〈ターニングポイント 信仰体験〉 元芸人 笑いへの新たな挑戦――ソーシャルワーカーとして生きる2024年5月15日

  • 本人以上に若者を
  • 信じられる大人に

ズバリ一番自分が楽しい時は「人によろこんでもらった時。それが究極」と寺中さん。記者がもうひと声欲しがると、「あと野球見てる時ッス(笑)」。取材は終始、笑いが絶えなかった

ズバリ一番自分が楽しい時は「人によろこんでもらった時。それが究極」と寺中さん。記者がもうひと声欲しがると、「あと野球見てる時ッス(笑)」。取材は終始、笑いが絶えなかった

 つまんねえ。何もかも。高校生の寺中湧飛は退屈していた。

 クラスメートはただ騒いでばかりだし、授業なんて将来何の役に立つんだか、まるでサッパリ。
 両親と、5人のきょうだいで住む実家の家計は、いつもギリギリ。遊びに行った記憶もあまりない。おまけに家族は創価学会員。両親は熱心で、仕事だって忙しいのに、毎日あちこち駆け回っている。

 “なんか、おもしろいことねーかな……”

 唯一の楽しみはテレビ。画面の中を動き回り、トークで爆笑をかっさらうお笑い芸人たちが、楽しそうに見えた。
 高3の夏。「夏休みにシュノーケリングに行きます」。学校の選択授業の一環で、フィールドワークの知らせが。
 めちゃくちゃ行きたくない。親しくもないヤツらと、浜辺で戯れるなんてごめんだ。
 憂鬱な帰宅。食卓に、しれっとパンフレットが一部置いてある。〈創価大学〉。オープンキャンパスの案内だった。

 日程に息をのんだ。シュノーケリングの日だ。“これで休める!”。進路に関わることは高3にとって、究極の“武器”だった。
 初めて創大のキャンパスへ。行くには行ったが、進学なんて毛頭考えちゃいない。適当に回ったら帰るつもりだった。
 だが湧飛の目は、スタッフの学生に引きつけられた。“楽しそう”。単なる楽しそうではなくて、“充実”って感じの笑顔。いつのまにか、そこにいる自分を想像していた。
 「創大に行きたい」
 湧飛の相談に両親は驚いた。成績は悲惨だ……。「応援する」。母が真っすぐな視線を返してくれた。人生で一番勉強した。2011年(平成23年)、合格通知を受け取った。

 「落研入らへん?」

 入学後、ある同級生が話しかけてきた。すでに落語研究会に入り、周りを誘っているらしい。こいつは意識高い系。気にくわない。
 けれど、お笑いには興味があった。せっかく大学に来て、何もしないのはもったいない。「やるわ」
 四六時中、“おもしろい”を追求する日々。夜中でもめし処や銭湯に入って、仲間とネタをひねりまくった。

法人スタッフと情報交換をする寺中さん㊨

法人スタッフと情報交換をする寺中さん㊨

 だが2年が過ぎる頃、湧飛はヘタれていた。全然ウケない。テレビで少しは培ったと思っていたスキルは全く歯が立たず、客席にはいつも白けた笑い。理解されない悔しさと、腹立たしさが交錯した。

 入部当初から、良くしてくれる先輩がいた。豪快なネタに定評がある人。
 「どうしたらおもしろくなれるんスかね」
 ネタのダメ出しをもらうつもりで、その日も声をかけた。「信心しかないよ」。ちょっと何を言っているか分からない。

 先輩は真剣だった。辞めたいと悩んだ時、学会活動に励み、これで最後だと臨んだネタがハネたと、熱っぽく語る。湧飛の胸も高鳴り出した。“この人が言うなら”
 学生部の活動に参加してみた。家庭訪問、仏法対話……舞台と違って目立たないし、地味なことばかり。だが、しばらく先輩にくっついていくと、励まされたメンバーや友人が、だんだん笑顔になっていく。はっとした。
 自分は一人だって、笑わせられていない。観客を前にしても、それまで誰のことも見ていなかった。
 「落研は/皆が喜ぶ/人のため」。創立者・池田先生が、創大落研に贈った指針。
 目の前の一人から――そう思うようになると、観客に話しかける感覚が芽生え、ネタにも手応えが。客席の笑い声が、少しずつ大きくなっていった。

 大学3年の3月。湧飛は大学生お笑いのコンテストで、団体戦チームの一人に選抜された。全国の大舞台。練りに練ったネタで暴れ散らかす。この年、創大落研は日本一に輝いた。

 “笑いに生きる”。大学を出て芸人に。ライブ、賞レースと、忙しい日々。だが“勝つネタ”を繰り出し続けることに、湧飛は疲弊していった。相方ともすれ違った。このままでは、自分が壊れてしまう気がした。
 創立者の指針と、何度も向き合った。皆が喜ぶ――そこには、もれなく自分も含まれているはず。2022年(令和4年)、キャリアに区切りを付けた。

打ち合わせの1こま

打ち合わせの1こま

「とにかく飾らない自分でいる。何でも言い合える信頼関係を築くことからサポートが始まります」

「とにかく飾らない自分でいる。何でも言い合える信頼関係を築くことからサポートが始まります」

 一から職探し。ネットで、ソーシャルワーカーの存在を知る。家族が頭に浮かんだ。きょうだいの一人に、障がいがあった。大学に通うまで、ずっと避けていた。だから特別な響きがあった。
 ある日。都内で、大人を頼れない若者の支援を行うNPO法人の代表が、テレビのインタビューに答えていた。

 「悩みごとを楽しく解決したい」

 居ても立ってもいられず、そこへ赴いた。
 「絶対に向いてるよ!」。代表は湧飛の経歴に興味を持ち、快く受け入れてくれた。
 家庭不和や虐待などを理由に、孤立してしまった15~25歳ほどの若者たち。一時的な居場所やシェアハウスを提供し、社会復帰の糸口を探していく。
 利用者が抱える心の傷と向き合うのは、想像以上に難しかった。
 仕事に就いても上司とうまくいかず、すぐ辞めてしまうことがほとんど。“甘えだ!”といった大人の目にさらされることを恐れ、余計に心を閉ざしてしまうこともある。

 マニュアルはない。だから湧飛は、自分の「おもしろい」を手がかりにして、利用者へアクションを起こす。
 といっても、ひたすら一緒に食事を囲んだり、銭湯で裸の付き合いをしたり。つまりは、落研や学会活動で楽しかった空間を再現しているだけ。でも利用者には、そんな“何でもない経験”さえ、ほとんどなかった。

 「人生つまんない」
 時間を共にしながら、ぽつりと利用者から漏れたホンネ。ふと高校生の自分が重なる。
 どんな言葉をかけられたら、うれしかったのだろう――「つまんねえよな(笑)」。
 きれい事じゃ済まないくらい、日常は面倒で、うまくいかないことだらけ。だからお笑いを始め、笑いを生む喜びを知った。
 家族や落研との出あいが、自分に思いもよらない可能性があることを教えてくれた。若者一人一人にだって絶対にある。本人以上に、それを信じられる大人でありたい。

 利用者の悩みを代わってあげることはできなくても、“こんなヤツいたな”くらいになら、なれるかもしれない。だからもっともっと、おもしろくなってやる。

読書好きな一面も

読書好きな一面も

 てらなか・ゆうひ 1992年(平成4年)生まれ、94年入会。創価大学落語研究会に所属し、卒業後はお笑い芸人に。現在は“若者ソーシャルワーカー”として、都内のNPO法人のスタッフを務める。東京都狛江市在住。男子地区リーダー。


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turning@seikyo-np.jp

今があるのは「家族のおかげ。でも変わってるんスよ」。芸人を辞めて福祉の道に進むと言うと、「芸人のほう続けてよ」と予想外に引き止められたそう

今があるのは「家族のおかげ。でも変わってるんスよ」。芸人を辞めて福祉の道に進むと言うと、「芸人のほう続けてよ」と予想外に引き止められたそう