BUCK-TICK/INTERVIEW(CLUB CITTA)

1990年前半は怒涛のように駆け巡った。
鬱積していたエネルギーを燃やしたのはバンドもファンも一緒だった。

2月8日 復刻アルバム『HURRY UP MODE(1990MIV)』をリリースすると、
オリコンで初登場1位を達成し、翌月3月2日から【悪の華】ツアーを大宮ソニックシティより開始。

以下、全国に復活のお披露目ツアーに出る。

3月5日、大阪厚生年金会館
3月7日、神戸国際会館
3月9日、大阪厚生年金会館
3月10日、磐田市民文化会館
3月13日・14日、名古屋市民会館大ホール
3月17日、山形県県民会館
3月18日、福岡県文化センター
3月20日、鶴岡市文化会館
3月21日、秋田県民会館
3月23日、群馬県民会館
3月26日、宇都宮市文化会館
3月29日、八王子市民会館
3月30日、 京都会館
4月1日、茨城県立県民文化センター
ヴィデオ・クリップ集『悪の華』をリリース。
同名アルバム全曲ヴィデオ映像化し、ヴィジュアルをアピールすることになる。

こういったトーク映像は貴重である。
もともと口数の少ないメンバーで、TV番組等では
主にベースの樋口“U-TA”豊とドラムスのヤガミトールの兄弟が、話を進行してくれるが、
話がサウンドの内容になると、いつもは、ほとんど沈黙の今井寿の舌が滑らかになる。
いかに、彼がバンドのサウンドに情熱を傾けているかが確認出来る。
そして、最後には必ず照れ屋な気質から、自らを茶化して煙に巻くのだ。

櫻井敦司が述べている通りBUCK-TICKというバンドは
未熟であった成長期の自身の作品にも、
その時を切り取った貴重な歴史という観点から
自信とプライドを持っており、決して恥ずかしがるでもなくそれを認める潔さがある。

それは自分達の過去の行動に責任を持つことでもあり、
また、未熟な部分も隠そうというよりは、オープンにしてみんなで昔ばなしを楽しんでいるかのようで、
当然、ロック・ミュージシャンとしてカッコつけているのであるが、
完璧を求めるというよりもオリジナルを求めるカッコ良さを感じるのだ。

またメンバー同士の絆も、件のドラッグ事件を契機にさらに確固となった感がある。
「信じられる仲間」を持つ強みであり、
自分達の中で起きたことに100%責任を持って生きる覚悟なのかも知れない。

事件後の謹慎中の雑誌取材に対してメンバーがコメントしている。

「突然の事でとってもショックです。
コンサートを楽しみにしていてくれたファンのみんなに申し訳ない気持と残念な気持でいっぱいです。
メンバーもコンサートが出来ないのが一番残念です。
メンバー一人の事はバンド全体の事であって、
本人はもちろん他のメンバーも何も力になれなかった事をとても反省しています。
みんなが色々な励ましの言葉をかけてくれるので、うれしくて仕方ありません。
あらためてBUCK-TICKのファンは最高だと思う、少しでも早く会えますように…
これからもBUCK-TICKはもちろん
最高のギタリストをよろしくお願いします」
(桜井敦司)

「①ゴメンネ!
②残念・無念
③反省してる。
メンバーチェンジや解散は絶対にしない。
⑤待っててくれ!!」
(ヤガミトール)

恐らく信頼できるバンド・メンバーの支えが今井寿を復活に導いたのだろうし、
それは「メンバーチェンジや解散は絶対しない」というヤガミの言葉通りであろう。

ヤガミトールは後年こうも発言している。

「メンバー誰かが死ぬまで頑張ります」

彼等の人間性を反映した素晴らしい態度であり、
現在のライヴでもデビュー当時の楽曲をためらうことなく、
嫌、むしろ誇らしげに昔のナンバーをプレイするメンバーの姿に
長年のファン達が更に彼等にのめり込んで行くひとつの要因といえるだろう。



無論、僕もそのひとりである。