新連載 〈BE REAL 本物になる 信仰体験〉 咲き誇れ 闘魂のフルスイング2024年6月9日

打ちにいこうとする咲貴さん。鋭い目つきは、まさに師子王

打ちにいこうとする咲貴さん。鋭い目つきは、まさに師子王

 【千葉市稲毛区】池田先生と共に生きる喜びに、生命が躍り出す。あふれ出るエネルギー。これこそ、創価青年学会の魂だろう。しかし多くの青年は、池田先生と直接会った「原点」はない。それでも、「人生の師匠」と胸を張り、チャレンジの壁を乗り越えようとしている。読売ジャイアンツ女子チームに所属する、大沼咲貴さん(22)=華陽リーダー=もそうだ。いかにして「師弟共戦」をつかみ取ったのか。彼女の奥深くに燃え上がる闘魂に迫る。

 バッターボックスに入ると、雑音が消える。バッテリー間18・44メートル。大きく振りかぶるピッチャーの息遣い。自分の鼓動だけがその世界を包んでいく。コンマ何秒の真剣勝負。投じられる渾身の1球。白球は打球音を残して、青空へ――。
 野球を始めたきっかけは小学2年の時。兄の野球の試合に応援に行った。「人数が足りないから」と言われ打席に立った。打った後、どこに走ればいいのかも分からないままバットを振った。打球は軽々と外野手の頭を越えていった。野球が好きになった。
 高校では日本代表に選ばれた。大学は女子野球部がなかったため、クラブチームに入った。
 2021年(令和3年)、読売巨人軍が女子硬式野球クラブ発足を発表した。咲貴さんはセレクションを受けようと決めた。その矢先、大きなけがをした。練習試合でキャッチャーを務めていた。三塁側のファウルゾーンに上がったフライを追い、三塁手と激しく衝突。前歯を折り、脳しんとうを起こした。

 セレクション前の大事な時。焦りが生まれた。その焦りは、いつしか、咲貴さんを、御本尊からも遠ざけていく。「今になって思います。『まことの時』に祈れていなかったなって」
 咲貴さんのグラブには、手を入れる部分に金色の文字が刺しゅうされている。
 「一流の人に」
 亡くなった祖母(元山スミ子さん)が御祈念帳に記していた“遺言”だった。父・母・兄には具体的なことが書いてあった。咲貴さんへは一言だけ。「え、短っ!って思ったけど、グラブに刺しゅうしたんです。なんか意味あるんだろうなって」
 咲貴さんは、野球の試合があるたび、池田先生に手紙を書いていたことを思い出した。便箋に今の気持ちをさらけ出した。すぐに、先生から「祈っています」との伝言があった。
 「やばい! 自分は祈ってないのに、池田先生は祈ってくれてる」。題目を唱えていた祖母の背中を思い出し、御本尊の前に座り、とにかく祈った。「唱題すると、池田先生は勝負の世界の人なんだと気が付いたんです。その時に、先生が私の“命に座った”んですよね」

 22年秋。つわものぞろいのセレクション。名の知れた選手や自分より体の大きな選手がいても、咲貴さんに気負いはなかった。バッティングケージに入り、構える。あふれる歓喜で自分が大きく感じる。野球人生で一番輝いていた。
  
  
 憧れの読売ジャイアンツの一員になれた。ユニホームに袖を通す。背番号「5」。ポジションはキャッチャー。レギュラー争いが激しい。
 自分の感覚がキラリと研ぎ澄まされるまで、1000本でも1万本でもバットを振る日々。手の皮が厚くなる。「ダッシュも人より3歩多く。1年で1095歩多く走ったことになる」。それでもチームの一人一人が努力の達人。限られたチャンスを確実に仕留めなければ埋もれてしまう。

 努力しても試合に出られないとか、与えられたチャンスをものにできないとか、そんな時は、心が折れそうになる。
 でも、「つらく苦しいことも、大きく羽ばたくエネルギーに変えていけるんです。だから信心はおもしろい」。池田先生と共に戦った先に待っていたのは、「歓喜の中の大歓喜」(新1097・全788)。
 今シーズンのグラブに、金色の刺しゅう糸で「師弟不二」と刻んだ。「『師弟不二』で戦ってる人が本当の『一流の人』だと思うんですよね。おばあちゃんもそれを祈ってたんじゃないかなぁ」

 平日の午前中は練習、午後から「ジャイアンツアカデミーコーチ」として、未就学児や小学生に野球を教える。土日は試合。野球漬けの毎日だ。「元気に野球ができることに感謝しかない」
 咲貴さんの今の目標は、レギュラーになること。そしてもう一度、日本代表のユニホームに袖を通すこと。女子野球を盛り上げたい。だから何があっても這いつくばってでも、成し遂げてみせる。この闘魂が、目の奥深くで燃え上がる“小さな巨人”。
 「ただ野球が好きなだけ」
 さあ、駆け上がろう! 今日もフルスイングの全力プレーで。