非常に貴重な映像である。
インディーズ・デビューの『HURRY UP MODE』
そしてメジャー・デビューの『SEXUAL×××××!』で発表された楽曲群は、
バンド活動開始した頃にすでに存在していたようである。
本日紹介の映像で、それが確認できるが、この映像は本当に貴重なものだと思う。
こういった映像を今確認できることに感謝したい。



このバンド原始のリズムに乗りながら、BTメンバーのバンド結成までの経緯を紹介したいと思う。
ここではくわしく紹介してくれるWEBサイト

BUCK-TICK HISTORY
⇒http://bbs2.mbsp.jp/ch.php?ID=redroom2097&c_num=9216


から原文のまま引用させていただく。

まずは“櫻井敦司”。
この当時から、アノ眼光は健在で、鋭く光る。
メンバー紹介時の自分の紹介に、当時のヤンチャぶりが垣間見れる。




櫻井敦司
personal story

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生まれは藤岡市駅前からだいぶ歩く、田畑に囲まれたような場所。
生誕時は4000グラム近かったというから大きい赤ちゃん。
幼少時の写真を見ると眼光鋭く顔立ちはっきりで、既に櫻井敦司顔。
小学校では図画工作が好き。
写生大会で受賞した事も。
また当時は走るのも速かったらしく、お兄さんと共にリレーの選手に選ばれたりもした。

父親(櫻井さんと誕生日も血液型も一緒)は酔って暴れるような人物だったらしいが、
一方では子煩悩な所もあり繊細で、櫻井さんとある意味本当に似たタイプだったのだと思われる。

小学校高学年の頃によく聴いていたのは原田真二、ツイスト、チャーあたり。
洋楽ではベイ・シティー・ローラーズやキッス。
中学三年あたりでヤンキーデビュー。太いズボン(ドカン?ボンタン?)をはいたりと、
いわゆる当時のツッパリになっていた。
この頃には'50Sや矢沢永吉や横浜銀蝿なども聴くようになった。

高校は世間体と近いという理由から藤岡高校へ。
高一の時に今井さんと同じクラスになるが、当時はまったく交流はなかった。
(櫻井さんはその頃の今井さんの印象を
「ちょっと変わったヤツ」「小さくて可愛い顔をしてた」と語っている)

違う高校へ行った中学時代の友人たちと遊んでばかりいたせいもあり、
櫻井さんは自分の通う高校では浮いた存在に。
しかし高三の時に一緒に遊んでいた仲間が警察のお世話になるような事をしてグループはバラバラになり、
仕方なく(?)同じ学校の人間と遊ぶようになった。
そしてその中の一人が今井さんの家に連れていってくれ、
溜り場的なその部屋の雰囲気にすっかり櫻井さんは魅了された。
今井さんの部屋ではいつも様々な音楽(ニューウェーブ、YMOを筆頭とするテクノ、パンク、洋楽ロック等など)が流れ、
初めてパンクを聴いた櫻井さんは「こんな感じなら自分達でも出来るかもしれない」と感じる。
そして、バンドをやらないかという話が出るようになった。
(言い出したのは櫻井さんだったらしい)
バンドが始まったのは高三の三月だった。

櫻井さんは高校卒業後は地元の自動車部品関連の会社に就職。
(一つ目の所を一年くらい、次の所を半年くらいで辞めた)
今井さんたちが東京に拠点を移していた事もあり、
地元から動けない自分に苛々し、酒に逃げていた。
就職した年の十月に櫻井さんの父親が亡くなる。
それを機に東京に行けばいいものをいろいろ気に病み言い出せず、
悶々とした日々を送る櫻井さんに母親から「東京に行きなさい」の一言が。
全てにやる気がなくなっていた櫻井さんはその言葉に救われ、
バンドにしがみつくような気持ちで東京に出た。
(東京に行きなさいと言ってくれた櫻井さん最愛のお母さんは、
BUCK-TICKとして成功した1990年に亡くなる。
その時、呑んで酔って実家に電話をした櫻井さんは「おふくろ出ないな。どうしたんだろう」
と思ったらしい。それを踏まえて【Long Distance Call】を聴くと考えさせられます)

櫻井さんが東京に出てきたちょうどその頃にBUCK-TICKの前ヴォーカルが音楽性の違いで脱退する事に。
普段はあまり自己主張しない櫻井さんだったが、
その時は「絶対にヴォーカルがやりたい!!!」という気持ちになり、
既に新しいヴォーカルが決まりかけていたのだが、自分以外にそのポジションを渡したくないと珍しく強くアピール。
その熱意に押され、メンバーたちも納得。

そしてBUCK-TICKのヴォーカリストである櫻井敦司が誕生したのだった。

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FUTURE FOR FUTURE (3:51)
 (作詞・作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK・中山努)


退屈は捨てたから いつからかとりつかれ
枯れたのはこの都市で 決してこの俺じゃない

テレビの画面に いつかの心を奪われて
高鳴る想いは そのまま 感じたままで

手遅れになる前に この気持ち散りばめて
忘れずに変わらずに 幻はここにない

テレビの画面に いつかの心を奪われて
高鳴る想いは そのまま 感じたままで
少しは怖くて やさしいレベルにあこがれる
全てはこのまま やがては感じたままで

IN THE NEAR FUTURE
HAVE A BRILLIANT FUTURE FOR FUTURE
IN THE NEAR FUTURE
HAVE A BRILLIANT FUTURE FOR FUTURE

テレビの画面に いつかの心を奪われて
高鳴る想いは そのまま 感じたままで
少しは怖くて やさしいレベルにあこがれる
全てはこのまま やがては感じたままで

IN THE NEAR FUTURE
HAVE A BRILLIANT FUTURE FOR FUTURE
IN THE NEAR FUTURE
HAVE A BRILLIANT FUTURE FOR FUTURE

IN THE NEAR FUTURE
HAVE A BRILLIANT FUTURE FOR FUTURE
IN THE NEAR FUTURE
HAVE A BRILLIANT FUTURE FOR FUTURE




VACUUM DREAM
(作詞・作曲:HISASHI / 編曲:BUCK-TICK)

「NO NO BOY」と供にインディーズ盤『HURRY UP MODE』のCD盤のみに収録された。
『HURRY UP MODE (1990MIX)』にも収録されなかった。

夢の中 隠すことが 出来ずに動けない FLASH BACK
こんな時 ふえる思い ナゾは解けずに消える
誰のため 眠るたびに 視線はかみついて FLASH BACK
刻まれて ほうり込まれ 息が出来ずに さめる

何処で答を出すの たえきれず胸の中
聞こえたらここに来て
今じゃなければだめさ 堕ちてゆくことはない
眠るなら夢を見て

何処でも言ってやるさ それしか出来なくて FLASH BACK
なんとなく始まっても いつかは夢で終わる
閉じた眼で何を見るの 終わりがこわくなる FLASH BACK
刻まれて ほうり込まれ  いまじゃ真空と化す

何処で答を出すの たえきれず胸の中
聞こえたらここに来て
今じゃなければだめさ 堕ちてゆくことはない
眠るなら夢を見て

作られた夜に Oh No VACUUM DREAM

作られた夜に Oh No VACUUM DREAM
まよい込む体 Oh No VACUUM DREAM

何処で答を出すの たえきれず胸の中
聞こえたらここに来て
今じゃなければだめさ 堕ちてゆくことはない
眠るなら夢を見て


作られた夜に Oh No VACUUM DREAM
まよい込む体 Oh No VACUUM DREAM





PLASTIC SYNDROME TYPE II
 (作詞:HISASHI / 作曲:ATSUSHI / 編曲:BUCK-TICK)


どうしようもなく やきついて
涙ぐむのは 軽薄で
みにくくなった 姿写し
夢ですべてを わすれるさ

oh-PLASTIC SYNDROME
oh-PLASTIC SYNDROME

素直になんて なれねぇぜ
いつのまにか 変わり果て
さびしくなった 気持ちかくし
うそですべてを わすれるさ

oh-PLASTIC SYNDROME
oh-PLASTIC SYNDROME
oh-PLASTIC SYNDROME
oh-PLASTIC SYNDROME

本当の気持ち 忘れたから
切ない思いは 疲れたから
本当の気持ち 忘れたから
切ない思いは 疲れたから

PLASTIC PLASTIC
PLASTIC PLASTIC!!

oh-PLASTIC SYNDROME
oh-PLASTIC SYNDROME
oh-PLASTIC SYNDROME
oh-PLASTIC SYNDROME

本当の気持ち 忘れたから
切ない思いは 疲れたから
本当の気持ち 忘れたから
切ない思いは 疲れたから

PLASTIC PLASTIC
PLASTIC PLASTIC!!

There is no tear
Have no regret
But all is