〈海外の体験〉 カンボジアの日本語教員――病弱、貧困を乗り越えて2024年5月17日

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カンボジアSGI スン・ソチェッターさん

 黄色い壁の教室で、ホワイトボードを見つめる6、7人の学生たち。一人一人に視線を向け、スン・ソチェッターが丁寧な口調で語りかける。

 「『辛い』という漢字は、一本の線を足せば『幸せ』になります」

 カンボジアと日本の政府が運営する、カンボジア日本人材開発センター。首都プノンペンに立つ、この国内トップレベルの日本語教育機関で、スンは教員を務める。 

ソチェッターさんが働く「カンボジア日本人材開発センター」

ソチェッターさんが働く「カンボジア日本人材開発センター」

 だが以前は、教壇に立つ自分の姿なんて、想像すらできなかった。

 ――1970年代、ポル・ポト政権下の虐殺と飢餓により、カンボジアでは多くの命が奪われ、社会機能は崩壊した。その影響は、その後の人々の生活に、貧困という暗い影を落とした――。

 スンは、電気も水道も通っていない、貧しい村で生まれ育った。

 6人きょうだいの4番目。体が小さく、よく肺炎にかかった。“私、この先どうなるんだろう”。ベッドに横たわり、ぼーっと天井を眺めてばかりだった。

 ある日、父が家族に告げた。「みんな、日蓮大聖人の仏法を信じて、やってみないか」。アメリカに暮らす親戚から折伏を受けたという。

 父は小学校の校長だったが、薄給だった。村民は皆、極貧の生活を送っていた。

 2000年、家族そろってカンボジアSGIに入会。以来、父は変わった。質素な食卓を囲み、こう語るのが常になった。「信心があるから心配はいらない!」

 ランプに照らされた家族の顔に、希望の色が差した。

家族と共に。前列右から2人目がソチェッターさん。カンボジアSGIでは全国女子部アドバイザーを務める

家族と共に。前列右から2人目がソチェッターさん。カンボジアSGIでは全国女子部アドバイザーを務める

師弟の絆を胸中に

 スンが日本語に関心を持ったのは、日本人の学会員たちの影響である。

 「皆さんが話す日本語を聞き、こんなに美しい響きの言葉があるんだ、と思って」

 高校卒業後は、日本語学校へ入学。1年間、日本で企業研修を受けたこともある。

 その後は、研修の報酬を学費に充て、王立プノンペン大学で日本語を専攻した。

 一方、貧困の壁は厚かった。「ある時は、家族全員で、三つのゆで卵を分けて食べたこともありました」

 節約のため、徒歩で学会活動に励む毎日。「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる」(新1696・全1253)。そう固く信じ抜いた。

SGIの仲間たちと。前列左端がソチェッターさん

SGIの仲間たちと。前列左端がソチェッターさん

 日本の創価大学別科への進学が、いつしか大きな夢になっていた。経済的に無理だと断念しかけたが、思いがけず奨学金を得る。「信心の功徳だ」と感激した。

 半年間の留学生活。ある時、創立者の池田先生から、“いずこにあっても、明るい太陽に向かって絶対に負けない人生を!”との伝言が届いた。先生の慈愛と、師弟の絆を胸中に刻みつけた。

 帰国したスンに、当初、日本語教師になる意思はなかった。“教員=貧困”という考えがこびりついていたからだ。

 しかし、婦人部の先輩が彼女の心を動かす。「教員は素晴らしい仕事です。牧口先生も、戸田先生も教員だったんですよ」

 さらに、教育は「人生最後の事業」との池田先生の言葉を知り、ふと心に芽生えるものがあった。「先生が自分に呼びかけてくださっているように感じたんです」

 最後は、日本語教師になろうと決めた。それが使命であると心を定めた。

アジアの平和の架け橋に

 ここ数年は、世界に視野を広げる機会にも恵まれた。

 昨年は、マレーシアで開かれた日本語教育国際研究発表会で、カンボジアを代表して、授業の実践報告を行った。

 また勤務先では、日本語の最上級クラスを担当することになった。

 「毎晩遅くまで、一人一人のことを頭に浮かべ、どんな質問にも必ず答えられるよう準備します。授業後は、理解が追いつかない生徒のため、最後まで教室に残るようにしています」

 そんな彼女を、生徒たちは「誰よりも優しい」と慕う。同僚も「何でも相談できる“お姉さん”以上の存在です」と。

 スンは、学生たちに常々語っている。
 「青春の苦労は宝です。一番苦しい時に、一番成長できます」

 それは彼女自身の実感であり、池田先生から教わった哲学でもある。 

授業の様子

授業の様子

 取材中、スンに好きな言葉を問うと、「宿命転換」と即答した。

 「辛」を「幸」へと転じる“一本の線”――。
 それが「信心」であると、彼女は確信してやまない。

 振り返れば、生来の病弱も、あれほどの貧困も、全て乗り越えることができていた。

 カンボジアでは今後、日本語の授業を取り入れる高校が増えていくそうだ。スンは今、高校の教員免許の取得も志している。

 カンボジアと日本を結び、アジアの平和の架け橋に――師に誓った使命の旅路は、始まったばかりだ。

  
  
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