〈TOHOKUユース・ミーティング――私たちがつくる明日〉 シアトル・マリナーズ特任コーチ 岩隈久志さん2024年6月13日

  • “負けない心”が勝利を開く

 各界で活躍する東北ゆかりの著名人と東北青年部が、希望の明日を開くために必要な「東北のチカラ」について語り合う企画「TOHOKUユース・ミーティング――私たちがつくる明日」。今回は、プロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルスやメジャーリーグで投手として活躍し、現在はシアトル・マリナーズ特任コーチを務める岩隈久志さんとの語らいを掲載する。

“勝負の世界”で

武田将宣東北学生部長

武田将宣東北学生部長

 〈武田将宣東北学生部長〉 お会いするのを本当に楽しみにしていました。私は野球観戦が趣味で、岩隈さんの全力投球の姿に勇気をもらってきた一人です。
 
 〈岩隈久志さん〉 ありがとうございます。私自身、一球一球にチームの勝敗がかかっているとの責任感でマウンドに立ってきたので、そう言っていただけてうれしいです。

柏舘慶子総宮城副女子未来部長

柏舘慶子総宮城副女子未来部長

 〈柏舘慶子総宮城副女子未来部長〉 岩隈さんは、日本のみならず、アメリカのメジャーリーグでも活躍された選手です。どのような思いで“勝負の世界”に身を置いてこられたのですか。
 
 〈岩隈〉 野球はチーム戦ですので、自分だけが結果を出せば勝てるというものではありません。逆に自分が思うようなプレーができなくても、仲間の奮闘によって勝てる時もあります。ましてや、プロの世界は、個性輝く選手が力を出し切って戦うため、選手一人一人の調子の良しあしも含めて、試合展開が最後まで読めない面白さがあります。
 だから私は、チームの勝利のために任されたポジションで、まずは「自分自身に負けないこと」を大切にしてきました。どんなに逆境でも、心は前を向く。心で負けなければ、最後には勝利をたぐり寄せることができると信じてきました。

メジャーでの偉業

 〈武田〉 岩隈さんの勝負哲学を伺い、2015年のシアトル・マリナーズ時代の「ノーヒットノーラン(無安打無得点試合)」が思い浮かびました。メジャーの舞台では、日本人で2人しか達成していない偉業です。まさに負けない心で勝利をつかんだのですね。
 
 〈岩隈〉 実は試合の前日、トレーニング中に股関節周りを痛めてしまい、不安を感じていました。
 
 試合中はコントロールがよくなくて、ヒットは打たれていなかったものの、普段よりもストライク率が低かったんです。それまで自分以外の投手がノーヒットノーランをあと少しで阻まれるという場面を何度も見てきましたから、簡単にできるものではないと思っていました。
 
 〈柏舘〉 でも、試合が進むにつれ、周りの期待は高まっていきましたよね。
 
 〈岩隈〉 それは私も肌で感じていました(笑)。“ノーヒットノーランを狙ってみよう”と思いが変わったのは、最終回でワンアウトを取った時でした。
 チームの仲間が三塁側の難しいファウルフライを見事なファインプレーで捕ってくれたんです。思いが変わった瞬間から、じわじわと緊張が湧いてきたのを今でも覚えています。
 ゲームセットの目前、三つ目のアウトを取ろうとボールを投げ、相手に打たれた瞬間は、詰まった当たりだったので“ヒットだ”と思いました。しかし、センターの仲間がフライをキャッチしてくれ、ノーヒットノーランを達成することができました。チームの仲間の存在が、大きな力になったんです。
 
 〈武田〉 当時、本調子でなかったというのは驚きましたが、仲間の後押しがあって、最後まで諦めないピッチングができたのですね。
 
 〈岩隈〉 ノーヒットノーランを達成するピッチャーは、いくつも三振を取れる人が多いです。でも私はそうではなく、少ない球数でバッターに打たせて取るピッチングスタイル。これまでも仲間と一緒にアウトを積み重ねてきましたし、仲間の奮闘に感化されて、“今が踏ん張り時だ”と決意できたことは一度や二度ではありません。家族や仲間、ファンの方々やライバルの存在など、周囲の人々の存在があって、今の自分があると強く感じます。
 さらに振り返ると、メジャーリーグに行く前の東北楽天ゴールデンイーグルス時代の7年間で、負けない心や人間として大切なことを教えてもらいました。

岩隈さん㊨と、武田東北学生部長㊧、柏舘総宮城副女子未来部長が、それぞれ自前のグラブを手に

岩隈さん㊨と、武田東北学生部長㊧、柏舘総宮城副女子未来部長が、それぞれ自前のグラブを手に

 〈柏舘〉 楽天時代を原点にしていると伺い、東北のファンとしてうれしいです。岩隈さんは楽天の球団創設当初からエースとしてプレーされていましたね。
 
 〈岩隈〉 楽天は最初、本当に弱かったんです。ただ、劣勢の試合でも、ファンの方々が最後までスタンドで見守ってくれた姿が、とても印象に残っています。
 負け続けていても、やじではなく、「明日も頑張ってね」「次は勝ってくれよ!」と励ましの声をかけてくれました。
 2006年、07年は、けがが続いて成績を残せず、“次はない”と精神的に追い込まれた時もありました。2軍の施設で調整していた苦しい時期、わざわざ応援に来てくれたファンの方もいらっしゃいます。
 本当に多くの方々に励ましていただき、支えてもらったからこそ、その後の飛躍があったことは間違いありません。(※岩隈さんは、けがから復帰した08年には自己最多の21勝を挙げ、沢村賞、パ・リーグ最優秀選手などの栄冠に輝いた)
 投手はやっぱり、マウンドに上がらなければ戦おうにも戦えないんですよね。マウンドに上がる喜びを改めて教えてもらったのが楽天でしたし、野球に対する姿勢も含めて、大きく自分を変えてもらった場所が、東北でした。

被災地に「希望」を

 〈武田〉 東日本大震災が発生した2011年も、岩隈さんは楽天でマウンドに上がっていましたね。
 
 〈岩隈〉 はい。震災が起きた3月11日は、兵庫・明石市でオープン戦(シーズン開幕前の非公式試合)に臨んでいた時で、仙台市にいる家族と連絡がつながらず、心配でした。
 しばらくして返信があったものの、ニュースを通して東北の被害の大きさを知り、胸が締め付けられる思いでした。
 チームの仲間とも「早く東北に戻ろう」と話しましたが、簡単には戻れない状況でした。監督からも話があり、まずは自分たちが今いる場所で、できることをやろうとチームで話し合ったことを覚えています。
 東北に戻れたのは震災から約1カ月がたつ4月初旬でした。宮城・女川町に行き、津波で町が破壊された光景を見て、涙が込み上げてきました。津波の犠牲者の中には、私のファンの方もいらっしゃったと避難所で伺いました。
 被災者の方々は自身の状況や苦しい心境を語ってくれたのですが、最後には異口同音に「それでも、私たちは応援しているからね」と。その真心に触れ、励まされたのは、私たちの方だったと思います。
 
 〈武田〉 岩隈さんをはじめ、楽天の皆さんの活躍は、被災地の方々にとって何よりの励みになりました。
 
 〈岩隈〉 “試合に勝利することで、被災地に明るいニュースを届けよう”“復興に貢献しよう”と皆で決めました。
 震災の影響で、プロ野球の開幕は、例年よりずれ込んだ4月12日になりました。開幕投手の重責を担ってマウンドに上がり、多くの方々の思いを背負って投げたことは忘れられません。チームの仲間と必死になって戦った末に勝ち取った白星は、私にとっても大きな原点になっています。
 
 〈柏舘〉 震災の時、わが家も津波の被害に遭い、友人や知人が亡くなりました。私自身、野球が大好きで“野球を見たいけど、こんな状況なのに見ていいのかな”と思いながらも、テレビで観戦していました。選手の皆さんが最後まで諦めずに戦う姿にどれほど勇気をいただいたか。試合中、ずっと涙が止まらなかったことを覚えています。
 
 〈岩隈〉 スポーツの持つ力は本当に大きいですよね。震災からの復旧・復興を通して私自身も学びました。
 震災の翌12年にメジャーリーグに挑戦した時も、被災地の方々に少しでも希望を送る存在になりたいとの思いで、「希望」と刺しゅうしたグラブを手に、アメリカに渡りました。
 オフシーズンに東北に帰ってきては、被災地を回る中で“何のために戦うのか”を確認するとともに、戦う勇気をもらってきました。

「希望」の二字が刺しゅうされた岩隈さんのグラブ

「希望」の二字が刺しゅうされた岩隈さんのグラブ

 〈武田〉 震災から13年がたち、建物やインフラは復旧しましたが“心の復興”という点では、まだまだ励ましが必要だと感じます。その中で岩隈さんをはじめ、被災地に寄り添おうとしてくださる方々との絆は、私たちが一歩ずつ前に進むための力になっています。
 
 〈岩隈〉 そうした絆の大切さを教えてくださったのは、東北の方々です。楽天で、どん底を経験した時も、応援し続けてくださる東北のファンの方々がいたからこそ、今の私があることは間違いありません。
 誰かに信じてもらえることが、どれほどの力になるか。こうした「可能性を信じる力」や「最後まで諦めない粘り強さ」が根付く東北の土壌だからこそ、自分だけではなく、周囲の人々にも“負けない心”を広げていけるのだと思います。
 現役を引退した今、私は野球を通して人間性を磨くことを目的とした野球チームを創設し、コーチをしています。東北で学んだことを含めて、恩返しの思いで、後進の育成に力を注いでいこうと決意しています。

語り合った後、3人でキャッチボールを

語り合った後、3人でキャッチボールを

【プロフィル】

 いわくま・ひさし 1981年生まれ。99年に大阪近鉄バファローズ(当時)に投手として入団し、2005年に東北楽天ゴールデンイーグルスへ。08年に沢村賞など数々のタイトルを受賞。12年に米シアトル・マリナーズに移籍し、15年にノーヒットノーラン(無安打無得点試合。対戦相手のチームに安打を打たれずに完封勝利すること)を達成。日米通算170勝。
  
  

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