きょう21日 池田先生の「山光提言」40周年2024年5月21日

 きょう21日は、40年前の1984年(昭和59年)に池田大作先生が「山光提言」を発表した日である。山陰を光り輝く「山光」と呼んではどうか――。鳥取、島根の両県のさらなる発展を願う池田先生の提案は、友の希望の指針となった。「山光の精神」を継承する友の活躍と識者の声を紹介する。

池田先生が連日の激励行を終え、島根・出雲空港に向かう車中からカメラを向けた(1984年5月撮影)。帰路の機中で「天も晴れ 緑の田園 走り来る 功徳の友の 笑顔ぞ尊し」と詠み贈った

池田先生が連日の激励行を終え、島根・出雲空港に向かう車中からカメラを向けた(1984年5月撮影)。帰路の機中で「天も晴れ 緑の田園 走り来る 功徳の友の 笑顔ぞ尊し」と詠み贈った

 1984年(昭和59年)5月21日、池田先生は鳥取での諸行事を終え、島根で行われた各部の代表者会議に出席し、一つの提言を発表した。
 「山陰地方は、東京より、初夏の日没は約30分遅い。また冬は寒く、雪も降るが、山の頂上からふもとまで雪で終日銀色に輝いている。さらに山の幸、海の幸も、都会より新鮮に味わうことができる。こうした意味からも、光り輝く地、つまり『山光』と申し上げたい」
 定義や範囲は幾つかあるが、中国地方の岡山・広島・山口南部の「山陽」に対して、鳥取・島根・山口北部は「山陰」と呼ばれる。後者には、どこか暗いイメージがつきまとった。池田先生の提言は、特に鳥取・島根の友にとって、「気持ちが百八十度変わる衝撃」だった。
 73年(同48年)、先生は島根・出雲市の日御碕を訪れた。雄大な景色を眺め、「山光」の着想を得た。小説『新・人間革命』第18巻「師恩」の章に、当時のことがつづられている。
 「出雲をはじめ山陰地方は、その伝説のうえからも、景観のうえからも、光り輝く太陽の国といえる」「そう考えるならば、島根、鳥取は、本来、『山陰』というよりも、『山光』というべき天地ではないかと、ふと思った」
 たった一文字であっても、名前が変わることで、皆の意識が変わることがある。「山光提言」は、鳥取・島根の友が地域広布に走る勇気の源泉となった。
 91年(平成3年)、池田先生は「山光と たれがつけたか この光彩 日日の輝き 山陰消えたり」と詠み、「山光」の誉れ高く、自他共の幸福と地域のために行動を重ねる同志をたたえた。
 「山光」の名は、「地元の人間として非常に誇らしく思いました」「未来への力強さを感じます」など、各界から称賛の声が寄せられた。2009年(同21年)には、島根・隠岐の島町に「山光」の名を冠した「山光久見トンネル」が開通している。
 池田先生が「山光提言」を発表してから30年となった2014年(同26年)、5月21日が学会の「山光の日」に制定された。
 師が大切にした光り輝く天地に生きる喜び――。山光の友は、使命の舞台で新たな歴史をつづりゆく。

1984年5月20日、池田先生が出席して行われた鳥取青年平和文化祭(鳥取・倉吉市内で)。「栄光の県を担いゆく一人一人として、日本へ、世界へと歩んでいってほしい」と望んだ

1984年5月20日、池田先生が出席して行われた鳥取青年平和文化祭(鳥取・倉吉市内で)。「栄光の県を担いゆく一人一人として、日本へ、世界へと歩んでいってほしい」と望んだ

 
◆識者の声

山陰放送
代表取締役社長 坂口吉平氏

地域性を尊重する包容力輝く

 鳥取・島根の豊かな自然は、四季折々に輝きを見せてくれます。なぜ“山陰は暗い”というイメージになったのか、不思議に思うほどです。
 池田先生が「山光」という呼称を示されたことは、鳥取・島根に住む私たちに、自信を与えてくれます。
 その背景に、李白の漢詩の一節「山光水色 藍よりも青し」があるとうかがいました。豊かで美しい風土を表し、暗いイメージを転換してくださった呼称です。地域性やそこに住む人々の心を受け止め、尊重してくださる池田先生の包容力を感じます。
 「山光」という呼称からイメージする内容は、一人一人それぞれ違っているでしょう。「山光」という地域は、またそこに住む自分は、どうあるべきか、と考えることが大切ではないでしょうか。
 教育者であり、哲学者でもある池田先生の思いが、「山光」という言葉に込められていると思うのです。
 時代、世代によって価値観が変わってくることは当然です。夢を語ることが難しい時代かもしれません。
 しかし、自分が行おうとしていること、自分が向かおうとしている方向について、明確なイメージを持つことは重要です。
 これまで何度か、創価学会が主催される展示などのイベントに出席しました。そのたびに、自分自身を改めて見直すことができる、貴重な学びの機会となりました。
 「変えられるのは、未来と自分」という言葉がありますが、自分を変えることは決して簡単ではありません。
 創価学会の皆さんは、池田先生という師匠の存在を通して、それぞれの立場で進むべき道を探し、挑んでいる方々だと感じています。目的意識を持つことは、前を向いて進む強さにつながります。
 物事を信じることは生きる力です。
 今は、競争が激しく、変化の大きい時代です。特に若い人たちが目的観を持ち、夢に挑む中で、チャンスをつかんでもらいたいと思います。

◆活躍する友の話題

鳥取・倉吉栄光県
松田美波さん(華陽リーダー)

松田美波さん(前列右)が家族と

松田美波さん(前列右)が家族と

周囲を照らす励ましの人に

 2016年(平成28年)10月21日、鳥取を震度6弱の地震が襲った。被害に遭った住宅は県内で1万5000棟を超えた。松田さんの自宅は半壊。家族と離れ、祖母宅に身を寄せた。
 父・一雄さん(副支部長)と母・万起子さん(支部女性部長)は同志の激励に奔走した。松田さんは思わず、「私たちも被災してるのに」と口にした。両親は「同志に寄り添うんだ」と譲らなかった。
 暗く沈んだ松田さんの心に灯をともしたのが、池田先生が鳥取の友に贈った真心の伝言と、地域の同志の励ましだった。
 「私も池田先生や両親のように、周囲を照らす存在になりたい」と、祖母の幸せを願い仏法対話を開始。18年(同30年)、晴れて入会へと導いた。
 その後、松田さん一家は、「家族で地域に尽くしたい」と、開業を決意。本年4月、総菜店「まっこの味」をオープンした。共働き世帯が多い地域のため、食卓に一品加えられるテイクアウトの店が喜ばれるだろう、との思いだった。松田さんと姉・恵さん(副白ゆり長)も店を手伝う。
 「山光提言」を発表した折、池田先生は、今いる場所で必ず幸福の大道を開くことができる、との確信を語った。災害という試練に負けず、信頼の根を深く張ってきた松田さん一家。その生き方は、地域を希望の光で照らしている。

 
 
島根・石見戸田県
長島亨さん(圏男子部長)

長島亨さん㊨一家

長島亨さん㊨一家

「心の変革」が全てを変える

 2005年(平成17年)、“田舎の島根では、夢は広がらない”と大阪の専門学校に進学した。
 学生部の活動に積極的に参加し、2年生の時、弘教を結実。順風満帆な未来を描いた。
 だが、現実は違った。07年(同19年)、愛知で製造業に就職。夜勤がある不規則勤務だった。毎日のように遊び歩いた。学会活動から遠ざかった。
 その後、転職を繰り返した。どの仕事も続かない。逃げるように島根へ戻った。
 帰郷して数日後、携帯電話が鳴った。「会合に来んか?」。男子部の友の誘いだった。数年ぶりに学会の集いに参加し、宿命と戦う友の話に胸打たれた。“今こそ、自分を変える!”と心を定めた。
 唱題に挑み、家庭訪問に歩いた。学会活動に励む中で、夢だった電気工事会社に転職。妻・美由希さん(副白ゆり長)と結婚し、本年4月、待望の第1子が誕生した。
 18歳で大阪へ旅立つ時、島根は「田舎」と思っていた。今では、どこよりも愛する場所。何より、「心の変革」によって、全てを変えることができるとの「魂の原点」を刻んだ場所となった。
 その郷土の誇りを胸に、圏男子部長として長島さんは日々、メンバーの励ましに駆ける。自身の体験を通して、「人生の本当の充実は、師を求め、学会と共に、同志と共に生きる中にある」と語っている。