CX系バラエティー番組『笑っていいとも』出演時映像は昨日の続き。
この後半にて、後に歴史的なリレーとなった櫻井敦司⇒X JAPANのhideへのバトンとなった。
このバトンは明くる日3月18日に筋肉少女隊の大槻ケンヂへ廻されるのであるが、
当時のJROCKシーンを象徴する一週間になった。
同時にこの二名が、演奏なしで、こういった番組に出演するのは、
ここらへんが最期であったように記憶している。
(※後にCX系ミュージックバラエティ番組『ロケットパンチ! MUSIC DELIVERY』で、
1998年5月2日に死を遂げたhideが逝去する前日に収録したものを
hideの死から数日経ったころに流し、いち早く追悼を組んだ番組となった。
その週の放送は司会の中原が冒頭で詳細を伝え、
元々送るはずであった内容を一部修正し放送を行った。)
『笑っていいとも』出演時、X JAPANのメンバーであったhideは、
X JAPAN解散後、hide with Spread Beaver名義で行っている。
hideとソロ活動のツアーサポートメンバー(バックバンド)による一つのバンドに近い形態であり、
hide曰く「沢田研二とエキゾチックスみたいな感じ」だという。
それとは別にzilch(ヂルチ)という日本国外のミュージシャンと組んだバンド(ユニット)があり、
アメリカ(世界)デビューを計画しており、
マリリン・マンソンから
「前座でいいからやらせてくれ」
「そのかわりアメリカをまわるときは一緒にやろう」
と対バンを申し込まれたりもしていた。
BUCK-TICKメンバーとの親交も深く、
今井寿、藤井麻輝(SOFT BALLET)と雑誌で対談した時に意気投合し、
当時、今井と藤井が組んでいたSCHAFTとコラボレーションをする方向で話が盛り上がった。
(実現こそしなかったが、zilchのリミックスアルバムにSCHAFTが参加することで希望は叶えられた。)
オルタナティブロック等の、
ジャンルに囚わない幅広い音楽傾向が、
hideのソロ活動の作曲面に寄与していたものと思われる。
hideの衝撃的な死の直後のBUCK-TICK武道館公演には別れを告げに彼が訪れたという説もあった。
(『SWEET STRANGE LIVE FILM』収録公演)
1999年BUCK-TICKは、追悼アルバムにも参加し、
1994年のhideの楽曲「DOUBT」を「DOUBT’99」としてトリビュートカヴァーした。
またXメジャーデビュー時の
「PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK」
というフレーズも彼が考案。
これがヴィジュアル系という言葉を生み出したのはhideと言われる所以となる。
また、hideが音楽界に与えた視覚面や音楽面の影響は多大で、
音楽ライターの市川哲史などから
「ヴィジュアル系はhideから始まってhideで終わった」とも言われている。