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〈地域を歩く〉 大阪府堺市 友の喜びが我が喜び 「心の財」を積む長者2024年6月21日

  • “世界一”の題目と団結で
  • 永遠に栄えゆく郷土を!

堺旧港の風景。手前の「旧堺燈台」は国の史跡に指定されている

堺旧港の風景。手前の「旧堺燈台」は国の史跡に指定されている

 それぞれの地域には、その地にしかない歴史があり、魅力があり、誇りがあります。日本の各地を訪ね、その地で生き抜く学会員を追う連載「地域を歩く」。今回は、大阪府堺市が舞台です。

※今回訪れた地域

※今回訪れた地域

 港には穏やかな時間が流れていた。青空の下で、静かに揺れる水面を眺めていると、海から飛んできた水鳥が停泊中のボートに止まり、羽を休めていた。

 ここは大阪府堺市の堺旧港。かつて堺の港は日明貿易や、ポルトガル・スペインとの南蛮貿易の玄関口となり、町は「東洋のベニス」とうたわれた。

 港の近くに生家があった歌人・与謝野晶子は、後に故郷を思い、詠んでいる。
 「ふるさとの 潮の遠音の わが胸に ひびくをおぼゆ 初夏の雲」

 晶子が「君死にたまふことなかれ」と反戦の詩を発表してから今年で120年。海に開かれ、世界と呼吸した堺の商家で育まれた精神が、晶子の思想に影響を与えたともいわれる。

 国際交流・貿易によって発展した堺は、かつて「会合衆」と呼ばれる有力商人が治める「自由・自治都市」を形成した。今も自主と進取の精神が脈打つ町を訪れた。

撫勇司さんがゲストハウスの前で。率先して拡大に挑む中、先月、友人2人が入会した

撫勇司さんがゲストハウスの前で。率先して拡大に挑む中、先月、友人2人が入会した

 大阪府内唯一の路面電車・阪堺電車に乗り、妙国寺前停留場から歩いて4分ほど。ゲストハウス「UNLOCK SAKAI」の看板が見えた。

 この宿のほか、2棟のシェアハウスを経営するのは堺区の撫勇司さん(男子部本部長)。宿には国内だけでなく、フランス、アメリカ、中国などからも客が訪れるそうだ。

 「人のために動くのがめっちゃ好きやから、観光案内をすることもありますよ。海外のお客さんとも片言の英語で仲良くなりました」

 誠実な撫さんの対応に、国内外の客から“親切なお兄さんにまた会いたい”と、喜びの声が寄せられる。

 堺の観光名所でもある仁徳天皇陵古墳をはじめとした前方後円墳は、上空から見ると、「鍵穴」の形をしている。UNLOCK、すなわち“ロックを解除する”という宿の名前には、“堺の鍵を開けて、新たな扉を開く”との思いを込めたという。

 国籍や文化の違いを超えて、日々、笑顔を交わす撫さんは、心の扉を開き、かけがえのない友情を広げている。

真摯な応対で全国に顧客を広げている植木弘喜さん

真摯な応対で全国に顧客を広げている植木弘喜さん

 「堺はいうたら“商人の町”なんで、商売やっとる方との交流が多いですわ」と言うのは、税理士法人フロンティアで働く税理士の植木弘喜さん(本部長)。一人一人の依頼人に寄り添うように、要望には即座に対応することを心がけている。

 仕事が終われば、同志と共に近隣友好へ。今月行われた教学部任用試験(仏法入門)では、地元の野々下実地区部長と共に拡大した知り合いをはじめ、5人の友人が受験した。

 「国際都市やから、中国から日本に働きに来て、そのまま住みはる人も多いです。そうした方々とも友情を築いています」と植木さん。人とつながり、人をつなげる――。リーダー率先で、友好と人材の裾野を広げる姿が光っている。

西脇義隆さん。地域では自治連合会の会長を務める

西脇義隆さん。地域では自治連合会の会長を務める

 かつて、港を通じて海外と交流していた堺は、新しい文化の発信地でもあった。一説には、三味線や線香、私鉄なども堺が発祥だという。そうした歴史を踏まえ、地元では「ものの始まりなんでも堺」が誇りとなっている。

 池田大作先生が開いた関西広布の歴史も、堺から始まった。1952年(昭和27年)8月14日、先生は初の関西指導で堺市内の座談会に出席。この日、7人の友人が入会を決意している。

 池田先生が、青春時代から幾度となく励ましに訪れた堺の天地。そこで戦う同志へ、先生は1976年(昭和51年)1月8日の堺文化会館(現・堺平和会館)落成1周年の勤行会の際に、指針を贈った。

 「大関西の一大電源地・堺たれ」

 「日本一、世界一願いの通じる題目の堺たれ」

 「世界一、仲の良い異体同心の堺たれ」

 「堺の日」の淵源となったこの勤行会で、堺区の西脇義隆さん(副総県長)は整理役員に就いていた。

 先生の指針を胸に戦う西脇さんが、「あの時ほど異体同心の団結のすごさを感じたことはあらへん」と振り返るのは、82年(同57年)3月22日に長居陸上競技場(当時)で行われた第1回関西青年平和文化祭。当時、組み体操の演技総括として、文化祭では初となる「六段円塔」を軸にした演技全体の指揮を執った。

 文化祭の前日に大雨で演技ができず、西脇さんたちは気を落とした。先生は勤行会に駆け付け、「六段円塔という極限の演技を2日も続けることは、あまりに過酷である。むしろ雨が降ってよかったのだ。明日は、元気いっぱいにやりなさい」と激励した。

 その真心に奮い立ち、当日は六段円塔に挑む99人の友と心を合わせた。それまで屋内練習で一度しか成功していなかったが、一発勝負の本番で見事に成功。“不滅の六段円塔”は、不可能を可能にする関西魂の結晶として、広布史にそびえ立っている。

太田紀子さん(中央)と夫・正敏さん(右から2番目)が家族と。「一作鮨」は親子孫3代で営む

太田紀子さん(中央)と夫・正敏さん(右から2番目)が家族と。「一作鮨」は親子孫3代で営む

 関西の電源地・堺の奮闘は、大関西の前進の原動力となってきた。その背景には地域貢献に取り組み、日頃から地域との信頼関係を築いてきた同志の挑戦と、その範を示してきた池田先生の行動がある。

 ある時は、東区の広布の会場を訪れた先生が、率先して近隣のあいさつへ。そうした師の振る舞いを草創の同志から聞いた太田紀子さん(区副女性部長)もまた、近隣友好を自らの使命と定めてきた。

 月1回の公園の清掃から始め、30年近く地域貢献に奔走。現在は町会連合会の広報、町会老人会の副会長を担う。

 紀子さんは「自分から声をかけ、親身になって話を聞き、関わり続ける。そうやって一人一人を大切にする中で、皆さんの笑顔を見ることが一番の喜びです」と。

 隣で聞いていた夫・正敏さん(副本部長)がすしを握る「一作鮨」は、東区を代表する名店で、いつも行列が絶えない。「信心のおかげで、地域の皆さんに喜んでもらえる店になりましたわ」と、夫婦で笑顔だった。

山田周次さん㊧が共に広布に歩む妻・好美さんと

山田周次さん㊧が共に広布に歩む妻・好美さんと

 南海高野線に乗り、北野田駅で降りると、周辺には趣のある洋館が立ち並んでいた。東区の山田周次さん(副支部長)が経営する警備会社「サン・レインボー」は閑静な住宅街の中にあった。23年前に会社を立ち上げた時、従業員は自身も含めて3人だったが、今では100人に迫るまでに飛躍。現在は長男が社長を継ぎ、自身は会長として、従業員の健康管理などに心を配る。

 山田さんもまた地域貢献を心がけ、事務所近くのため池の清掃を日課としている。以前はヘドロの悪臭が漂い、害虫が発生する池で、近隣住民の悩みの種だったという。

 山田さんは16年前から有志と共に「登美丘南フラワークラブ」を立ち上げ、環境改善に取り組んだ。今では池の土手に季節の花々が咲き、老若男女が集う憩いの公園に生まれ変わっている。

 山田さんは腰部脊柱管狭窄症を患う。その両足にはしびれが残るが、「信心根本に、地域のために行動し続けたいんです」と、日々、雑草抜きに精を出す。真摯な振る舞いに信頼の花が咲き薫っている。

辻洋兒さん(前列中央右)と妻・圭子さん(前列中央左)が家族や同志に囲まれて

辻洋兒さん(前列中央右)と妻・圭子さん(前列中央左)が家族や同志に囲まれて

 北区の辻洋兒さん(副支部長)は約3万7000人が所属する堺市フェニックスクラブ(老人クラブ連合会)の会長を務める。

 「いつも連合会の役員の皆さんに言うのは、人のために動いて喜んでもらうのが、自分の喜びになるんちゃうかということです」

 辻さん自身、83歳の今も毎日、市営住宅の集会所で地域住民の相談に乗っている。また、皆に楽しんでもらえる交流の場を設けようと、ふれあい喫茶を企画。約20年前に始めた時は10人ほどの参加者だったが、現在は100人近くが集うイベントになった。

 自治会会長や連合自治会副会長などを歴任し、地域の一人一人と心の絆を結ぶ辻さんを信頼する人は多い。

 広布拡大にも率先して挑み、これまで80人以上の友人に弘教。今年4月にも辻さんの紹介で友人が入会し、歓喜の輪が広がっている。

大槻智子さん㊧が「信心のお手本です」と言う母・泉代子さんと店の前で

大槻智子さん㊧が「信心のお手本です」と言う母・泉代子さんと店の前で

 2019年(令和元年)、堺にある仁徳天皇陵古墳を含む「百舌鳥・古市古墳群」が世界文化遺産に登録された。北区の大槻智子さん(女性部本部長)は、仁徳天皇陵古墳の近くでカラオケ喫茶「メロディ」を営む。

 大槻さんには先生が堺に贈った指針にある「願いの通じる題目」を実感した出来事がある。14年前に大腸がんが見つかった時のことだ。当時、小学3年の末っ子をはじめ3人の息子を育てていた大槻さんに、将来への不安と恐怖が襲った。

 だが、日々の聖教新聞に載る池田先生の言葉に涙が出るほど励まされ、“私が宿命転換して、子どもたちに信心の素晴らしさを教える時なんや!”と決意を固めた。祈りに祈って迎えた手術は大成功。後日、検査結果を聞いて病院から帰る道で見た、見事な虹が忘れられないという。

 「病を経験したからこそ、友の悩みに寄り添いたいと願う自分に成長できたんやと感謝しています」と大槻さん。現在に至るまで、再発も転移もない。尊敬する母・泉代子さんと二人三脚で、はつらつと広布に駆ける。

一家和楽の家庭を築いている二井本義昭さん㊨、妻・聡恵さん㊥、長男・一貴さん

一家和楽の家庭を築いている二井本義昭さん㊨、妻・聡恵さん㊥、長男・一貴さん

 北区で生まれ育った二井本義昭さん(副本部長)も、題目の力で人生の苦難の山を乗り越えてきた。最も苦しかったのは、16年前に父が病で亡くなり、母も後を追うように霊山へ旅立ったこと。大好きな両親を相次いで失ったショックから、義昭さんは心の病を患った。

 仕事を休職し、一日中、布団に横になる日も多かった。先の見えないトンネルに入ったような思いだったが、隣の部屋で妻・聡恵さん(女性部本部長)が、義昭さんの生命に染み込ませるように、題目をあげ続けてくれた。

 その後、義昭さんの病状は薄紙を剝ぐように好転。翌年には職場に復帰することができた。

 また倒れてしまうのではと不安がよぎることもある。だが、池田先生の「人生は、最後の勝利が最高の幸福である」との言葉に触れ、“そうや! 倒れてもええ。倒れても、また立ち上がったらええんや!”と、前向きに考えられるようになったという。

 今年、タイにある関係会社で、仕事に関する講義を頼まれた。義昭さんは、タイの人に喜んでもらおうと、忍者の衣装で壇上に登場。“日本からニンジャが来た”と、大いに会場を沸かせた。

 「人に喜んでもらうのが、うれしいんです。病を経て、人に喜んでもらうことの大切さが分かりました」

 職場でも地域でも、義昭さんが心がけているのは、失敗や苦悩の経験も含めて、自身の体験を赤裸々に語るということ。「かっこつけなくて、ええんです」と朗らかに言う義昭さんの笑顔は、勝利の輝きに満ちていた。

世界最大級の墳墓・仁徳天皇陵古墳(大山古墳)

世界最大級の墳墓・仁徳天皇陵古墳(大山古墳)

 人生の真の豊かさとは――今回取材した同志が、“なんぼ金があっても喜びには直結せえへん。地域の友の喜びが、自分の喜びなんや”と口をそろえて語っていた姿が印象的だった。

 それは「蔵の財」よりも「心の財」を尊ぶ生き方であり、「自他共の幸福」を希求する生き方である。そこにこそ“人生の真の豊かさ”があることを知る堺の友は、一人一人が“歓喜の長者”と輝いていた。

 郷土の発展をわが使命とする堺の同志。先生が贈った次の言葉は、これからも友の心を照らし続けるだろう。

 「永遠に栄えゆく堺たれ」

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