1993年12月31日、渋谷公会堂でのTVK 【LIVE:GAGA】にて、
BUCK-TICKは、ほぼ同時期にヴィジュアル・ロック・シーンを走った
SOFT BALLETとともに「ICONOCLASM」を演奏した。

SOFT BALLETは、完全の独特の世界観で、
このBUCK-TICKの代表的インダストリアルロックを料理したと言える。

もともとヴォーカリストの遠藤遼一は、オペラ歌手のような独特な歌唱法と低い声が特徴。
その優れた声質を買われてバンド解散後はCM等でナレーションもしていたエピソードを持つ。
ルックスの良さにも定評があり、美麗を誇っていた櫻井敦司と並んでも遜色なく、
パフォーマンスの直前に櫻井敦司と話しをしているのが印象的だ。

藤井麻輝はこのパフォーマンスでパーカッションを担当。
当時の彼の定番でライヴではほとんど動かず、直立不動で客をにらみつけている。
後期では顔を隠すことが多くなりガスマスク姿で演奏することあった。
このようなファッションは、後に今井寿のステージ衣装にも影響を与えてたが、
ファッションに留まらず、音楽的にも趣向が合った様子で、
このすぐ後、今井 寿とのユニットSCHAFTの結成に至るが、
二人は音楽的価値感に、同類の物を見たと後に語っている。

森岡賢はダークな雰囲気の遠藤・藤井とは対照的にライヴでは所せましと動き回り、
扇子を持ってはクネクネしたダンスを踊り、
ライヴではキーボード兼ダンサーと呼ばれていたが、この日もスウィングしまくって清清しい。
彼にとっては演奏もパフォーマンスそのものだったといえる。
父親は作曲家、編曲家の森岡賢一郎である。

この競演がキッカケとなり、翌1994年には、
8月7日のライヴイベント【SHAPELESS】(富士急ハイランド)に
SOFT BALLET、BUCK-TICK、THE MAD CAPSULE MARKETSが参加。
続く8月9日-8月30日にはイベント【LSB】において
SOFT BALLET、BUCK-TICK、LUNA SEAが対バン形式でライヴツアー敢行している。


1993年の大晦日にTVKで生中継された【LIVE:GAGA】では、
BUCK-TICKとSOFT BALLETの別々のステージを放映したが、
視聴者からのリクエストがこの二つバンドのコンピレーション映像に集中し、
アンコール映像というかたちで放映された。

本当に、この時代を切り取った貴重な映像となった。



ICONOCLASM (3:01)
 (作詞・作曲:HISASHI / 編曲:BUCK-TICK)



Hurry up iconic from beyond the desire
Hurry up iconic from beyond the desire

One for the Money
Two for the X
Um ... Skip a three and four
Five for Japanese Babies

Iconoclasm Teaching of Angel
Clash and Clash
Iconolasm Teaching of Angel
Clash and Clash

One for the Money
Two for the X
Um ... Skip a three and four
Five for Japanese Babies

Iconoclasm Teaching of Angel
Clash and Clash
Iconolasm Teaching of Angel
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Clash and Clash
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