名字の言 沖縄の言葉「わんが さんねー たーがすが」                                      2024年6月13日

 沖縄に広宣流布の灯がともったのは70年前。当時は米国の統治下にあり、本土との往来にはパスポートが必要とされるなど困難な戦後復興の道を歩んでいた▼通信手段も限られる中、東京から送られてくる聖教新聞や「大白蓮華」をボロボロになるまで皆で回し読みした。そうして信心を学び、励まし合い、折伏にも挑戦。池田先生が第3代会長に就任する1960年の上半期は沖縄地区が日本一の弘教を達成した▼会長就任から2カ月余、先生が沖縄を初訪問。いまだ戦争の爪痕深く、暮らしも貧しかったが、沖縄の同志は、はつらつとしていた▼小説『新・人間革命』第2巻「先駆」の章には、それまで指導の手もあまり入らなかった沖縄で広布が進んだ理由を、同行者が尋ねる場面がある。山本伸一は「沖縄を幸福にするのは、自分たちしかいないと自覚して頑張ってきた。人に言われてやっているのではなく、それぞれが広宣流布の主体者の使命と責任を感じている。だから、歓喜がわき、功徳も受け、発展もするんだよ」と▼沖縄には「わんが さんねー たーがすが(私がやらなければ誰がやるのか)」という言葉がある。誰かではない。自分が立ち、戦う!――この強き一念から広布の未来は開かれる。(結)