〈スタートライン〉 詩人 アーサー・ビナードさん2024年5月19日

アメリカ人の僕が感じる“ヒロシマの心”
原爆の実相を絵本や紙芝居を通して伝える

 アメリカ出身の詩人アーサー・ビナードさんは、詩作のほか絵本の創作や翻訳、ラジオパーソナリティーなど多岐にわたって活動しています。広島で「ピカドン」という言葉を知ったのがきっかけとなり、戦争、そして原爆の実相を伝えてきました。独自の切り口で描く物語は、多くの読者に“平和の心”をともしています。広島との出合いや創作活動の動機などを聞きました。

 ――日本には、どのようなきっかけで来られたのですか。
  
 大学で卒業論文を作成していたある日、日本語について書かれた論文を目にしました。もともと言語というものに興味があったので、イタリア語やタミル語などを勉強していましたが、この時が初めて日本語に触れた瞬間でした。
 
 ひらがな、カタカナ、そして漢字。まず文字の多様さに驚きました。それとともに、擬音語や擬声語、擬態語など英語ではなかなか表現できない感覚も絶妙に言い表していると感じました。そこから、日本語の世界観のとりこになり、どんどんのめり込むように。そして「日本語で詩を作ってみたい!」と、予定していた大学院進学も放り投げ、気付けば日本に来ていました(笑)。

「ピカドン」を知って

 ――広島で「ピカドン」という言葉を知ったことが、ビナードさんの人生に大きな影響を与えたと伺いました。
  
 在日6年目に、知り合いのいる広島を訪れました。アメリカから来た当初は、広島がどこにあるのかも分かっていませんでしたが、地名だけは聞いたことがありました。アメリカの学校教育でも、「Hiroshima」という言葉は何度か出てきたからです。しかし“No more Hiroshimas”のスローガンのように、“Hiroshima=原爆投下”という意味合いでした。“Hiroshima=核兵器”みたいな意味で使われることも、しばしばありました。
 
 このように、言葉のイメージが先行して、街並みや人の姿が見えない“Hiroshima”。しかし実際に行ってみると、生活の場として人々が暮らし、路面電車も走っている。ある意味で普通の街でした。それが新鮮な発見で、現地に足を運ぶ大切さを痛感しました。
 
 その時に聞いた被爆証言で、語り手のおばあさんが「ピカドン」という言葉を使っていたのです。僕にとっては新出単語なのに、耳に入ってきた瞬間、映像として原爆の恐ろしい閃光が浮かび上がりました。
 
 原爆を落とした人間たちがつくった“atomic bomb”という英単語。そして、それを直訳しただけの「原子爆弾」という日本語。よくよく考えてみると、「原子」という言葉で万物の源の必然性を巧みに醸し出している。原爆を100%肯定する権力者が広めたプロモーションのかかった言葉のように感じられました。
 
 一方で、原爆を使われた側の広島の人々が、自らの言語感覚で捉えた「ピカドン」の擬態語。熱線と中性子線が「ピカァァァ」と迫り来て、一気に爆発する「ドンッ」の轟音。被爆した人々の実感を伴ったこの言葉を知ったとき、新しい立ち位置が見えた気がしました。また、アメリカで学んだ歴史は、広島の人々の思いを抜きにした一方的なものと感じ、それまでの常識が覆されたのです。

 ――「原爆の図」の一部を切り取り、制作した紙芝居や、被爆物の視点で語られる絵本など、さまざまな角度から創作活動を行っていますね。どうして紙芝居を作ろうと思ったのですか。
  
 紙芝居はアメリカにはないメディアです。お話が始まる前は、ただの厚紙の束と木製の箱ですが、いざ紙芝居舞台の扉が開かれると、物語の世界が広がります。初めて見た時から、いつもグイグイと話に引き込まれる感覚があり、つい夢中になっていました。
 
 初めて広島を訪れた後、今度は埼玉で丸木位里さんと丸木俊さんが夫婦で共同制作した「原爆の図」を目にする機会がありました。お二人が32年もかけて制作した15部にも及ぶ巨大な作品群です。これを見た時も、引き込まれるような感覚にとらわれ、まるで巨大な紙芝居のように思えたのです。そのことを出版社の編集者に話すと、実際に紙芝居にしてみようと企画が進んでいきました。
 
 ですが本来、紙芝居は脚本を作ってから絵を描くもの。最初に絵ありきの紙芝居の創作は前代未聞でした。何度も絵の中の人物や動植物と対話を繰り返し、生きとし生けるものを形づくっている「細胞」というものの声に焦点を当てました。『ちっちゃい こえ』(童心社)を、7年かけてどうにか書き上げることができたのです。

自身が脚本した『ちっちゃい こえ』(童心社)を読むビナードさん

自身が脚本した『ちっちゃい こえ』(童心社)を読むビナードさん

「本質」を届けたい

 ――絵本や紙芝居など、子ども向けの作品を多く作っておられますね。
 
 確かにそうですが、実は子どものためだけに書いているわけではないんです。僕の創作活動の動機は、物語を通して老若男女に「本質」につながるものを届けたいとの思いです。絵本は読者層が広いので、作品の魅力が伝われば、本当に老若男女に届く可能性が大いにあります。
 
 「かちかち山」や「はなさかじいさん」「舌切り雀」など、子どもの頃に繰り返し読むことでストーリーが体内に入り、大人になった時には「本質」が心に残っているということは、多くの人が体験しているのではないでしょうか。手に取りやすく、長く読み継がれて伝わりやすいという観点から言えば、絵本や紙芝居は可能性に満ちたメディアといえます。

ビナードさんが手がけた『さがしています』(童心社、左)と『ドームがたり』(玉川大学出版部)

ビナードさんが手がけた『さがしています』(童心社、左)と『ドームがたり』(玉川大学出版部)

 ――ビナードさんが「ヒロシマの心」を学び、伝える中で大事にしていることは何ですか。
  
 むやみに「平和」という言葉を使うのは危険だと感じています。戦時中も「平和」という大義名分のために、戦争を正当化していましたよね。同じような状況になる危険性は、今も変わらずあると思っています。
 
 「平和」という言葉はきれいな包装紙のようなものです。その中身はいったい何なのか。何をもって平和とするのか。これを共有することが大切です。そして、決して「平和」という言葉を独り歩きさせないことが、今改めて重要だと実感しています。
 
 今の日本には、きれいに整備された街並みが広がっていますが、足元には原爆をはじめ、空襲や弾圧で亡くなった大勢の先人たちがいたことを、決して忘れたくはありません。
 
 彼らがどんな世界を求めていたか、そして、どう惑わされたのか。それを想像して、会えない人の「声」に耳を澄ませながら、「平和」を考えることが大事なのではないでしょうか。

●プロフィル

 Arthur Binard
 1967年、米国ミシガン州生まれ。詩集『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞、絵本『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』(集英社)で日本絵本賞、『さがしています』(童心社)で講談社出版文化賞絵本賞、『日本語ぽこりぽこり』(小学館)で講談社エッセイ賞を受賞。

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 メール wakamono@seikyo-np.jp
 ファクス 03-3353-0087

【記事】折原正浩
【写真】工藤正孝