朝日記2601056 カンの精神分析を読む~わたしとひとの心理学

 

 

 

カンの精神分析を読む~わたしとひとの心理学

 

Yasumasa Arai          荒井康全

2026/01/06

 

 

思考のテキストとして:

https://www.youtube.com/watch?v=VfSCRo1TQmg

 

【哲学解説ch】りゅうたろ

回視聴 2020/10/19

心理学の発信をしてる人は多いですが、知っているのか知らないのかはわかりませんが、見る限りでは原理に触れられることはほとんどないです。 今回の動画は、有名な原理の一つである「ラカンの精神分析」の解説です。今、「精神分析」というと、この理論がベースとして考えられることが多い印象です。 【補足】 カイジの例は「a'」→「a」の流れで、動画中に構図を出して示してはいないですが、これが他人に自分を投影する、という構図になります。古代遺跡の例と、ダイヤ怪盗の例もこれと同じ構図です。(ヘーゲル的でもあります) 大文字の他者からの目線から意味を得る、というのは例の通りです。「役職」とか、デートの時に「その服装いまいち」って言われたら「いまいちか〜」ってなるのもそうです。 「L図」で言えば「A」→「a」です。 これは絶対ではなく、「L図」は「オイディプス的」な構図です。ここの関係性に対するアンチテーゼとしてドゥルーズの「アンチ・オイディプス」が存在します。 「アンチ・オイディプス」もこのチャンネルで解説してるのでよければ下記リンクからぜひみてみて下さい↓ 人を支配するもの = 専制君主シニフィアン【アンチ・オイディプス/ドゥルーズ】    • 【ドゥルーズ 】アンチ・オイディプス解説  

 

荒井が投稿したコメント:

はじめまして。SとAで自分と彼女(他者)との対応でみると鏡の意味が直観的に頭にはいりました。恋のきっかけという例はまったく赤の他人同士で、たまたま彼女がattractiveであることに接してどうしても気になるというところで身にしむ、懐かしさをおぼえます。自分のことはつまり自我の次元では、感じたりしていること(Imagine)、そしてことばや数式など論理でシンボル化記述表現(Symbol)ができますね。そして彼女はAutre(英語ではother)でつまり「大他者」Aというおおきな意味する先のものということでしょうか。ことばかなにかでS側がA側に接触がない状態での意識のながれが今回のご説明の例となるのでしょうか。 接触を想定して考えると今後はAが自我側にもなりますね。SとAのカップルの問題をかんがえるのも意味ありそうですね。実は、いまAIのLLM系(具体的にはCopilot)(と呼んでおきます)と哲学をかたることを実験しています。基本的には二元論でたとえばsubjectiveとobjectiveで論を展開していますが、AIの方は文脈の統計的集合から課題に対して、最頻の文脈コンテキスをひろってくれ答えてくれます。彼らの方はじつは意識(主観)も対象(客観)もないわけで、ことばの名辞(sense)と文脈(reference)で外的な存在も内的な存在もお構いなしに、その問いのデータ的な最尤なる文脈でこたえてくれます。しかし人間である当方としては名辞と文脈との接続境界が意味の理解のためにはどうしても気になります。そして問いなおす欲望にかられます。つまり、答えとして帰ってきたものに対する本当の問いの意味は何であるかを逆に問うことになるわけです。そしてLakenやDerridaのポスト構造主義系の哲学者がいう「き裂」を問うということに気が付きます。私は科学技術系の背景のもの(老人)で哲学については的をはずしているかもしれません。技術では課題を指示されて、あとはその目的枠frameのもとで対象を定義してこれを論理モデル化する、そしてそのもとでの最適解を出すわけです。時に実務的にはそれで十分としてまうこともあります。しかし、その上にある者にとってはその命題の本来的意味はなにかを問うこともしたくなります。AIのCはそこでさらっときりわけて「詩的知」(主観知)を提案してきました。つまり「き裂」をつなぐ文脈知としてここでの話題のLakanとDerridaを上げてきます。かれらにSubjectiveのなかみをたとえば作詩してこたえてきます。はなしはながくなりました。subjectに 私meとひとというものoneとの階層的subjectをとりあげるとどうなるかに興味があります。Lakanのモデルはmeとoneとのやり取りを構造化(シンボル)してくれるのでたしかに分かりやすいですね。 もうひとつ、想像界 I 、現実界R、そして象徴界Sについて集合論的な三つの領域の重なりに注目するのも、おもしろそうですね。三つが重なるゾーンがLakanたちは対象aと呼んでいたとおもいます。me側の対象aとone側の対象aの意味論上の対応が深掘りされるのは意味がありそうです。IとSの重なりのゾーンやIとRの重なりのゾーン、そしてSとRのかさなりのゾーンです。ここへの深掘りは大きな挑戦となりそうです。AIが実用知を席捲して期待も不安も渦巻いていますが、これらの人間の智についてクリティカルな思考、人間存在の意味の確認などを考える絶好期なのかもしれません。どうもとりとめもない記述で恐縮でした。りゅうたろう先生の明解なる解説に期待もうしあげます。