〈ぶら~り文学の旅 海外編〉50 サローヤン「ヒューマン・コメディ」2024年5月22日

  • 涙と人間愛にあふれた群像劇
  • 作家 村上政彦

 本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の世界地図。そして今日はウィリアム・サローヤンの『ヒューマン・コメディ』です。
 
 「いつかはあなたのために物語を書きたいと思ってきました。(中略)アルメニア語として出版されれば、あなたにじゅうぶんこの物語を味わってもらえるでしょう。(中略)細々と受け継がれているこの言葉の魅力を、あなたほどよく知る人はいないのですから」
 
 冒頭のやや長い献辞で作者は語ります。「あなた」は母のこと。アルメニアに出自を持つ最大の作家サローヤンは、アルメニア移民の2世でした。
 
 アルメニアには、世界でも最古の文明が発祥したといわれますが、民族としては苦しい歴史を生きてきました。オスマン帝国の一部だった、第1次世界大戦の頃には、アルメニアの独立を求める文学者や芸術家が捕らえられたことをきっかけに、150万人に及ぶアルメニア人がジェノサイドの犠牲者となったのです。
 
 人類は、ナチスのホロコーストが起きる以前にも、おぞましい「民族浄化」を行っていた。このような歴史的スキャンダルは、現在にも地続きで、21世紀を生きる僕らにも無関係ではないことを知っておく責任がある。そうしないと、人間は同じ過ちを何度も繰り返すからです。
 
 本作の舞台は、第2次大戦のさなかにあるカリフォルニア州。主人公のホーマー・マコーリーの家族が暮らしているのは、イサカという架空の町で、おそらくアルメニア移民の多かったフレズノがモデルになっているのではと思われます。
 
 ホーマーは2年前に父を失い、14歳ながら家計を支えるため、年齢を偽って電報局で配達員の仕事を得る。局長のスパングラーは好人物で、彼の年齢を知りながら雇う。電報局には、老いた電信士グローガンがいて、ホーマーとはいい話し相手。ある時、ホーマーは、戦死には意味があるんですよね?と尋ね、グローガンから、その問いに答えがあるかな?と返される。
 
 なぜ、ホーマーがこんなことを口にしたのか。それは、どうしても届けたくない電報――兵士の戦死を告げるものがあるからです。受け取った家族の悲嘆が耐えられない。ホーマーは自分が「死の使者(メッセンジャー)」になった気がするのでした。
 
 しかし見方を変えれば、ホーマーは兵士の死をきちんと知らせることができる。現在、世界の各地で起きている戦争では、どの兵士がどこで亡くなったのかさえ分からないことがあります。そういう時、人は固有名詞ではなく、数字に変えられてしまう。死者××人という非人間的な情報。僕らが日常的に見聞きするニュースです。
 
 本作には人間の善なる輝きも描かれます。涙と温もりの交差する、サローヤンにしか書けない小説です。
 
 【参考文献】
 『ヒューマン・コメディ』 小川敏子訳 光文社古典新訳文庫