きょう未来部結成60周年2024年6月7日

  • 一人ももれなく王者の青春を
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 1964年(昭和39年)6月7日、未来部の第1陣として、高等部が誕生した。池田先生が第3代会長に就任後、最初に結成された部である。先生は世界広布の未来を展望し、激務の中、若き鳳雛の育成に全力を注いだ。以来60星霜――。今、師の励ましを胸に、社会の各分野で活躍する人材が陸続と誕生する時代を迎えた。未来部結成の佳節に当たり、池田主任副会長に、橋詰未来部長と井出女子未来部長が聞いた。

1991年7月28日、第4回未来部総会で池田先生は未来部に「全員が『信念』と『正義』の人になっていただきたい」と望んだ(長野青年研修道場で)

1991年7月28日、第4回未来部総会で池田先生は未来部に「全員が『信念』と『正義』の人になっていただきたい」と望んだ(長野青年研修道場で)

広布後継のバトンを受け継ごう! 池田主任副会長㊨に話を聞く橋詰未来部長㊧、井出女子未来部長(学会本部別館で)

広布後継のバトンを受け継ごう! 池田主任副会長㊨に話を聞く橋詰未来部長㊧、井出女子未来部長(学会本部別館で)

 
●新時代を進む誇りを胸に
 

 ◆橋詰 今月2日、首都圏未来部の代表が広宣流布大誓堂に集い、誓願勤行会が行われました。未来部だけの勤行会は初めてです。参加したメンバーからは、「師弟の絆を心に刻み、後継の人材との決意で頑張っていきます」などの声が寄せられました。
  
 ◆井出 席上、池田先生が1983年(昭和58年)1月16日、若き友への期待を込めて認められた二つの御揮毫が紹介されました。
 「真実の正義の人とは この最極の信仰に 生きぬく人である」
 「最高に偉大な人とは 自らの信念を 生涯貫き通す人である」
 未来部への永遠不滅の指針に、広布後継の誓いを一層深くしました。
  
 ◇池田 未来部の結成から60星霜。60年は、人間の年齢でいえば還暦に当たります。還暦には「新しく出発する」との意味があります。
 今の未来部の皆さんは、池田先生がおられた時代を知る最後の世代です。そして、先生のご逝去後を生きる最初の世代でもあります。
 まさに、未来部の「新時代 新生1期生」と呼ぶにふさわしい使命深き方々です。どうか、その確信と誇りで、鍛えの青春の日々を送っていただきたいと思います。
  
 ◆井出 64年(同39年)6月7日、東京第2本部(当時)の男子高等部結成式に臨まれた池田先生は、“これからの10年間、しっかり勉強し、学びに学んで、堅固な人生の土台を”とエールを送ってくださいました。
  
 ◇池田 結成式から2カ月後の64年8月、静岡で未来部の夏季講習会が開催されました。首都圏の小学生から高校生までが対象でした。小学生だった私も参加しました。
 この講習会が、未来部としての“初の研修会”だと思います。
 参加者に配布された冊子に、こう記されていました。
 「皆さんが先生のお心にお応えするには、一人一人がしっかり勤行し、勉強に励むことです。そして今から池田先生の弟子として、いつも明るく、希望に燃えて、どんなことにもくじけずに進んでいきましょう」
 草創の先輩方は私たちに、師弟の大切さを伝えようとされていたのです。それは、今も変わりません。率直に、ありのままに、「師弟」を語っていくこと――未来部員に関わる担当者の皆さんの使命でもあります。

結成60周年を記念する未来部誓願勤行会に、首都圏の未来部の代表が集った(2日、広宣流布大誓堂で)

結成60周年を記念する未来部誓願勤行会に、首都圏の未来部の代表が集った(2日、広宣流布大誓堂で)

 
●『人間革命』を読了した思い出

 ◆橋詰 65年(同40年)1月15日、中等部が結成されました。池田主任副会長は結成式に参加されています。
  
 ◇池田 私は小学5年生でした。当時は小学5、6年生も中等部に所属していました。同世代のメンバーが集った会合で、その時の光景は今も覚えています。
 この結成式への参加を呼びかけてくれたのが、文京支部の先輩でした。
 先輩の存在があったからこそ、原点を刻むことができたのです。
 結成式では、当時の青年部長から「勤行をしっかりしましょう」「勉強をしっかりしましょう」などの五つの指針が発表され、“しっかり実践していこう”と決意しました。
 69年(同44年)8月15日、第2回高等部総会が日大講堂で行われました。私は高校1年生で、青年部の先輩と一緒に参加しました。
 席上、池田先生は「30年後の西暦2000年に再び会おう」と呼びかけられ、後日、参加者で「2000年会」が結成されたのです。
 そして、2000年(平成12年)9月、「2000年会記念大会」が創価大学で行われました。この大会に参加することができたのも、69年の高等部総会に先輩が参加を促してくれたからです。
  
 ◆井出 中等部が結成された65年は、元日から聖教新聞紙上で、小説『人間革命』の連載が開始されています。
  
 ◇池田 高校生の時、当時発刊されていた第6巻までを読了した思い出があります。『人間革命』を通して、師弟の崇高さを学びました。
 『人間革命』『新・人間革命』には、牧口先生、戸田先生、池田先生の、創価の三代会長の不惜身命の実践と学会の歴史がつづられています。後世の私たちが学べるように、池田先生は、学会精神の一切を、『人間革命』『新・人間革命』に書き残してくださっています。
 先日の「未来部誓願勤行会」の折、広宣流布大誓堂の1階ロビーに、池田先生が79年(同54年)5月3日、5日に認められた四つの御揮毫が展示されました。
 「大山」「大桜」「共戦」「正義」です。
 これらの御揮毫が、どのような背景で書かれたのか――小説『新・人間革命』第30巻〈上〉「大山」の章につづられています。未来部の皆さんは、同章を読み進めていただきたいと思います。

 
●自身の「物語」を後継の友に語れ

 ◆井出 先日、「韓日青年友好交流団」の一員として韓国を訪問し、未来部員と交流する機会がありました。その折、池田先生とお会いしたことがないという男子未来部員の話に感動しました。
 彼は幼い頃から、地域の同志が池田先生について語っていることを聞いてきました。“先生って、どんな人だろう”と思い、『青春対話』をひもときました。読み進めていく中で、先生の温かさを感じたそうです。「『青春対話』を通して、先生と心で対話することができます」と目を輝かせて語ってくれました。
  
 ◇池田 そのエピソードを聞いて思い返すのは、4月に関西で行われた本部幹部会の席上、原田会長が語った「『ナラティブを語ること』の重要性」です。
 「ナラティブ」は「物語」との意味です。語り手が、一つ一つの経験をどう感じ、どう意味づけていったのかという「物語」です。経験自体は同じでも、語り手の数だけ物語があります。
 池田先生と出会い、何を感じたのか。小説『人間革命』『新・人間革命』を学び、どう決意し、実践したのか。そこにも、10人いれば10人の物語があります。
 仏法は桜梅桃李です。師弟を語ることに、定型があるわけではありません。大切なことは、自分自身の経験を語ることです。ゆえに、未来部の担当者が、自身の人間革命に挑戦することです。
  
 ◆橋詰 先月、原田会長とローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇との会見が行われました。通訳を担当したタミコ・カネダさんは9歳の時、イタリアのフィレンツェ市郊外で、池田先生との出会いを刻みます。先生の温かな振る舞いを見て、“私もこんな大人になりたい”と思ったそうです。
  
 ◇池田 先生との出会いの後、カネダさんは「通訳になる」夢を抱きます。その後、創価大学の別科、創価女子短大への留学を経て、通訳となります。今回の会見は、カネダさんが師弟の誓いを果たした証しではないでしょうか。
 今、世界各地で創価の友が活躍しています。高等部が結成された60年前と今とで大きく異なるのは、「世界が身近になった」ということです。
 昨年12月号の未来ジャーナルに掲載された「後継の正義の走者に贈る」で、池田先生はこうつづられました。
 「『最後は勝つ!』と決め、題目を唱えて挑めば、自らの最高の可能性と最善の未来が開けることは、絶対に間違いない。創価のメロスよ、一人ももれなく、王者の青春を走り勝ちゆけ!」
 後継の宝が、もれなく、王者の青春を走り抜けるよう、私たちは祈り、励ましを送り続けていきましょう。