〈第3回本部幹部会〉 活動体験 和歌山総県・圏池田華陽会キャップ 榛原雪さん(要旨)2024年7月8日

  • ありのまま語り友や家族が入会

 一、私が幼い頃、両親が離婚し、母方の祖父母の家で育ちました。祖父母は理容室を営み、母は美容師として働き、忙しくしていたため、家族でけんかすることも多く、私は多くの時間、部屋で引きこもっていました。そんな中で次第に自分は“どうして生きているんだろう”と思い悩むようになりました。
 
 転機は高校3年の時。働きづめだった母が、ついに体を壊してしまい、入院することに。この時、母は職場の方から仏法の話を聞き、2015年に入会。家族の中で最初に信心を始めました。
 
 母は、お題目をあげる中で、すっかり元気になり、その後、自宅をリフォームし、美容サロンをオープンしました(拍手)。
 
 信心の功徳を実感した母に連れられ、私も座談会に参加しました。ある日、経済苦と病気を克服した体験を聞き、「私もやってみたい」と翌16年、18歳で晴れて入会することができました(拍手)。
 
 一、学会に入ってから、とても驚いたことがあります。
 
 皆が「あの人のため、この人のため」と分け隔てなく、お互いの幸せを祈っていたことです。
 
 それまでの私は、苦手な人がいると距離をとり、避けてきました。“誰にでも嫌いな人はいるはずなのに、どうして学会の皆さんは「仲良くしよう」と思えるんだろう”と不思議に感じたのです。
 
 学会活動に参加する中で、その振る舞いの源に、池田先生という存在があるからだと感じました。師匠の行動を模範とするから、小さな自分の心を大きく開いていけるのだ、と。“私も目の前の一人の幸せを願い、行動できる人に成長したい”との思いから、仏法対話にも挑戦。自分が見た学会の素晴らしさを、ありのまま語っていきました。
 
 はじめは、うまく話ができず、落ち込むこともありました。それでも「自分を変えること」を諦めなかったのは、池田先生の言葉が背中を押してくれたからです。「君が自分で自分を、だめだと思っても、私はそうは思わない。あなたが自分で自分を見捨ててしまっても、私は見捨てない」
 
 この励ましを胸に、今度は私が大事な人たちに関わり続け、励ましを送れる人になろうと決意。だんだん仏法を語ることが楽しくなっていきました。
 
 そして自分と縁した全ての人と対話を重ねた末、近隣に住む同世代の友人に弘教を実らせることができました(拍手)。
 
 さらに母と共に、家族への折伏にも挑戦。題目をあげる中で、不思議と感謝の思いが湧いてきました。
 
 自分の心が変わった時、家族との関係も変わり、17年には姉が、翌年には祖母、さらにその翌年には祖父と、皆、1月2日に入会することができました!(拍手)
 
 その功徳か、22年には、長年の夢だった自分の美容サロンをオープンすることもできました。

仲良く幸福のスクラムを広げる榛原さん(前列左端)と華陽姉妹(昨年9月、和歌山文化会館で)

仲良く幸福のスクラムを広げる榛原さん(前列左端)と華陽姉妹(昨年9月、和歌山文化会館で)

 一、今、池田華陽会の圏キャップとして折伏や家庭訪問に挑戦する中、“同世代だからこそ喜びも悩みも何でも語り合える、華陽姉妹の輪を大きく広げていきたい”と決意しています。
 
 それは学会だけにとどまらず、“幼い頃から暮らす大好きな地域に、創価家族のような温かいコミュニティーを広げたい!”と思うように。2年前、商店街の未来を考える実行委員会に加入し、今では中心者の一人として、さまざまなイベントを企画するなど、同世代の仲間と奮闘しています。
 
 一、池田先生は「勇気ある信心の乙女が一人立ち上がれば、そこから希望が生まれ、喜びが生まれる。家庭でも、職場でも、地域でも、聡明な福徳の女性があれば、未来へ確かな繁栄の陽光が輝いていくのだ」と万感の期待を寄せてくださいました。
 
 池田華陽会の私たちが、今いる場所で立ち上がり、足元から、世界へ、未来へ、幸と平和の大輪を咲き薫らせていきます(拍手)。