1987年12月11日、東京日本青年館にてメジャー・デビュー・コンサート
【バクチク現象Ⅲ】を行なう。
「今日はブッちぎろうぜ!!!お前ら、少し地味すぎるぞ!!!」
が櫻井敦司のMCであった。



当時、BUCK-TICKがメジャー・デビューするにあたり、
レコード会社ビクター音楽産業株式会社との契約
に提示した決して譲れない条件は
髪型、メイク、衣裳などはイメージチェンジはさせない事。
メンバーはこの5人のままである事。
レコーディングにはスタジオ・ミュージシャンを起用しない事。
プロデューサーをつけないでセルフプロディースをやっていきたい事。
とかなりバンド自身の自由度を重視していた。
さすがに完全に条件が呑まれた訳ではないだろうが、
その姿勢は現在も変わらないのではないか?

9月20日より【BUCK-TICK現象】のメジャー・ツアーが開始され、
1987年の後半はほぼ、ツアー・サーキットで埋まる。

1987年の年末のスケジュールは
12月11日 【BUCK-TICK現象Ⅱ】日本青年館からメジャー・ツアーを開始してから
12月18日 札幌キャンペーン
12月19日 札幌メッセホール
12月22日 高崎市民文化会館
12月23日 仙台CADホール
12月24日 山形ミュージック昭和
12月26日 秋田フォーラスモーニングムーンスタジオ
12月27日 青森フリーライヴスペース
そして
12月31日 ROCK'N ROLL BAND STAND 新潟産業文化会館
と多忙なメジャー初のツアーであった。

「初めての大きいツアーがありました。本腰を入れたメジャーな…。
メジャーって、今言うと恥ずかしいですね(笑)。
あらためてスケジュールを見ると、本当に過密です。いつ移動してたんでしょうねぇ(笑)。
10/24の博多ビブレホールでアッちゃんが声出なくなっちゃったのを覚えてますね。
その前から風邪こじらせててね、なにしろこの過密さですから。
プライベートは本当に皆無でした」
樋口”U-TA”豊談