創価学会代表訪中団リポート㊦ ウルムチ・トルファン編2024年6月12日

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 創価学会代表訪中団は5月26日から6月2日まで、中国各地で交流を繰り広げた。ここでは、新疆ウイグル自治区の首府ウルムチとトルファンを訪問した模様をリポートする。(記事=田島大樹、写真=宮田孝一。北京・天津編は6月9日付3面)
 

仏教伝来の労苦に学び 新たな友情のシルクロードを

 何を思い、何を願って、この大地を踏み締めたのか――。
 オアシス都市トルファンから郊外に車を走らせると、広大な土と泥の砂漠が広がる。その大地を歩きながら、胸に込み上げるものがあった。数千年前、仏教を求めて西へ、その教えを伝えようと東へ、シルクロードを旅した先人の労苦を思った。
 

文化が出あった地

ウルムチの「新疆国際大バザール」には、特産のドライフルーツ、民族衣装、玉細工などが店頭に。多くの人でにぎわっていた(同29日)

ウルムチの「新疆国際大バザール」には、特産のドライフルーツ、民族衣装、玉細工などが店頭に。多くの人でにぎわっていた(同29日)

 
 創価学会代表訪中団は5月29日、北京から空路4時間をかけて、新疆ウイグル自治区の首府ウルムチに到着した。
 
 ウルムチは、海から最も離れた場所にある大都会とも称される。中国の中原地方と中央アジア、欧州をつなぐ「一帯一路」の要衝として急速に近代化が進み、ビルが林立する街並みは一見、沿岸部の大都市と変わらない。
 
 だがそこは、多くの民族や文化が共存する新疆ウイグル自治区の首府。道路標識には漢語とウイグル語が並び、中東の顔立ちをした人々の姿も多く見かける。
 
 訪中団が「新疆国際大バザール」に足を踏み入れると、クルミ、ナツメや干しぶどう、絨毯などの商品に目を奪われる。広場では歌と民族舞踊のショーが繰り広げられ、エキゾチックな雰囲気にあふれていた。
 
 この大バザールの中にある会場で、一行を歓迎したのは、自治区人民政府のカイサル・アブドケリム副主席である。
 「新疆にようこそ」
 北京からウルムチに足を運んだ団員95人の一人一人に、陽気に声をかけてくれた。
 
 翌30日午前11時半の新疆迎賓館。ここで、団長の谷川主任副会長、副団長の寺崎副会長、沼倉女性部書記長、橋口副女性部長ら団の代表を迎えたのは、馬興瑞自治区党委員会書記だった。自治区のトップで、中国共産党中央政治局委員を務めている。

新疆ウイグル自治区の馬興瑞自治区党委員会書記との会見。民間交流の促進などについて語り合った(同30日、新疆迎賓館で)

新疆ウイグル自治区の馬興瑞自治区党委員会書記との会見。民間交流の促進などについて語り合った(同30日、新疆迎賓館で)

 
 「自治区党委員会、自治区人民政府を代表して心から歓迎します」。そう述べた馬党委書記は、「中日友好協力の発展には創価学会をはじめ民間の力が重要です。新疆訪問は大変に意義深く、重要なことです」「これから創価学会が訪中団を送られる際には、ぜひ新疆も加えていただきたい」と全面的なサポートを約束。地に足のついた両国交流を進めるために、教育、学術、文化など多方面にわたる交流の強化を望んだ。
 
 馬党委書記の言葉の端々から、何より中央政治局委員も務める氏が多忙な日程を調整し、自ら歓迎した事実に、大規模な学会の訪問団派遣を、自治区政府が重視している事実がうかがえた。
 
 自治区対外友好協会の全面的な協力のもと、訪中団は同日、ウルムチ市内で精力的に交流行事に臨んだ。
 
 青年団員は午前に、同市文化センター「規劃館」でウルムチの経済・交通等について学習。午後には、訪中団の全員で新疆師範大学を訪問し、新疆ウイグル自治区博物館では、シルクロードの文化共生の歴史を見学した。
 
 同館の“目玉”は、タクラマカン砂漠で見つかった約3800年前のミイラ「楼蘭の美女」だが、仏教東漸の歴史を物語る文物も豊富で、今月9日まで宮城で開催された東京富士美術館企画「世界遺産 大シルクロード展」にも、同博物館から多数が出展。池田先生は同館の名誉教授で、1995年には先生撮影の「自然との対話」写真展も開かれている。

高層ビルが立ち並ぶウルムチ。「現代のシルクロード」の経済・交通・文化の中心として発展が著しい

高層ビルが立ち並ぶウルムチ。「現代のシルクロード」の経済・交通・文化の中心として発展が著しい

 
仏教遺跡を巡って

 ウルムチでの行事を終えた訪中団は30日午後、バスで高速道路を3時間かけてトルファンへ向かった。
 
 眼下に荒涼たる土の砂漠。彼方にボゴダ山脈の白雪の峰々。休憩のためサービスエリアでバスを降りると、風がすさまじい。この自然条件を利用して建設された、おびただしい数の風力発電施設は、車窓から途切れることがない。日本では見られない光景に、移動の疲れも吹き飛ぶようだ。
 
 トルファン到着は午後9時半。大地が夕焼けに染まる。中国は国内に時差がなく、西にある新疆では日の入りがこの時間になる。
 
 トルファンは最も低い所で海抜マイナス154メートル、年間の降水量はわずか16ミリ。古くから「火州」と呼ばれ、訪中団が滞在した期間、最高気温は35度を記録した。
 
 天山南路と北路の合流点であったトルファンに仏教が伝わったのは紀元前1、2世紀ごろとされ、「東の敦煌、西のトルファン」といわれるほど、仏教文化が栄えた。
 
 翌5月31日、訪中団は仏教ゆかりの二つの遺跡を歩いた。

トルファンの仏教遺跡「ベゼクリク千仏洞」。断崖に沿って並ぶ石窟の中に、仏像が彫られ、壁画が描かれていた(同31日)

トルファンの仏教遺跡「ベゼクリク千仏洞」。断崖に沿って並ぶ石窟の中に、仏像が彫られ、壁画が描かれていた(同31日)

 
 午前は『西遊記』の舞台になった火焔山の麓にある「ベゼクリク千仏洞」。5~7世紀の高昌国の時代に繁栄した仏教拠点の一つである。
 
 ベゼクリクはウイグル語で「装飾された家」という意味。石窟の中に描かれた壮麗な壁画は、イスラム教徒による破壊や、海外の探検隊に剝がされ持ち去られるなどして、ほとんど原形をとどめないが、残った壁画の一部から、往年の仏教文化の片鱗をしのぶことができた。
 
 この千仏洞からは、鳩摩羅什訳「妙法蓮華経」の観世音菩薩普門品の写本も出土しており、同写本は東京富士美術館企画の大シルクロード展にも出展された。
 
 午後には、広大な「葡萄溝」などを訪問した後、「交河故城」へ向かった。

2000年前に築かれた都市遺跡「交河故城」。寺院や仏塔などが残り、仏教伝来の歴史を今に伝える(5月31日、トルファンで)

2000年前に築かれた都市遺跡「交河故城」。寺院や仏塔などが残り、仏教伝来の歴史を今に伝える(5月31日、トルファンで)

 
 午後から、天候は次第に曇り空に変わる。猛暑を覚悟していた団員には、まさに天恵というほかない。
 
 交河故城は、二つの川が交わる断崖の地に築かれた、車師前国の城塞都市遺跡。市場や居住地などに加えて、大仏寺や仏像、壁画の跡地もあった。
 
 同日夜、トルファン市のケセル・クユム市長らが出席して、創価学会代表訪中団の歓送の集いが、市内で行われた。
 
 トルファンは民族舞踊が盛ん。集いでは、ウイグルの伝統舞踊と歌が披露され、青年団員が「桜花縁」と沖縄の「カチャーシー」で応える一幕も。
 
 市長は語った。
 「このたび創価学会の代表団がトルファンに来られたことは、日本と新疆の交流・協力を促進するだけでなく、とりわけ日本の若者の新疆についての理解を深めるためにも、重要な意義があります」
 「皆さまが見たもの、聞いたもの、記録したものをぜひ日本へ持ち帰り、日本の人々の新疆に対する認識と理解をさらに発展させてください」
 
 訪中団は翌6月1日、オアシスを潤し、人々の命を育んだ地下水路の一つ「五道林カレーズ」を見学。再びバスで3時間をかけてウルムチに戻り、さらに空路5時間をかけて、池田先生の初訪中第一歩の地・深圳に到着した。
 
 2日午前、市内の屋外で解団式と記念撮影を行い、同日夜に帰国した。

砂漠からトルファンの町を望む。都市化が進む一方、スイカの露店などオアシスの風情が残る

砂漠からトルファンの町を望む。都市化が進む一方、スイカの露店などオアシスの風情が残る

 
 8日間で、総移動距離は1万1400キロ。
 
 中国の広大さ、悠久の歴史、何より池田先生が50年間で結んだ友情の重みを日々、心で受け止めながらの8日間だった。池田先生が日中に架けた「金の橋」を輝かせる使命を受け継ぐための旅だった。
 
 創価の青年は誓った。今ここから、私から、新たな友情のシルクロードを――。