〈インタビュー〉 日本社会の再建に必要なベーシックサービスの導入2024年5月13日

  • NPO法人ほっとプラス理事 藤田孝典さん

 コロナ禍や物価高で傷んだ社会をどう立て直すか。支援の最前線で奔走する藤田孝典氏に聞いた。(「第三文明」6月号から)
 

1982年、埼玉県生まれ。ルーテル学院大学大学院総合人間学研究科博士前期課程修了。大学院修了後、NPO法人ほっとプラスの設立に参画。さいたま市を中心に生活困窮者や路上生活者の支援活動を始める。社会福祉士。聖学院大学客員准教授。反貧困ネットワーク埼玉代表。著書に『下流老人』『続・下流老人』(朝日新聞出版)、『貧困クライシス』『コロナ貧困』(毎日新聞出版)、『脱・下流老人』(NHK出版)など多数
 

1982年、埼玉県生まれ。ルーテル学院大学大学院総合人間学研究科博士前期課程修了。大学院修了後、NPO法人ほっとプラスの設立に参画。さいたま市を中心に生活困窮者や路上生活者の支援活動を始める。社会福祉士。聖学院大学客員准教授。反貧困ネットワーク埼玉代表。著書に『下流老人』『続・下流老人』(朝日新聞出版)、『貧困クライシス』『コロナ貧困』(毎日新聞出版)、『脱・下流老人』(NHK出版)など多数  

高齢者の貧困が社会に与える影響

 現在の日本社会には、さまざまな形の暮らしがあります。子育て世帯もあれば、高齢者だけの世帯や障害者のいる世帯もあり、いわゆる「おひとりさま」もいます。

 当然、生活上の課題もそれぞれ変わってきます。私が支援する高齢者世代でいえば、コロナ禍や物価高に伴う経済苦境、孤独・孤立の不安を挙げる方が多いです。

 高齢者といえば、高齢者優遇を声高に主張する「シルバー民主主義」の弊害が指摘されがちです。しかし支援の現場で活動していると、必ずしも実態に即した指摘ではないと感じます。
 

 例えば、こんなケースがあります。ある老齢の夫婦は、細々と個人事業を営みながら、2人分の国民年金を40年に渡って満額納付してきました。この場合、現在65歳以降に受給できる老齢基礎年金は、1人あたり月額6万8000円ほどです。ところが夫が突然入院し、亡くなってしまった。その結果、妻は遺族基礎年金も受け取ることができず、たちまち暮らしが破綻の危機に直面したというのです。

 特異なケースに見えるかもしれませんが、相談業務に従事していると、たびたび出くわします。見過ごせないのは、俗に「金の切れ目が縁の切れ目」というように、家計の危機が「つながり」の貧困に連鎖し、孤独・孤立に拍車が掛かってしまう点です。

 本来なら、このような時こそ福祉の出番です。しかし、「貧困は自己責任」との偏見やバッシングがあるため、憲法(第25条)で保障された生活保護の制度も、「親族への扶養照会で迷惑を掛けたくない」「近所に知られてみじめな思いをするのでは」といった思いを抱いて、利用を躊躇する人が少なくありません。
 

 さらに問題なのは、このような状況の放置があらゆる世代の将来不安につながることです。「悲惨な老後を迎えたくない」と結婚や出産を諦めてしまったり、過剰な節約に走り、豊かな人間関係を築く機会を損なったりするリスクがあります。

 それに付随して、「誰も自分を守ってくれない」との疎外感から社会への帰属意識が薄れ、「〇〇の人ばかり優遇されて不公平だ」との不満を抱くようになり、それが結果として社会の分断を生みだしてしまうのです。

 厄介なのは、こうした負の感情を利用して社会不安と分断を煽り、自らの勢力拡大を望む政党・勢力がいることです。これらの集団に乗せられて、互いが傷つけ合う荒んだ社会になってしまえば、現代の日本社会を構成する多様性は失われ、社会全体が縮退していくでしょう。
 

暮らしの基礎部分の「脱商品化」こそ

 人々が抱く将来不安について、もう1つ背景にあるものを挙げれば、急進的な自由主義経済の弊害があると思います。例えば、都内の新築マンションの購入に6000万~8000万円もかかったり、幼稚園から大学まですべて国公立に通わせても、子ども1人に800万円もかかったりする現状では、「いったいどれほど稼げばよいのか」との不安がつきまとうのも当然といえるでしょう。

 こうした状況も踏まえた上で私は、暮らしの基礎部分の「脱商品化」、すなわち5大ニーズ(住宅・教育・医療・介護・福祉)の無償化を目指す「ベーシックサービス」(BS)の導入が、日本社会を再建する処方箋の1つだと考えています。人が生きる上で不可欠な生活の基礎部分を、所得制限なくすべての人に現物給付で提供するのです。

 BS導入の有用性は、「世界幸福度報告書」(持続可能な開発ソリューション・ネットワークが発表)からも類推可能です。ランキング1位のフィンランド、2位のデンマークをはじめ、トップ10の実に8カ国までを欧州の福祉先進国が占めています。つまり、社会福祉制度が充実し、基本的な生活に不安のない国の人々ほど、幸福度が高い傾向にあるのです。

 もちろんBSの導入は、国のあり方を大きく転換するような改革であり、国民それぞれに是非があって当然で、簡単には進まないと思います。相応の財源も求められ、増税や分野ごとの予算削減などの議論も必要となるでしょう。しかし、それを避けては通れないほど、今の日本社会は瀬戸際にあると考えます。
 

岐路に立つ日本社会

 その上で、このような改革の実行は、自民党のみではなかなか難しいでしょう。自民党は、候補者も支持基盤も地方の伝統的富裕層が多く、家族主義的な価値観も強いため、BSの社会的意義を理解し、当事者に寄り添った制度設計が難しいとみられるためです。

 この点、私は公明党にBS議論のリードを期待しています。実際、公明党は私立高校の授業料に代表される教育の無償化や、コロナ禍における住居確保給付金の拡充など、部分的なBSの導入ともいえる政策をこれまで推進してこられました。

 こうした施策ができるのも、支持母体である創価学会の皆さんが地域の中に分け入り、老若男女や貧富を問わず、あらゆる人々の困り事や悩み事に耳を傾け、地元の公明党議員に伝えてきたからだと思います。そんな皆さんだからこそ、BSの理念に共感を寄せ、共に声を上げていただけたらうれしく思います。
 

 BSというと、「受益者負担の原則」を持ち出す人がいます。例えば学校や病院などの公共施設の利用は、その恩恵を受ける受益者が負担すべきものとする考え方です。

 けれど、教育の真の受益者は「家庭」ではなく、「社会」そのものです。今の日本社会では、子どもが家計を理由に進学を諦めたり、奨学金を返すために給与の良い会社を選んだりしています。これでは日本企業発のイノベーション(革新)がなかなか生まれないのも、無理はありません。

 イノベーションには多様性が欠かせないといわれますが、BSによって教育の無償化が進めば、子どもたちの生き方や学び方も多様なものになり、それが社会の多様性を促進し、やがて日本の発展につながると思います。

 何よりBSには、分断した社会を復元する力があります。なぜなら、高齢者であろうが、若者であろうが、子育て世帯であろうが、おひとりさまであろうが、誰もが安全・安心に人生をまっとうできる基礎が整うからです。

 孤立・分断の社会から共生・連帯の社会に転換できるか否か。日本は今まさに、その岐路に立っていると感じられてなりません。