〈池田先生 永遠の指針〉 6・6「初代会長・牧口常三郎先生の生誕日」――「牧口先生 生誕記念協議会」でのスピーチから2024年6月6日

  • 正法正義を貫いた壮絶な闘争 勇気の言論こそ学会の魂

 きょう6月6日は、初代会長・牧口常三郎先生の生誕日(1871年〈明治4年〉生まれ)。ここでは池田先生が2005年6月6日、牧口先生の魂をとどめる東京牧口記念会館(八王子市)で行われた「牧口先生 生誕記念協議会」でスピーチした内容を抜粋して掲載する。

牧口先生の座像を、遺徳を偲びながら見つめる池田先生ご夫妻(2001年7月、八王子市の東京牧口記念会館で)

牧口先生の座像を、遺徳を偲びながら見つめる池田先生ご夫妻(2001年7月、八王子市の東京牧口記念会館で)

 牧口先生の遺徳を偲びつつ、少々、お話ししたい。
 
 牧口先生は、国家権力と戦い、獄死された。(1943年〈昭和18年〉7月6日、伊豆・下田で連行され、44年11月18日、73歳で獄死)
 
 もちろん、先生には何の罪もなかった。「創価学会の思想は危ない」という、理不尽な弾圧であった。ご承知のとおり、検挙の理由は「治安維持法違反」と「不敬罪」の容疑である。
 
 牧口先生は、軍部におもねった宗門とは対照的に、正法正義を貫き、戦争推進のイデオロギーである国家神道に断じて従わなかった。当時の悪法のもとでは、それだけで処罰の理由となったのである。
 
 老齢の大学者の先生を、一介の役人にすぎない特高刑事や検事が、いじめにいじめた。権力を笠に着て、居丈高に振る舞い、怒鳴った。これが「権力の魔性」の恐ろしさである。
 
 狂った日本であった。愚かな日本であった。権力が、牧口先生を殺したのである。何の罪もない、それどころか、世界的大学者の先生に、日本は、「獄死」をもって報いたのである。永遠の平和を築く戦いは、所詮、「権力の魔性」との戦いであることを、絶対に忘れてはならない。それを忘れ、油断すれば、広宣流布の将来は危ないからだ。
  
 しかし牧口先生は、権力の横暴に、一歩も引かなかった。それを証明する「訊問調書」が残っている。(旧内務省の資料『特高月報』の昭和18年8月分に記載、『牧口常三郎全集』10所収)
 先生は刑事に堂々と答えられた。そして、当時の聖戦思想を真っ向から否定された。
 
 「(=立正安国論には)この法(=法華経)が国内から滅亡するのを見捨て置いたならば、やがて国には内乱・革命・飢饉・疫病等の災禍が起きて滅亡するに至るであろうと仰せられてあります」
 
 「現在の日支事変(=日中戦争)や大東亜戦争等にしても、その原因はやはり謗法国であるところから起きている」
 「この大法に悖る事は、人類としても、はたまた国家としても許されない事で、反すればただちに法罰を受ける」(句読点を適宜、補った。『牧口常三郎全集』からの引用は以下同じ)
 
 戦争でいちばん犠牲になり、苦しむのは、いつも民衆である。しかし、国は「神州不滅」などと煽って、国民を戦争に駆り立てた。それに、はっきりと異議を唱えたのである。正法を迫害する国は、滅亡するのが道理であると喝破されたのである。
 
 軍国主義の時代である。しかも獄中である。どれほどの信念であられたか。どれほどの壮絶な戦いであったか。先生は、創価学会の永遠の誇りである。その直系が私たちなのである。
    ◇ ◆ ◇

 牧口先生は獄死され、戸田先生は生きて獄を出られた。
 
 戸田先生は厳然と語り残された。「私は弟子として、この先生の残された大哲学を、世界に認めさせる」「私の代にできなければ、きみらがやっていただきたい。たのみます」
 
 私は、この戸田先生の意志を受け継いで、牧口先生の哲学と人生を宣揚してきた。創価学園をつくり、日本にもアメリカにも創価大学をつくった。師の構想を実現するのが、弟子の道である。
 
 今、アメリカやブラジルをはじめ世界の各国で、牧口先生の教育哲学が注目され、実践される時代に入った。また世界のどこに行っても、創価教育から巣立った人材が活躍している。
 
 牧口先生は勝ったのである。創価の師弟は勝ったのである。私は本当にうれしい。
  
 牧口先生がつねに拝された御聖訓に、「観心本尊抄」の一節がある。
 「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(全254・新146)
 
 先生は、この御文を通して指導された。
 
 「太陽が昇った瞬間から、大地はパッと明るくなる。同じように、信心すれば、生活のすべてが改善できるのです。
 
 大事なことは『天を晴らすこと』です。そういう信仰をしなくてはいけません」
 
 この牧口先生のご精神のままに、信心強き皆さまは、わが身、わが地域を妙法の大功徳で照らし、人間革命と社会貢献の輝く実証を示してこられた。今や「創価の太陽」は、日本と世界を赫々と照らし、希望の大光を送っている。
    ◇ ◆ ◇

 牧口先生は言われた。
 
 「言わねばならぬことをどしどし言うて折伏するのが、随自意の法華経であらせられると思う。ゆえに我々は、これで戦ってきたのが、今日の盛大をいたした所以であり、今後も、それで戦わねばならぬと思う。
 
 つまり我々は、蓮華が泥中よりぬけ出でて清浄の身をたもつがごとく、小善・中善の謗法者の中に敵前上陸をなし、敢然と大悪を敵として戦っているようなものであれば、三障四魔が紛然として起こるのが当たり前であり、起こるがゆえに行者と言われるのである」(『牧口常三郎全集』10)
 
 広宣流布は、永遠に、仏と魔との闘争である。
 
 先生の言われたとおり、学会は、「勇気の言論」で勝ってきた。三障四魔との戦いをやめないから勝ってきた。
 
 牧口先生は、こうも語られた。「(=嫉妬や迫害を受けても)今後とも、さらに『不自惜身命』の決心をもって、いよいよこれを力説するつもりである」「だれかが言わねば、社会は遂に改まるの期はないことを思うからである」(同全集6)
 
 広布の指導者は、みずからが勇敢に、言うべきことを言わねばならない。皆が言うべきことを言えるよう、励ましていかねばならない。
 
 また、みずからが率先して行動しなければならない。そして、皆が行動できるよう励ましていかねばならない。要するに、みずからが断固として戦う。その必死の姿を通して、皆の「戦う心」に火をつけることである。
 
 牧口先生は教えられた。
 
 「大善人になるには、強くならねばならぬ。決然と悪に対峙する山のごとき強さが、個人も社会も明朗にする」
 
 強くなければ、本当の意味で、善人にはなれない。学会は「正義の中の正義」である。ゆえに、強くならねばならない。強くあってこそ、朗らかに前進することができる。「強さ」と「明朗さ」は一体なのである。
    ◇ ◆ ◇

 牧口先生は、出会った一人一人を、心から大切にされた。地方から上京してきた同志も、慈父のように迎えておられた。そして、東京の座談会にその方を連れて行かれると、自分の横に招いて、皆に紹介された。
 
 「この方は、○○の地で、たいへんに頑張っておられる方です」
 
 その遠来の友は、どれほどうれしく、誇らしかったであろう。
 
 必ず言葉をかける。何か思い出をつくる。広布の指導者は、そうした心の広さがなければならない。
  
 牧口先生が朱線を引かれた御書の一節がある。
 
 「法華経を持つ者は必ず皆仏なり」(全1382・新1988)
 
 まさに会員同志を、「仏として」最大に大切にしておられた。
 
 とともに、同志を悩まし苦しめる悪に対しては、まことに峻厳であられた。先生は、「悪を排除した潔癖者の団体」が、どれほど強いかを、こう記しておられる。
 
 「少しの分解力も働かず、親密なる関係に結合するが故に、その団結は極めて強固であり、内部に於ても外部に対しても(中略)極めて強大なる勢力を持つこととなる」(「善悪観と大小観との混迷」、『牧口常三郎全集』9所収)
 
 この言葉どおりに、金剛不壊の破邪顕正の団結で、わが創価学会は勝ち進んでいくのである。
 
 大聖人は「御義口伝」に仰せである。
 
 「南無妙法蓮華経と唱える日蓮の一門は、一同に『皆、共に宝処に至る』のである。この『共』の一字は、日蓮と『共』に進む時は必ず宝処に至る。『共』に進まないならば阿鼻大城(無間地獄)に堕ちるということである」(全734・新1024、通解)
 
 何があろうとも、大聖人と共に進むのだ。仏意仏勅の学会と共に、広宣流布に生きて生きぬくのだ。
 
 その人は、三世永遠の生命の宝処へ、仏界の宝処へと前進しているのである。
    ◇ ◆ ◇

 終わりに、牧口先生が、獄中での苛酷な取り調べのなか、厳然と残された信念を、おたがいに銘記して、記念のスピーチとしたい。
 
 “大敵にも負けずに生きぬいて、人間の達しうる最高の理想を示しきっていくのが「仏」である”