ダブルケア〜新生児と(自閉スペクトラム症かも知れない)末期がん父 怒涛の110日間〜

ダブルケア〜新生児と(自閉スペクトラム症かも知れない)末期がん父 怒涛の110日間〜

末期がんを告知された父のターミナルケアと、生まれたての息子の育児に奮闘した110日間の記録「ダブルケア」を、2019年9月に星湖舎より出版しました。
ここでは、本の出版・販売についてや、日々の出来事などを綴っていきます。



9月2日に出版いたしました。アマゾンでの通販の他、大手書店や図書館などにも配本される予定です。

どうぞよろしくお願いします。


(星湖舎ホームページhttp://sksp.biz/publish.html より)
「ダブルケアとは育児と同時に親の闘病生活を支えたり、介護を行ったりすること。さらにその親に自閉スペクトラム症の疑いがあり、なおかつ末期ガンの宣告を受け、我が子は新生児だったら――。著者はこの困難に立ち向かい、赤裸々な生活をリアルに綴る。父への愛憎という交差する感情、そして我が子への情愛といった様々な思いを抱えながら、日々奮闘。その先に見えたものは何なのか。一つの家族の形を描き切った、渾身のノンフィクション。」

Amebaでブログを始めよう!

 イライラしたが気を取り直し、道の駅で買い物してから、フェリー乗り場へ向かう。とうとう島ともお別れのときがやってきた。

 ずっと曇り空だったのに、帰る間際になって日が差し始めた。じんわりと暑い。晴れている小豆島も父に見せてあげることが出来てよかった。

 父は何故か車の中で押し黙っている。

 「どうしたの?しんどいの?」

 「いや、しんどくはないけど…。もう帰るんやなあ」

 「何、寂しいの?」

 「いや、寂しい言うか…」

 「名残惜しいの?」

 「…うん」

 父の口からまさか名残惜しいなんていう言葉が出てくるとは思わなかった。行く前はあんなに嫌がってたやん!とツッコむと、うふふと笑う父。ああ、本当に楽しんでくれていたんだ。強引にでも連れてきてよかった。本当によかった。

 

 フェリーが来る間、売店でオリーブアイスクリームを買って父と食べた。夫はオリーブサイダーを飲む。

 「おいしいわ」とのんびりアイスを頬張っていたが、搭乗口に集合するようにとのアナウンスが店内に流れ、まだ食べている最中の父を急かして店を出、車へ向かう。するとそのとき、手に持っていたアイスが、棒からポトリと落ちてしまった。

 「あ…」とつぶやき一瞬立ち尽くす父。私も。最後の一口だったのに。でも仕方ないのでそのまま車に戻った。

 急いだものの出発までは少し余裕があったので、最後まで食べさせてあげればよかった。家に帰り着いてからも「あのアイスクリームおいしかったなあ」と寂しそうに言うので、落としたときのまるで子どものような仕草を思い出して笑いが止まらなかった。

 「また行ったとき食べたらいいよ」

 そうは言ったものの、次があるかどうかなんてわからない。おかしかったけど、反面複雑な気分になった。

 また行けたらいい。今度は、孫と4人で。

 

 「ようけ食べたから、ばんごはんはちょっとだけでええわ…」

 4時間半かけて20時頃ようやく家に帰り着いた私達は、お茶漬けと枝豆だけの質素な夕食を済ませた。

 疲れたと言いながらなかなか寝室に行かなかった父。やはり楽しかったようだ。

 

(おしまい)

 

 

 昼食のために棚田の食堂へ向かう前に、夫の仕事仲間から頼まれごとがあり、とある空き家を見に行くことになっていた。

 その空き家の近くまで車は来ていたが、どうも私の体調がおかしい。お腹に違和感を感じる。隣に座っている父がちょこちょこと話しかけてくるが、それどころではない。

 無理して赤ちゃんに何かあってはいけないので、近くに車を止め、夫と父の2人だけで空き家を見に行ってもらった。後部座席に横になり休むが、お腹がぐにゃぐにゃとよじれるような変な感じが続いている。体勢を変えてみても治まる気配はない。

 そのうち、下腹部にポコポコと何かが泡立つような感覚を覚えた。お腹の中で何かが動いているような。これはもしかして…?妊娠16週なので、おかしくはない。ひょっとしたら胎動かも知れない!

 戻ってきた夫に伝えたら「そんなわけないやん」と軽くあしらわれてムッとしたが、その日からだんだんポコポコは強く、頻度も増えていったので、きっとあれが初めての胎動だったのだろう。赤ちゃんも旅行を楽しんでくれていたのだろうか。

 

 棚田の食堂へ着いた。お腹の違和感はまだ続いていたが、食欲はあった。おにぎり定食を頼む。こちらもかなりのボリュームで、おにぎり2つ、ふしめんの吸い物と小鉢が2つ、あじのフライ、かきあげ、デザートと、私も食べ切れるかどうか不安になるくらいだ。それでも父は、再び「おいしいおいしい」と言いながら、おにぎりとあじとかきあげを平らげた。野菜を箸を少しつけた程度で残したのには目を瞑った。

 が、この後、目を瞑ってはいられない行動を父はしでかしてくれた。

 食べられるだけ食べて、後は休憩していた父。私は何とか全て食べ終えたが、あまりにもお腹がいっぱいなので、14時まで休ませてほしいと夫にお願いした。それが耳に入っていたのかいなかったのか、父はすぐに「さあ、そろそろ行こうか」と言い席を立ち始めてしまった。

 「お父さんはいっぱい休憩したけど、美紀ちゃんはまだ食べたばっかりやから待ってあげて」と夫。無言で座り直す父。

 話を聞いていなかったのなら仕方ないが、14時になり夫が駐車場へ車を取りに行っている間、さらに自己中心的な行動をし始めた。歯の間に挟まった食べかすを、食器の上にペッペッと吐き捨てたのだ。周りには食事中のお客さんが大勢いる。「お父さん、ティッシュの上に出してよ」と言っても聞く耳持たず。さらに店を出た直後に「鼻をかみたい」と、持っていた杖を店の手書きの看板に持たせかけた。「ちょっとお父さん、やめてよ」慌てて杖を取り上げる。

 さっきまで楽しく過ごしていたのに、何故こんなに自分勝手で空気の読めない行動をするのだろう。

 

(その6へ続く)

 

 車に戻り、とある工場へ向かう。

 父が勤めていた調味料メーカーの工場だ。せっかくだから行ってみよう、工場を外から眺めるだけでもいいやん、と話していたのだ。

 工場の近くまで来ると、車の窓を閉め切っているのにもかかわらず、原料のとても芳ばしい香りがする。

 「お父さん、ここやで」

 「おお、大きい看板出とる」

 夫と私は、以前の旅行で一般客として工場見学をさせてもらったことがあった。父にとっては20年ぶりの訪問だそうだ。工場は建て替えられて新しくなり、当時の様相とはだいぶ変わっているようだった。

 外から見るだけで十分、と最初は言っていたが、やっぱりインターホンを押してみようということになった。父が自分でインターホンを押し、応答を待つ。見ているこちらもドキドキしてくる。

 「はい」

 「あのう、私、荒井といいまして…。10年前に大阪支店で働いていた者ですが、近くまで来たのでご挨拶にと思いまして…」

 アポイントなしでいきなりやってきて、しかも聞こえるのはもそもそした頼りないおじいちゃんの声なのだから、対応してくれた方は何者だと思ったことだろう。不審者だと思われてしまうのではないだろうか。

 「誰に挨拶ですか?」

 「いや、誰というわけでもないのですが…」

 しどろもどろになりながら説明していると、担当者が門まで行きますねと言われ、出てきてくれたのは何と工場長だった。父が勤めていた頃の工場長の息子さんということだった。

 「すっかり代替わりしまして」

 そこからしばらくは、○○さんのことはご存知ですか?あの人は今どうしているんだろう?あの支店は今はこうなっていて…と、関係者でないとわからない話に花を咲かせていた。夫と私が参加したのと同じ工場見学もご厚意でさせてもらえることになり、今日は予約は入ってなかったんですがこれから準備しますね、と案内担当の方が急遽対応してくれた。

 都会ではこうはいかないだろう。きっと不審者と間違えられて追い返されてしまったに違いない。この島の人達の優しさを改めて感じる。

 工場見学は、一般向けなので父が知っていることがほとんどだったが、「知ってます、これも知ってます」と言いながらもまあまあ楽しんでいたようだ。最後の方は疲れてきたのか椅子に座って休憩していた。

 帰りがけに工場の前で写真を撮る。「お父さん、よかったね。よかったねえ」と車に乗ってからも何度も何度も言ってしまった。それくらい、私も嬉しかった。人生の30年以上を捧げ、退職してからも夢に見るほど気になっていた会社の工場に来られたのだ。父も満足そうにしていた。車を走らせながら、海を挟んで工場の反対側へも回り、荷出しの船や工場の大きな看板もしっかり見ることが出来た。

 

(その5へ続く)

 

 部屋でくつろいで、持ってきた血圧計でいつも通り血圧を測り、ノートに記録する。予めもらっていた睡眠薬を飲んで22時就寝。枕が変わると眠れないと言っておきながら、あっという間にスヤスヤと寝息を立て始めた。

 いつもならもう少し晩酌を楽しんでから床に就く夫も就寝。

 私も布団に入ったが、1時頃トイレに起きた父と一緒に目が覚め、そこから4時半まで全く眠れなかった。父は6時半に再びトイレに起きるまでしっかり眠っていた。

 

 食堂へ行き、朝食をとる。メニューは島の名物、ひしお丼だ。湯豆腐や鮭の塩焼き、出し巻き玉子などおかずも豪華。

 「普段、朝こんなようけ食べへんのになあ」

 そう言いながら半分ほど食べる父。普段は栄養面から、まんべんなく食べてと言っているが、旅行中は量が多いので好きなものをしっかり食べるように言ってあった。そうすると苦手なほうれん草やひじきなどはちゃっかり残してある。子どもみたいだ。

 全面ガラス張りのロビーでコーヒーを飲みながら景色を楽しだ後、チェックアウト。

 宿のご主人が父に「おいくつですか?」と話しかけてくれる。やせっぽっちで帽子をかぶり、杖をついているので、よっぽど高齢のおじいちゃんに見えたのだろう。「71歳です。今ちょっと病気してて、髪がなくて…」と私が横から答える。父はニコニコと「また来ます」とご主人に挨拶して、宿を後にする。

 宿のすぐそばにはエンジェルロードがあった。干潮のときだけそばの小島との間に道が出来、そこを歩いて渡ったカップルは結ばれるというジンクスがある観光スポットだ。カップルではないので残念ながらご利益には預かれないが、車を止め散策することに。

 砂利や貝殻で歩きにくいが、父は杖をつきながら対岸へ渡った。私は隣を一緒に歩きながら、貝殻を拾って父に渡した。波にプカプカ浮いている海藻を拾って「これワカメかな。持って帰ってお味噌汁に入れよか?」と冗談で父に言っていると、通りすがりのおじさんに「ワカメじゃなくてアオノリやで」とツッコまれ3人で笑う。父も笑いながら「ありがとう~」とおじさんに挨拶する。普段そういうことを言わないことからして、相当楽しんでいるようだ。

 

(その4へ続く)

 

 とうとう7月7日がやってきた!朝早く家を出発して神戸港まで車で行き、小豆島行きのフェリーに乗る。父は6時に起きて準備を始めたのに、直前でトイレにこもってしまい予定の7時半より10分遅れて出発。さらに雨の中夫が道を間違えてしまい、フェリーの出発時間ギリギリに神戸港に到着した。何とか予約していた便に間に合いホッとする。

 雨が降らないことを祈っていたが、梅雨の最中なのでさすがに免れることは出来なかった。フェリーが運休にならなかっただけよかった。平日のせいなのか梅雨のせいなのか、フェリーはガラガラ。ほとんど人が乗っていない。父はゆったりと座席に腰かけ、雨で何も見えない窓の外を見つめている。おやつにと買っておいたじゃがりこを食べていると「ちょっとちょうだい」と言うので、手のひらに何本か乗せてあげた。じゃがりこなんて初めて食べるんじゃないだろうか。私は父が座っているすぐ近くの和室スペースで靴を脱ぎ寝転がる。1時間半ほどで小豆島に着いた。

 私が行きたいと思っていた、港の近くのあなご丼のお店が残念ながら定休日だったため、それなら僕の行きたいお店へ、と、夫のリクエストの定食屋へ車を走らせる。昔ながらの味わい深い趣の店で座敷に座り、父は鱧の卵とじ丼を注文する。大きな丼をおいしいおいしいと言ってあっという間にペロリ。同じ大きさの親子丼を病院のレストランで注文したときは、食べ切れなかったはずなのに。思わず「そんなに食べて大丈夫?」と聞いてしまったほどだが、やはり島の幸。病気の胃袋もがんばらずにはいられないくらいのおいしさだ。

 店の壁には沢山の写真が飾られており、その中に小豆島マラソンの写真もあった。「この中にM先生が写っていたりしてね」と3人で笑う。

 会計の際、店の人に「今日の天候で寒霞渓に行くのは厳しいでしょうか?」と尋ねてみる。島に到着したときは雨は止んでいたが、再びパラパラと降り始めていた。

 「行くだけ無駄だし、危ないよ。雨の日は寒霞渓には誰も行かない」と店の奥さんに言われ、諦めかけるが、店を出てから「スケジュール的には今日しか行けないし、行ってみよう」ということになった。くねくねした山道を1時間ほどかけてゆっくり上っていく。まあ大丈夫だろうと私達は軽く考えていたが、店の奥さんのアドバイスは正しかった。

 道中、すごい霧。何も見えない。数メートル先すら見えない。夫に「こわいこわい!頼むから気をつけてよ。事故らないでね」と言いながらおびえる父と私。この霧が晴れたら、寒霞渓じゃなくて黄泉の国に着いているかも知れないというくらい怖かった。晴れていたらこのくねくね道も絶景だっただろうに、とにかく真っ白で何も見えないのだ。

 そんな危ない場所へ胃がんの高齢者を連れて行く私達若夫婦。バカ夫婦?

 何とか死なずに寒霞渓まで辿り着いた。とりあえず展望台に行ってみるが、やはり濃い霧で何も見えない。うっかり足を滑らせたらどこに落ちるかわからないくらい本当に真っ白だ。景色を見るところなのに、と父も笑っていた。霧まみれの中3人で撮った写真も白くもやもやしている。

 肌寒いので父に上着を着せ、おみやげコーナーを見て回る。こんな天候でも一応店は開けているらしい。お客さんも私達の他に1、2人はいる。

 あれこれ物色しながら父の方をチラッと見ると、おみやげのお菓子を次から次へと試食している。さっき腹がはち切れそうなくらい丼を食べたのに、まだ入るのかとまたびっくりする。楽しくなってきたのかな…?

 山を下りる予定だったが、父が「猿が見たい」と言うので、銚子渓にも行ってみることにした。またしても霧の中、野生の猿達が出迎えてくれる山道を通り、到着。チケットを買い、お猿の国へ入る。

 前の年に夫と2人で来て餌やり体験などもさせてもらっていたので、父にも…と思っていたが、今日はそんな状況ではなかった。何故か猿達がみんなけたたましい声で鳴いている。霧が立ち込める公園で、何百頭もの猿達が聞いたこともないような恐ろしい声で吠えているのは異様な光景だった。みんな機嫌が悪いの?雨だから?餌やりコーナーのおじさんも今日は見当たらない。

 父は猿の群れの手前で立ちすくみ、帰ろうと言い出した。入ったばかりだが、そんなことはどうでもよくなるくらいに夫と私もびびってしまった。お猿の国を出て、オリーブ公園を少し散歩し、土庄の宿にチェックイン。疲れた。オーシャンビューのおしゃれな和室に、ごろりと横になり休憩する私。父は座椅子に座り、お茶菓子のクッキーを食べようとするが、小袋が上手く開けられずボロボロにしてしまっている。長時間の運転で同じく疲れている夫が、めんどくさそうに手伝ってくれている。

 天候のせいか、車での移動が長かったせいか、ものすごくふらつくと訴える父。

 「温泉入るの不安やわ。入られへんわ」

 夫が一緒に入るから大丈夫と言い聞かせても、不安だと繰り返す。

 「大丈夫やから。行こう」

 浴衣に着替えさせて部屋を出るが、浴場までは距離があり、たどり着くまでにかなり時間がかかってしまった。ふらつく父は杖をつき、浴衣の裾を踏みながらも一生懸命歩く。夫に連れられて男湯へ入っていったが、果たして大丈夫だろうか。同じタイミングで温泉を利用するお客さんはおらず、貸切状態なので迷惑をかける心配はなかったが、お湯で滑って転んで…なんていう想像をしてしまい不安になる。転びませんようにと思いながら私も女湯で湯船につかっていると、そのうち男湯から2人のはしゃぐ声が聞こえてきたので安心した。部屋に戻ると、一足先に戻っていた夫と父が、並んで窓辺に座り、海を見ていた。

 「背中流してもらった。気持ちよかった」と嬉しそうな父。

 「ほらな、大丈夫やったやろ」と私。

 夕食は専用の部屋を用意してくれていて、会席料理をゆっくり楽しむことが出来た。刺身、天ぷら、もろみ鍋、茶碗蒸し、そうめん、お吸い物、ごはん、デザートと、島の幸がふんだんに使われた料理の数々に舌鼓を打つ。

 父も昼食の丼同様「おいしいおいしい」とパクパク食べ、かなりのボリュームの会席料理の半分ほどを食べた。「お腹いっぱい」と座椅子にもたれかかりぐったりとしていたが、その表情は家で食べ過ぎたときの消化不良のそれではなく、恍惚とした何とも言えない幸せそうな顔をしていた。その顔を見られただけで、無理やりでも小豆島に連れてきた甲斐があったと思った。ふざけて写真を撮ると、もじもじ恥ずかしそうに下を向く父。

 夫と私もお腹いっぱい。でも父の残した分もおいしくいただいた。

 

(その3へ続く)