったらな」「ウチのファンの子達が酒呑み日記読んでて
『フローズンバナナマルガリータ(←94年11月号参照)
ってどんな酒?』って手紙ばっかなんですよ。
あと九州方面では、俺が星野さんに殴られたって
ことになってて(笑)」。
酒呑み日記は正確に読むように。
1995年6月号
ひさびさに酒呑み日記らしいです、の巻
3月29日水曜日。渋谷・割烹居酒屋→六本木・パブ
(あくまでも「本来」の爆飲復活酒)。
今日は櫻井+今井の取材日――先日久々に昔自分が出した単行本
『BT8992』を読んだら、当時の酒呑み日記抜粋が沢山載っている
ことを思い出した。読むと凄い。俺達はこんなに山のように呑んでいたのか……
おそらく鳥取県で1年間に消費される酒の量はクリアしているのではないか。
今回は久々なだけに、取材後浴びるほど呑む事は容易に予想される。
節制しとこうと思っていたのに、なのに前日ムーンライダーズと朝まで
大飲酒してしまったあっっっ。俺の意思薄弱ー!!でも呑む。
この日は「酒呑みマシーン」櫻井が珍しく早い時間から大酪酊し、
舞い上がっている。「俺は今井ちゃんと死ぬ気でアルバム作ったんだよねー」。
怖い。2軒目に移動して、Jを呼ぶ事になる。(電話)。
1時間後、札幌帰り当日にも拘らずちゃんと来るのだからこいつは凄い。
「律儀だな君も」「呼んだのはあんたでしょおがあ!」すまんすまん。
しかし人を呼んどいて既に地蔵化している今井は何なんだろう。
起きないので、朝5時過ぎ「帰っちゃ嫌だぁー(ハート)」と
ゴネまくる櫻井をふりきってJと帰る。通常ならJを生贄に
置いていくのだが、明日昼1時からJの取材だからここは帰らせねば――
自分の事しか考えていない私であった。
1995年7月号
(先月号から続きましたぁ!)
5月5日金曜日。銀座・スタジオ→青山・バー→某所・櫻井宅
(朝3時から朝11時までの酒)。
ミッドナイトロックシティ終了後、櫻井+TAKURO+HISASHIと呑む。
すっかり自称「さびしんぼう」と化してる櫻井が緊張気味の1/2GLAYを
可愛がってはいるが、これはエンドレスで呑む為の布石と見た。
案の定、朝7時頃「俺ん家で呑みましょ呑みましょ呑みましょ(ハート)」
モードに入り、やむなく移動。櫻井宅は映画館並みの暗幕で
窓という窓が覆われている為、時間感覚が麻痺するのだ。
「いや、開けないでぇ(ハート)」。俺は処女と呑んでいるのだろうか。
結局11時頃一同寝てしまい、私とGLAY1/2は昼の3時に櫻井宅を後にした。
ちなみにTAKURO、JIROとの釣りの約束ブッチしてました。おい。
5月14日日曜日。新宿・リキッドルーム楽屋→同・居酒屋→青葉台・バー
(知らん知らん酒)。
B-Tギグの日―――はい、会場前から事務所+レコード会社軍団に
終演後の身柄を拘束されてしまいました。私翌日からロンドンなんですけど。
まず楽屋でツアー中のSUGIZO発見。地方で右の拳を自己破壊したらしいが、
相変わらず「こざかし王」である。移動。
マッドMOTOKATSUやISSAY、今井に星野と私は盛り上がる。
私も犬を飼おうかと思っているのだが、自分が勧めた今井のビーグル「負」
があまりに巨大化している為に「ビーグルは嫌だ」と言うと、
今井が真剣に怒る。大人げ無い奴。あ、俺か。
2軒目に移動して呑んでいたら、朝6時「ウチに来ませんか」
オバケ今井が変身する。メンバーが車に乗る瞬間、逃げた。ああパピヨン。
後の祭り
6月4日 日曜日。
市川、Jを連れてB-T高松公演襲撃取材。今回は事務所も
レコード会社も誰も同行しない、単なる二人旅である。なんだかである。
とりあえず搭乗前の携帯品検査で、案の定Jが捕獲される。
なんたって耳ピアス鼻ピアスブーツベルト革ジャン等々、
全身金属製品だらけだ。ピンポンポポンなる。13ヶ所は鳴った。
飛行機に乗ったら乗ったで、この男も飛行機駄目人間。
たまたま天候悪く、揺れまくる機内で仮死状態と化す。
おい、生きてるか?
到着後そのまま会場へ。B-T全員歓迎してくれるが、
単に夜の酒呑み日記用の生贄2匹到着した事が嬉しかっただけに違いない。
開演前、フルメイクB-Tに囲まれてJ記念撮影。
こりゃ確かにファンとバンドだわ。
すみません。この日開演が20分送れたのは今井の長グソ待機で、
撮影が延びた為です。
終演後、対談そのまま呑み会。風邪で危篤寸前の市川、
朝4時に人々の隙を突いてフケる。15分後、
「あ、音楽と人が居ない!」のユータの声に全員事態を把握するも、
今井が20分後地蔵化し5時散会したらしい。
翌朝11時半ロビー集合にも拘わらず、J時間厳守で登場。
偉い。この道徳者!YOSHIKIや今井や櫻井に、Jの爪の垢を
バイク便で届けることにする。
ちなみに帰りの飛行機もスペースマウンテン並みに揺れまくり
J再び仮死状態と化すのであった。
6月5日 月曜日
17時、市川と藤井麻輝よりにもよってデニーズで取材。
藤井すっかり「いい人」になっており、デニーズで
白玉ぜんざい食っている姿まで微笑ましく映る。
「市川さん地方ツアー目茶苦茶面白いから、是非来て下さいね」。
ソフバって何だったんだぁ?

この『酒呑み日記』ほど、BUCK-TICKの素顔を書き記した記事はないだろう。
