誓願 402~403ページ 【小説「新・人間革命」】第30巻〈下〉2024年5月21日

 香港が中国に返還される五カ月前(一九九七年二月)の語らいで、山本伸一は金庸に、「返還後も香港は栄え続けるでしょう」と述べ、これからは、経済だけでなく、「心の充足」も焦点になるとの考えを述べた。
 すると、金庸は、大きく頷きながら言った。
 「香港SGIをはじめ、SGIの方々には、ぜひ『精神の価値』『正しい価値観』を多くの人たちに示していただきたいのです」
 香港の民衆の幸福と繁栄──二人の心は、この一点にあった。
 伸一が、メンバーに訴え続けたのは、いずこの地であろうが、不屈の信心ある限り、“幸福の宝土”と輝くということであった。日蓮大聖人は、「其の人の所住の処は常寂光土なり」(御書五一二ページ)と仰せである。
 ──一九九七年(平成九年)七月一日、イギリスの統治下にあった香港は、中国に返還され、歴史的な式典が行われた。
 その祝賀式典のアトラクションでは、香港SGIの「金鷹体操隊」も若さあふれる演技を披露した。また、同日夜の記念音楽会には香港SGIの各部の合唱団が出演した。
 伸一は、旧知の江沢民国家主席と香港特別行政区の董建華(トン・ギンワ)行政長官に祝電を送った。香港のメンバーは、返還後の香港を「平和と繁栄の港」にとの決意を固め合い、二十一世紀へと船出していくことになる。
 伸一は、九五年(同七年)十一月の香港滞在中、マカオを訪れ、マカオ大学で名誉社会科学博士号を受けたほか、マカオ市政庁を表敬訪問した。ポルトガル領であるマカオも、九九年(同十一年)、中国に返還されるが、マカオのメンバーも香港の友に続き、希望のスタートを切っていくのである。

 九五年(同七年)十一月十七日、アジア訪問から帰国した伸一は、そのまま中部・関西指導に入った。そして二十三日、関西文化会館で、全国青年部大会、関西総会を兼ねた本部幹部会が開催された。
 その席上、SGI理事長の十和田光一から、「SGI憲章」が発表された。