〈世界の体験〉 台湾 長女の障がいを越え“勝利のドラマ”つづる2024年6月28日

  • 〈My Drama 世界の友の体験談〉

右から夫・林慶苗さん、陳慧茵さん、長女・林君潔さん、三女・林君璇さん

右から夫・林慶苗さん、陳慧茵さん、長女・林君潔さん、三女・林君璇さん

台湾SGI 陳 慧茵 さん

 1980年に結婚し、年末には長女を授かりました。ところが、喜びもつかの間、長女は「骨形成不全症」との診断を受けたのです。
 
 極端に骨がもろくなる病で、小さな衝撃を受けたり、無理な姿勢をとったりしただけでも骨折の恐れがあります。また気圧が変化する時などは、全身が刺されるように痛むのです。
 
 私たち夫婦は娘を連れて、日本で1年間、リハビリなどの治療を受けたこともありますが、あまり改善は見られず、暗い気持ちを抱えて台湾に戻りました。

婦人部・女子部のメンバーと(左から2人目が陳慧茵さん)

婦人部・女子部のメンバーと(左から2人目が陳慧茵さん)

 長女が9歳の時には、思いがけず、第2子を妊娠。私は、障がいが遺伝性であることの不安と同時に、障がいのある姉の世話で精いっぱいとなり、下の子の面倒を見きれない“きょうだい児”の問題をとても心配しました。
 
 この時、母方のおばから台湾SGIの信仰を紹介されたのです。
 
 「題目によって必ず宿命は変えられる」との確信の言葉にふれて、入会。そのおかげで、次女も三女も健康に育っただけでなく、長女もとても明るく、前向きな性格に成長していったのです。

婦人部の懇談会(右から2人目が陳慧茵さん)

婦人部の懇談会(右から2人目が陳慧茵さん)

自立支援に尽力

 娘ばかりではありません。実は、私も23歳の時から「多発性硬化症」に悩まされてきました。脳の中枢神経が炎症を起こし、運動や知覚、視力などに異常が起こる病です。
 
 三女を出産してすぐ、左目の視力が急に落ち、ついには完全に見えなくなりました。医師もさじを投げ、私は「ならば、この信心で乗り越えよう」と決め、真剣に唱題に挑戦。すると少しずつ視力が回復し、数カ月後には完全に元に戻ったのです。医師も驚いていました。
 
 題目への確信を深め、以後、夫と共に真面目に学会活動に取り組んできました。
 
 長女の骨折も年々減少していき、体の不自由をものともしないほどの楽観主義者になりました。
 
 勉学面では、他の人の何倍もの苦労がありましたが、粘り強く取り組み、1999年、ついに台北大学の法学部に合格できたのです!

支部のメンバーと(前列左から4人目が陳慧茵さん)

支部のメンバーと(前列左から4人目が陳慧茵さん)

 卒業後は、アジアの障がい者リーダーを育成する、日本の「ダスキン・アジア太平洋障がい者リーダー育成事業」に応募。300人以上の中から選ばれ、2005年の事業に参加しました。旅費、宿泊・生活費など全額支給で、10カ月間の研修を受け、障がい者の自立について学んだのです。
 
 研修を終えると、日本に残ることを勧められましたが、悩んだ末、台湾の障がい者のために学んだことを生かしたいと帰国。07年に「台北市新活力自立生活協会」を設立し、娘自身も1人暮らしを始めました。
 
 さらに18年には、「台湾心身障がい者自立生活連盟」を設立し、理事長に就任。今、台北市新活力自立生活協会の会員は約40人、台湾心身障がい者自立生活連盟は300人以上になりました。

次女が大学生になった頃から、自宅を学生部の会場として提供してきた

次女が大学生になった頃から、自宅を学生部の会場として提供してきた

2人の娘は海外で

 長女は、その後も障がい者の人権のために奔走。新北市に住む筋ジストロフィーの女性の行政訴訟に尽力し、昨年の高等行政裁判決では、重度訪問介護の時間を大幅に増やすことを勝ち取りました。
 
 また本年4月には、彼女自身が沖縄から台湾への飛行機に乗ろうとしたところ、「電動車いすの電池が外から目視できない」との理由で搭乗できませんでした。
 
 彼女は長年、支援してくれた日本の認定NPOと協議して、改善を求めると、国土交通省はすぐに対応。翌月には航空会社も社内規定を変更してくれたのです。
 
 これまで多くの日本の人たちにお世話になってきましたので、思わぬ形で日本の障がい者のために、わずかでも恩返しができたことを、とても喜んでいます。
 
 池田先生が『御書の世界』の中で語られた一文が、心の支えになっています。
 
 「生老病死は忌むべき苦悩ではなく、常楽我浄の凱歌をとどろかす生命の舞台です。私たちは、生老病死のドラマを通して、人間勝利の歓喜の劇を演じているのです」

長女・林君潔さん㊧と次女・林君亭さん

長女・林君潔さん㊧と次女・林君亭さん

長女・林君潔さん㊧と三女・林君璇さん

長女・林君潔さん㊧と三女・林君璇さん

 振り返れば、5歳までしか生きられないと医師に言われた長女が、21年には障がい者の模範的な存在として政府から第25回「心身障がい者モデル金鷹賞」を受けました。“守られる側”から“守る側”の人生を歩むことができ、これ以上の喜びはありません。
 
 “きょうだい児”の問題を心配した娘たちも、皆、仲が良く、自立した生活を送っています。
 
 次女は、フランス・パリでパフォーマンスアートの仕事に就き、女子部の活動にも積極的に参加。三女はアメリカで会計士の資格を取り、20年に結婚しました。
 
 裁判官だった夫は、後に弁護士に転身し、学会の法律講座の講師なども引き受けてきました。07年に夫の母が亡くなった時、多くの学会員が真心の追善をしてくれたことに感動し、どんなに仕事が忙しくても、学会活動を優先してきました。今、私は婦人部本部長として、夫は区長として、広布の最前線で使命を全うさせていただいています。
 
 これからも生老病死の悩みはあると思いますが、全てを“生命の舞台”と捉え、人間勝利の劇を演じていく決意です。

発展する台湾のシンボル的存在「台北101」

発展する台湾のシンボル的存在「台北101」

 
取材協力/台湾「創価新聞」

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