〈闘魂TALK〉 日興上人と五老僧の違いって?2024年6月25日

 三代会長が築いた創価学会の歴史や教学を学ぶ連載「闘魂TALK」。今回は、ヤング男子部世代である部長・蓮人さんの疑問に、総区副青年部長の先輩・幸助さんが答えます。

Q 日興上人と五老僧の違いって?

A 「御本尊」と「御書」に対する捉え方

 蓮人 勤行の御祈念文で「日興上人に南無し、報恩感謝申し上げます」と祈っていますけど、そもそも日興上人って、どんなお方か詳しくは知らなくて……。
 
 幸助 なら一緒に学ぼう! 日蓮仏法を行ずる僕たちが、どこまでも範とするべきお方だからね。
 
 蓮人 日蓮大聖人が6人の本弟子を定められたことは学んだことがありますが、日興上人と他の五老僧は何が違ったんですか?
 
 幸助 まず何より、日興上人は、師匠である大聖人に誰よりも常随給仕された。大聖人が権力からの迫害によって伊豆や佐渡に流罪された時もお供され、師匠を厳然と守り抜かれたんだ。
 
 蓮人 日興上人が、不二の弟子といわれる所以ですね。
 
 幸助 大聖人の御入滅の後も、その不二の精神は一切変わらない。日興上人が「立正安国論」とともに数度にわたり鎌倉幕府に提出した申状では、「日蓮聖人の弟子 日興」と宣言され、大聖人と同じように烈々たる気迫で、時の権力に対して諫暁された。でも五老僧は、そうした日興上人のお姿と全く異なっていたんだ。
 
 蓮人 それはどういうことですか?
 
 幸助 五老僧は大聖人を師匠としながらも権力による迫害を恐れ、「天台沙門(=天台の弟子)」と名乗った。神社への参詣を容認するなど、大聖人の教えに違背し、謗法を犯したんだ。
 
 蓮人 五老僧は大聖人を、あくまで天台大師伝教大師の末流という存在でしか捉えていなかったんですね。
 
 幸助 さらに日興上人と五老僧との決定的な違いは、師が魂魄をとどめられた「御本尊」と「御書」に対する捉え方にあると言える。大聖人は佐渡流罪以降、十界の文字曼荼羅を顕され、師の甚深の意義を受け止められた日興上人は、その文字曼荼羅を等しく御本尊として尊崇されたんだ。一方、師の御真意が分からない五老僧は、釈迦仏像を本尊としている。
 
 蓮人 「創価学会『勤行要典』」の御祈念文にある日興上人への報恩感謝が「御本尊への報恩感謝」の項にある理由が分かりました。
 
 幸助 宗開両祖の御精神に背いた日蓮正宗(日顕宗)は、宗門事件の時、宗門側に来なければ御本尊を下付しないと言い放った。
 
 蓮人 まさに御本尊を信徒支配の道具にしたってことですね。

宗門は大聖人違背の五老僧の末流

 幸助 日興上人は御書についても“後世の門下に対して仏法の極理が師伝されたもの”として、大聖人のお手紙や論文を各地から集め、全てを「御書」と呼んで大切にされた。
 
 蓮人 日興上人のおかげで、今も僕たちが日蓮仏法の教えを正しく学ぶことができているんですね。
 
 幸助 しかし五老僧は、大聖人が庶民に分かりやすく仏法を説くために書き残された仮名交じりの御書を、「先師の恥辱を顕す」(新2178・全1604)と非難し、御書の紙をすき返して再利用したり、焼いたりしたんだ。日興上人のお姿を範として御書を根本とし、実践を貫いてきたのが創価学会だよ。
 
 蓮人 戸田先生の発願で『日蓮大聖人御書全集』が発刊されましたもんね。
 
 幸助 一方、御書を軽視したのが宗門なんだ。戦時中に軍部権力に屈服し、弾圧を恐れて神札を受容する大謗法を犯した。そして御書の発刊を禁止し、重要な御文を14カ所も削除した。
 
 蓮人 まるで、五老僧と同じですね。
 
 幸助 日興上人は、五老僧のような存在を戒め、後世の門下が大聖人直結の信心を貫くため、26箇条の御遺誡を示された。
 
 蓮人 「日興遺誡置文」は僕も勉強したことがあります。「いまだ広宣流布せざる間は、身命を捨てて随力弘通を致すべきこと」(新2196・全1618)など、広宣流布のための規範が示されていますね。
 
 幸助 御遺誡に反する宗門は、御書にはない、法主を絶対とする「法主信仰」を唱え、権威、保身、名聞名利に狂乱していった。宗門は五老僧の末流みたいなもんなのさ。
 
 蓮人 「御本尊根本」「御書根本」の学会こそ、日蓮大聖人と日興上人の御精神を正しく継承している団体であることがよく分かりました。
 
 幸助 「理」が深まれば「信」が深まり、「行」の力強い実践につながっていくんだ。また語り合おう!幸助 日興上人は御書についても“後世の門下に対して仏法の極理が師伝されたもの”として、大聖人のお手紙や論文を各地から集め、全てを「御書」と呼んで大切にされた。
 
 蓮人 日興上人のおかげで、今も僕たちが日蓮仏法の教えを正しく学ぶことができているんですね。
 
 幸助 しかし五老僧は、大聖人が庶民に分かりやすく仏法を説くために書き残された仮名交じりの御書を、「先師の恥辱を顕す」(新2178・全1604)と非難し、御書の紙をすき返して再利用したり、焼いたりしたんだ。日興上人のお姿を範として御書を根本とし、実践を貫いてきたのが創価学会だよ。
 
 蓮人 戸田先生の発願で『日蓮大聖人御書全集』が発刊されましたもんね。
 
 幸助 一方、御書を軽視したのが宗門なんだ。戦時中に軍部権力に屈服し、弾圧を恐れて神札を受容する大謗法を犯した。そして御書の発刊を禁止し、重要な御文を14カ所も削除した。
 
 蓮人 まるで、五老僧と同じですね。
 
 幸助 日興上人は、五老僧のような存在を戒め、後世の門下が大聖人直結の信心を貫くため、26箇条の御遺誡を示された。
 
 蓮人 「日興遺誡置文」は僕も勉強したことがあります。「いまだ広宣流布せざる間は、身命を捨てて随力弘通を致すべきこと」(新2196・全1618)など、広宣流布のための規範が示されていますね。
 
 幸助 御遺誡に反する宗門は、御書にはない、法主を絶対とする「法主信仰」を唱え、権威、保身、名聞名利に狂乱していった。宗門は五老僧の末流みたいなもんなのさ。
 
 蓮人 「御本尊根本」「御書根本」の学会こそ、日蓮大聖人と日興上人の御精神を正しく継承している団体であることがよく分かりました。
 
 幸助 「理」が深まれば「信」が深まり、「行」の力強い実践につながっていくんだ。また語り合おう!
 
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